スギ花粉の最盛期。鼻水とくしゃみが止まらない。くしゃみするたび「誰かが私の悪口言ってる!」と思って嫌な気分になる私は、この時期はそこら中で常に悪しざまに言われている気がしてイライラします。
真田家の本貫地へ行った。真田氏の館は現在、公園になっている。かなり保存状態が良く、館として使われていたままの完全に近い形で残されているそうだ。真田家初代幸隆の時代に造られたとのことで、三代目の昌幸が上田城に移るまで使われていた。
もう観光客はいないか…と思ったものの、あちこち出歩くのが好きそうな老夫婦とか歴史好きそうなおじ様とか「歴女です」と名乗りそうな女性とか、それぞれに散策していた。
正面入り口(大手門跡)↓
親切にも門の名前やら看板があった。大手門跡には立派な石垣が残されている。石垣だったのは意外。
門は大手門の他、搦め手門、東門とある。台形の敷地で、南東にある東門付近だけ少し角がかけたような形になっている。敷地は土塁でぐるりと防御されている。大手門には桝形があるが、搦め手門や東門には桝形がない。ただし、東門には桝形に代わる何か施設があったような気配(ちょっと角が欠けてるから)があるとか。
↓こういう形
土塁高さは2mくらいかな? 延べ520mの長さで、今はないが外周に堀がめぐらされていたらしい。道路が堀跡ということかも。
土台も石積みがあり、かなりしっかりしている。数百年経つのに崩れる気配なし。
こちら側は「西曲輪」という名前で、北西隅には「厩」という施設もあったようだ。10m四方の区画だそうで、文字通りお馬さんのおうちだったんだろう(馬場を兼ねてるなら狭そうだ)。そこも入口以外土塁で防御されているとか。
本郭だった場所には現在「皇大神社」が。この神社の創建は昌幸が上田に移る際、初代から使用してきた館が荒廃することを恐れ伊勢神宮の御分霊を勧請したことから。
神社の鳥居から本殿までは「東曲輪」と呼ばれている。そういえば本殿は少し高くなっている。
北側の土塁↓ こちら側には大沢川という川が流れている。
ここから東門方面へ。遊歩道みたいになっている。
←本郭 (遊歩道) 土塁→
東門到着↓
東側のちょっと欠けてる部分の様子。
東側の土塁の様子。
おや、こんなところにマレットゴルフ場が。
★★★☆☆
石垣があった、っていうのに一番驚いた
<真田氏館>
築城年 天文22(1553)年以降?
築城主 真田幸隆
構造 平城
東側は水道施設?か何かがあった。