読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

妻女山陣場

第4次川中島合戦で、上杉謙信が本陣を置いた場所、と言われている。

f:id:henrilesidaner:20170315153652j:plain

現在は松代妻女山招魂社という神社と見晴らし台がある。招魂社は戊辰戦争の折に従軍し命を落とした松代藩士52名を弔うために明治2(1869)年に第10代藩主真田幸民が建立したもので、日清・日露・太平洋戦争などそれ以後の戦争での戦死者も合祀され、現在は969柱の御霊が祀られているという。ちなみに、幕末の松代藩は勤王(政府軍)に属していたらしい。

f:id:henrilesidaner:20170315153646j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153647j:plain

この辺りは平場になっており、標高は低めだが見晴らしはよろしい。

f:id:henrilesidaner:20170315153648j:plain

ここまで車で上がってこられる。フラフラ歩いていたらランニングシャツに短パンのオッサンが現れて、驚いた。

f:id:henrilesidaner:20170315153651j:plain

招魂社の参道らしい。ここを駆け上がってきたのか、なんという元気。ぬっと現れたので恐怖を感じましたわ。

f:id:henrilesidaner:20170315153653j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153654j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153658j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153655j:plain

何かの石碑。有名な戦争の舞台のひとつであるこの場所、偉い人が訪れている。どうやらその記念碑らしい。

f:id:henrilesidaner:20170315153656j:plain

大正天皇御手植えの樹木(枯れている)。

f:id:henrilesidaner:20170315153657j:plain

真田伯爵御手植えの樹木(枯れている)。真田家は伯爵の基準を満たさなかったので当初は子爵だった。が、早い段階で政府軍に参加していたので特例として伯爵に叙された。五爵の第三位で、徳川御三卿や上杉家・伊達家などの有名武家と同じ身分だ(出世してるねえ)。

f:id:henrilesidaner:20170315153701j:plain

ここが展望台付近。妻女山についての案内看板もあり、ここに陣を置いたのか―と思う。わりと低い場所にあり(これ攻撃しやすくないかな?)と心配になることと上杉軍1万3千の収容所としては手狭かなと思った。整備されているせいか、痕跡らしきものは全く見当たらず。

f:id:henrilesidaner:20170315153720j:plain

この山の裾を走る上信越道の更埴ジャンクション~須坂長野東インターは平成5(1993)年開通なので同時期にこちらも整備されたのではないかと思う。

f:id:henrilesidaner:20170414143149j:plain

新しい感じだが明治33(1900)年の建立。大正天皇東宮時代に一度いらしているようだ(2回も来るなんて、よほどこの場所がお気に召したのかしら)。

f:id:henrilesidaner:20170315153708j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153706j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153707j:plain

上杉謙信はこういう景色を眺め、武田軍の動きを察知し、雨宮の渡しをそっと渡り川中島の武田本陣を攻撃した、のであろうと思っていた。

f:id:henrilesidaner:20170315153713j:plain

 

実は。

f:id:henrilesidaner:20170315153716j:plain

こっちが本物…。斎場山が訛って妻女山になったのか、ここから山を更に登って20分くらいだと。斎場山という名前の由来はこの山に古墳が点在しているからだという。戦国時代ぐらいでも古墳=お墓の認識があったのか、と少し驚いた。斎場山には「陣場平」「床几塚(謙信本陣)」「千人窪(伏兵千人潜みます)」などの地名が残る。

斎場山まで車でも行けなくはない。

f:id:henrilesidaner:20170315153715j:plain

軽トラなら余裕だろうよ。

 

 

★★☆☆☆

どこが本当の陣場跡なのさー?

 

 

<妻女山陣場

上杉氏本陣跡 永禄4(1561)年第四次川中島合戦の際に使用

 

 

この陣場跡には上杉謙信ゆかりの場所がいくつかある。

f:id:henrilesidaner:20170315153717j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153718j:plain

謙信が槍の尻で突いたら湧き出た泉。その名も「槍尻之泉」。喉が渇いた謙信が天に祈りを捧げ、槍の柄の先端で地面を叩いたら水がびゅーっと噴出したとか。

 

会津比売神社。

f:id:henrilesidaner:20170315153721j:plain

こちらは斎場山の山頂に元あった神社という。上杉謙信の庇護下にあったために武田信玄が火付けしちゃったから麓に移転してきたそうだ。御祭神の会津比売さんは出速雄命のお嬢様だという。北信開拓の祖神の子にあたる重要な神様のようだ。どのくらい重要かというと、貞観8(866)年に「従四位下」という位をもらっている。上から八番目の位階、人間だと殿上人・貴族になれる。ちなみに父上の出速雄命は貞観2(860)年に従五位下で娘より低い位(大国主の孫だから仕方ないね)。会津比売さんの夫が神武天皇の曾孫に当たる建五百建命さん(初代科野国造)と婚姻を結んだために位が上になったのかと思う。朝廷と彼らに滅ぼされた出雲系との和合の象徴、ということかねー。

この神社の境内には謙信ゆかりの史跡がある。

f:id:henrilesidaner:20170315153726j:plain

上杉謙信公槍先之清水。湧水らしい。

f:id:henrilesidaner:20170315153727j:plain

一応「謙信」と名が付いているぐらいだから、こっちも不思議な力で湧き出させたのかと思いきや…そういう伝説もない、ただの湧水らしい。しかも比較的新しいモノらしい。

上杉謙信公鞍掛の松」。いやいや、杉にしか見えないのだが。

f:id:henrilesidaner:20170420113643j:plain

と思ったら、鞍をかけた松は枯れてしまって二代目がスクスク生育中とのこと。

f:id:henrilesidaner:20170420113644j:plain

 

f:id:henrilesidaner:20170315153730j:plain

f:id:henrilesidaner:20170315153732j:plain

 正直、陣場跡よりこっちの神社の方が興味深かったです。

広告を非表示にする