お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

村松殿屋敷

長野県が発行している「信州の土木カード」の第2弾が先日発行された。ちなみに第1弾(というかプレで作ったっぽい)カードは久米路橋4種だったらしい。こちらの方は食指が動かなかったが。第2弾のカードは眺めていたら欲しくなってしまったという…先行配布イベ行けば良かったと後悔中よ。

 

第2弾、北信・東信・中信・南信の4ブロックに分け、各4枚(4カ所)という構成。さらに各ブロック4枚を集めるとプレミアムカードがもらえるという。

北信:毛無峠

中信:釜トンネル

東信:碓氷峠

南信:大平トンネル

釜トンネルか毛無峠欲しい…。ただ、長野県は広すぎる。最南配布場所は遠山郷、一体どうやって行けばいいのよ? こんなのを自力で集めるのは無理だろ、どう考えても。まぁ大人の力でズルするかもなw

大平トンネルがよく分からなかったんだが、パンフレットに見本載ってた。なんかアレな奴だった。あんなトンネル?あるんだねえ。世界は広い。

 

配布カードで一番欲しいのは「明通トンネル」、ここは簡単に配布場所まで行けそうだから早速もらってきた。

f:id:henrilesidaner:20200722103021j:plain

やったね!

明通トンネルは長野県が誇る心霊スポットとして有名だけど、日本国道で最も古いトンネルとしても有名で、明治23(1890)年開通、昭和32(1957)年改良というトンネルだよー。青木峠自体が不気味だけど、このトンネルも華を添える感じで本当に心地悪いの。

 

f:id:henrilesidaner:20200722101303j:plain

配布場所にはこういうの↑があるので子供にもちょうど良かった。

 

現在地は古代の東山道時代から昭和51(1976)年の三才山トンネル開通まで賑わっていたらしい。麻績や松本から上田に行く人がここで合流するという交通の要衝だったみたい。山を越えれば別所にも行けるようだ。

f:id:henrilesidaner:20200722104228j:plain

お城も「殿の屋敷跡」「村松殿屋敷跡」の表示がある。地図には載ってないけど、岡城もすぐそば。

 

で、村松殿屋敷跡。

目印は「村松の宝篋印塔」とかいう奴で。

f:id:henrilesidaner:20200722121009j:plain

これがソレらしいぞ。

案内板には↓と説明していた。

  • 宝篋印塔は宝篋印陀羅尼の経文を納めた塔
  • 鎌倉時代以降は宗派を超えて建立された
  • 東側の塔には「貞治4(1365)年」の銘がある、西側の塔も同時期の作品か
  • この二つの塔で、大日如来の教えである「慈悲」「真理」を表す

 

宝篋印陀羅尼とは、正式には「一切如来心秘密全身舎利宝筺印陀羅尼経」というらしく、これを写経すれば現世利益があるそうな。この塔は鎌倉時代から作られ始めた様式で、中国の王様の銭弘俶(929~988)が延命を願って立てた塔が起源だという。王様が作るぐらいなので華美。元ネタの中国では宝塔として建てられているが、日本では供養塔や墓碑塔としても建てられたそうだ。五輪塔も同じ用途の塔だが、それに比べると派手なので、貴人用の傾向が強いらしい。

 

東側の塔には碑文もあり、

 奉寄進

 善福寺

 田畠事

 右寄進田地

 者浦野庄内

 村松滕次郎入道

 在家三分二田

 三畝寄進如件

  貞治四年一二月

   沙弥朝阿

と彫られているとのこと。

善福寺という寺に浦野庄の住人・村松滕次郎入道が土地を寄進したという内容だそうな。善福寺はすでに廃されている。

西側の塔は村松滕次郎入道の身内(妻か子)と言われているらしい。

f:id:henrilesidaner:20200722121055j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121059j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121105j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121121j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121125j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121118j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121129j:plain

善福寺がどこにあったのか分からないが、この遺物は移されてきた雰囲気。県宝に指定されているとかで仰々しい。

 

この塔のすぐそばにはお目当ての村松殿屋敷跡の案内板があった。

f:id:henrilesidaner:20200722121028j:plain

小山田茂誠夫人かつ真田信繁の長姉の村松殿のお屋敷跡だってさ。

宝篋印塔のある場所より少し上にあるそうだ。

f:id:henrilesidaner:20200722121251j:plain

↓上らへん。

f:id:henrilesidaner:20200722121255j:plain

旦那さんが武田氏→後北条氏→真田氏(真田昌幸真田信之)と主を代えていったが、舅の真田昌幸の家来になったのは天正18(1590)年の後北条氏が滅んだ後で、同年この村松郷を与えられた(ちなみに結婚したのは天正10年より前の武田氏家臣時代だとか)。旦那さん、きちんと主家が滅んだのを見届けてから別の家に仕官してて、なんか律儀な人だなと思った。

元和8(1622)年、真田家が松代に引っ越したときに、当然だけど付いていったから、ここは破棄されたようだ。30年くらい住んでいたのかなー。

お引っ越ししてから400年。普通の宅地に戻ってしまっているようだ。

f:id:henrilesidaner:20200722121258j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121306j:plain

屋敷跡の上まで登ってきたが。

f:id:henrilesidaner:20200722121421j:plain

藪が深くて下見えなくなっちゃったー。

f:id:henrilesidaner:20200722121426j:plain

藪が無ければ、景色良さそうだよ。

f:id:henrilesidaner:20200722121445j:plain

f:id:henrilesidaner:20200722121447j:plain

峠もあるし、見晴らしが良い屋敷つまり監視小屋、という感じかね。と思ってしまう。松代町に移住後は松代城のすぐ近くに屋敷を構え、次席家老とか要職を代々世襲する重臣になってた。峠監視の仕事?から出世してたわ。

村松殿小山田茂誠夫人を指すみたいなんだけど。この屋敷に住んでいる時分には夫婦で暮らしていたのに。小山田氏館跡と呼ばれないの、ちょっと気になるー。どうやら小山田茂誠家は真田姓を許され一門衆扱いだったらしい(この夫婦の跡取り息子は真田姓を名乗っていた)。むしろ分かりやすく「村松殿屋敷跡」と呼んでいるだけだったのかー。

 

★☆☆☆☆

宝篋印塔の案内板に出てくる村松滕次郎は何者なんだろう?

 

 

村松殿屋敷>

築城年 天正18(1590)年

築城主 小山田茂誠

 

 

 

f:id:henrilesidaner:20200722135426j:plain

帰り道の配布施設で2枚目ゲット。そこではマンホールカードも配ってた(マンホールカードもダムカードも膨大すぎて集めるの、躊躇するよ)。翌日には布引トンネルも手に入れ、もう3枚集まったよw