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お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

猿ケ馬場峠+一本松峠

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家にいても暇だったので、外に出てみた。で、こんな場所に来た。ここが一本松峠だという表示があるものの…聖瑚からけっこうな坂を下ってきているんだけども。峠っぽくない場所。

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本当は冬季通行止めの道を行きたかった…しかたない別の方向へ。

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この道は林道らしい。舗装されているが、1車線幅の狭い道。進んでみよう。

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f:id:henrilesidaner:20160404123247j:plain 一本松峠!? えっじゃあさっきの場所は? どちらが正解か、ここでは教えてもらえず(でも石碑があるぐらいだから、こっちが本当の一本松峠なんだろうね、きっと)。

 

近くの説明板には北信と中南信を結ぶ峠越えの道がいくつかあり、その道のひとつと紹介されていた。

一番古い峠が「古峠」、二番目が「一本松峠」、三番目が「猿ケ馬場峠」。今のメインルートは猿ケ馬場峠を越える道だが、ここは廃止されずそこそこ使われていたらしい。この峠に武水別神社の一ノ鳥居がかつてあった、と案内板に書かれていた。武水別神社の参道の一部だった、ということなのかな。武水別神社への参拝客がこの峠を越えていったという。案内板には、南北朝時代宗良親王(応長元(1311)年~元中2/至徳2(1385)年)がここを越えた、大正から昭和にかけてこの峠を越えて月参りをしていた人のことなど書かれていた。

猿ケ馬場峠のルートは戦国時代には使われていた。ここは鎌倉時代に作られたという。

f:id:henrilesidaner:20160404123249j:plain なんとなく寂しい道。猿ケ馬場峠は風光明媚で往来も多く、にぎやかだからなのか。峠からの風景も山しか見えず、時代劇なら追剥が出てきそうな。

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f:id:henrilesidaner:20160404123256j:plain ずっとこんな景色。

ちなみに、路肩にガードレールがない場所があり、その下は崖だった。すれ違い用なのか、車を停めて景色を眺めたい人たち用なのか、車が1~2台駐車できる場所がいくつかあった。交通量はこういう林道にしては少し多めなのか、今回は3台すれ違った。

 

古峠と一本松峠、東山道の支道です。

f:id:henrilesidaner:20160404123250j:plain 交差点(祠)というのが、さきほどのスタート地点。祠は見当たらなかった。説明板には、「信州筑摩郡永井村これを立つ」と彫られた石祠と文政5(1822)年建立の馬頭観音があったと書かれていた。まだあるのかな? 坂井側にあるらしい。冬季通行止めで閉鎖された向こうにあったのかもしれないが、分からなかった。

f:id:henrilesidaner:20160404123251j:plain 東山道支道は遊歩道として整備されていて、祠スタートで姨捨サービスエリアがゴール。

江戸幕府五街道を整備するまで、東山道などの七道は幹線だったそうだ。7つの幹線道路は7世紀後半から8世紀にかけて建設された。もっとも古い東山道の道筋は諏訪→佐久→碓氷峠上野国という順だったそうだが、不便だったのだろう。松本経由の道は大宝2(702)年開通なので、こちらの支道もそれ以後切り開かれたと思われる。

平安時代信濃国府は松本市に置かれていた。東山道は松本から保福寺峠を越え、上田→小諸→碓氷峠上野国と進み、最終的には陸奥国に到着する。七道は3つのランクに分けられていたが、この路線は二番目に重要な中路とされている。支道は信濃国錦織(保福寺峠の松本側駅)~越後国を結んでいた。この支道は東山道北陸道をつなぐ連絡路として使用されたというので、それなりの交通量であっただろう。

古代の道は軍用道路でもあったから、地形を重視せず直線が多い道となっている。という話を聞いたことがあるけど、この道も 見た感じはまっすぐに林の中へ進んでいるようだ。

古代とはいえ幹線道路は地方部でも6~12メートルの幅員という。現代の一般的な道路の一車線幅は2.75~3.5メートルだそうで。イメージとしては、2~3車線幅で歩道付きのまっすぐな道路かな?

 

車で移動しているので、今日は東山道を歩かない(いつか歩いてみたいなー)。車で林道を進んでいくと、あちこちに「東山道支道」の案内板が。遊歩道になっているらしい。手入れされていて、ずいぶん状態のよい道に思えた。

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そんな東山道支道の遊歩道の終点はここ。

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姨捨サービスエリアのお隣に出られる。

f:id:henrilesidaner:20160404123305j:plain 右側フェンスの向こうは姨捨SA。

 

聖瑚に戻った。こちらを「猿ケ馬場峠」という。

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聖瑚はいつでも釣り人がいる。ヘラブナ釣りのメッカだそうな。釣りしたことないから分からないけど、ヘラブナ釣りの競技大会があるくらいメジャーなものらしい。

松本から善光寺(長野)への最短ルートがこの峠を通るもので、戦国時代から使われている。この峠道を作ったのが武田家所属の馬場信房さんという方で、峠にはお猿さんがいっぱい住んでいたから、という理由で猿ケ馬場峠と名がついたそうな。

天正10(1582)年の本能寺の変後、森長可(蘭丸のお兄さん)が信濃から逃げるときにこの峠を越えている。説明板には、蘭丸の兄さん以後も松尾芭蕉清河八郎正岡子規など有名人が通ったと書かれていた。松本で塩の道(糸魚川街道)と接続しているため、物資の重要な輸送路だったようだ。

聖瑚付近はスキー場やキャンプ場があり、ちょっとしたリゾート地になっている(別荘もわんさかあるが、どれも古い)。ここからさらに聖山の方へ行く道に、ひっそりと有料道路の標識。聖高原道路という。いつの間にか無料化されていた。

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f:id:henrilesidaner:20160406112735j:plain 普通車も軽自動車も200円。

 

善光寺西街道の古い道も残っている。

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聖瑚の近くから林道になっているようだ(冬季閉鎖中だった)。古い状態で残っている部分もある。

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こんな感じ。

道路から大きな石碑のようなものが見えたので、気になって見に行ったところ。

f:id:henrilesidaner:20160404123303j:plain 境界を示す碑だった。

松代藩領の八幡村と松本藩領(のち天領)の麻績村の間でたびたび境界争いがあったそうで、それを示すもの。元禄のころから明治まで争っていたが、この碑が建てられた明治28(1895)年に決着したようだ。奥の新しく大きな碑は昭和11(1936)年のもの。ここが猿ケ馬場峠の頂上となっている。

 

 

 ★★★★☆

違う場所を目指していたものの…しかし思わぬ収穫があった。一本松峠はちょっとさみしい場所だなと思ったが、あれはあれでいいかもしれない。人がいない場所が好き。

 

 

<一本松峠>

開通年 鎌倉時代

施工主 国

 

<猿ケ馬場峠>

開通年 戦国時代?

施工主 馬場信房