お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

新海三社神社

f:id:henrilesidaner:20220331104128j:plain

新海三社神社に来た。

神社の説明板には、

  • 興波岐命(佐久地方開拓の祖神)、健御名方命(興波岐命の父神)、事代主命(興波岐命の伯父神)と誉田別命八幡神)の四神を祀る
  • 佐久地方の総社
  • 古来より人々の崇敬を集めており、武家からも源氏・足利氏・田口氏・武田氏・徳川氏・大給氏より寄進を受けている
  • 源頼朝は源氏の祖神である誉田別命も祀るよう命じ、甲斐源氏である武田氏も戦勝祈願文を奉じている
  • 三重塔は嘉祥2(849)年建立、東本殿は室町時代に再建、それぞれ国の重要文化財

とあった。

図を見ると、左側の2つの社(西本社と中本社)と右側の1つの社(東本社)が分かれているように思えた。重文の建造物は東本社とその裏手にある三重塔。

西本社と中本社の間には御魂代石という磐座的な石があるようだ。拝殿も西本社と中本社側にあるし、元々はこの二つの社がメインだったのか? と思ったら。 

祀られている神様はそれぞれ、

だったので、主祭神と思われる興波岐命がいらっしゃる東本社が主殿のようだ…これはちょっと罠だわ。

ちなみに、御魂代石というのは私の想像と違い、石造物で彫り物がしてるらしい。しかも室町時代を示す年月日が入っている。

 

興波岐命は諏訪の健御名方命の子で、佐久地方を開拓した神様だそうだ。田口を本拠地とした集団のリーダーで、古墳時代から祀られているとあった。図にも「西御陵」「中御陵」「東御陵」って場所があった。身分の高い人の墓みたいじゃない? この他にも古墳が残っているようだ。

f:id:henrilesidaner:20220331104009j:plain

この辺りを区画整備したときに移動してきたんじゃないかな? と思われる道祖神たち。

 

f:id:henrilesidaner:20220331104214j:plain

拝殿↑

f:id:henrilesidaner:20220331104225j:plain

本来の参道↑

なかなか雰囲気よい。

f:id:henrilesidaner:20220331104325j:plain

まだ七五三の季節じゃないと思うのに、幟がたくさんあるよ。

f:id:henrilesidaner:20220331104514j:plain

古い祠が有り、このすぐ近くに注連縄を張った大きな石があった。御休石という名前で、神様がお出かけになる神事?があるときに使われる石らしい。なんか詳細見たけどよく分からなかったよ。見た感じが磐座で、御魂代石(石塔)よりもソレっぽい。まあ分類上間違いなく磐座なんだろうけどさ…。

 

f:id:henrilesidaner:20220331104627j:plain

怪しい跡地もあった。

f:id:henrilesidaner:20220331104646j:plain

神宮寺跡だそうな。

お寺は廃止ではなく移転だそうで、現存している。

 

神宮寺跡、建物の基礎とか石段なんかそのまま自然に還りつつあり、私の好きな雰囲気となっている。

f:id:henrilesidaner:20220331104649j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331104718j:plain

 

神宮寺跡のすぐ横には東本社だった。

f:id:henrilesidaner:20220331104732j:plain

  • 重文、室町時代
  • 祭神は興波岐命
  • 御名方命の子で、佐久の開拓神
  • 色々な事に霊験あらたか

興波岐命を新開神(にいさくのかみ)とも呼ばれ、その名からこの神社も「佐久神社」とか呼ぶらしいし、もしかしたら地名の「さく」もこの神様の名前から来ているのかしら?

 

f:id:henrilesidaner:20220331104735j:plain

東本社からちょっと離れた所に中本社・西本社。あの二つは仲良く隣り合っている。

f:id:henrilesidaner:20220331104815j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331104959j:plain

もうひとつの重文は東本社の裏、ひっそりといた。真正面からは見えないよ。

東本社も三重塔もほぼ同じ時代に造られているらしい。三重塔は上宮寺のものだったが明治元年廃仏毀釈の際に「お寺さんのじゃなくて、ウチの宝物庫」と申請したために破壊されず残されたそうだ。

f:id:henrilesidaner:20220331104832j:plain

↑神楽殿と拝殿

f:id:henrilesidaner:20220331104851j:plain

↑中本社・西本社

東本社と趣が違う。朱色だし。江戸時代に建てられたのかしら?

源頼朝誉田別命を合祀した際に社殿を再興したらしいので、それ以前から存在していたらしい。その後も改築と再建を繰り返して、元禄12(1699)年から2年かけて現在の社殿を造ったようだ。

f:id:henrilesidaner:20220331105024j:plain

ちなみに拝殿は中本社に向かって造られており、中本社の祭神は健御名方命だった。

f:id:henrilesidaner:20220331104128j:plain

この配置だと本当の主祭神って健御名方命じゃないの…? と不安になってしまうよ。なんとかしてほしい(大昔は健御名方命主祭神だったが、東本社が国重文になったので主祭神を変えました説が捨てられない)。

元は三重塔の前にはお堂があって、それが明治に入り廃される→東本社になる建物が神楽殿前から移転する→古い社だったので重要文化財に、という流れらしいです。だから東本社はボッチらしい。あの場所、冷静に考えればお寺の境内にあたるはずだしなー。

ただ「興波岐命は本来の御祭神ではないのか」というわけではなく。神楽殿の前にあり移転したお社には大昔から此処にいた地主神(健御名方命の子とされる)が祀られていたらしい。その神様が最終的に「興波岐命という神号である」となったらしい(時代が下っても神様の名前が出てこなかったとか)。

とにかく変わった神社だなと思った。

f:id:henrilesidaner:20220331105137j:plain

↑拝殿

f:id:henrilesidaner:20220331105130j:plain

↑御神木

 

f:id:henrilesidaner:20220331105339j:plain

 

★★★★★

古墳もたくさんあるし、杉林が綺麗だった

 

 

 

<新海三社神社>

創建年 不明

御祭神 興波岐命・健御名方命事代主命誉田別命

田ノ口館(蕃松院)

f:id:henrilesidaner:20220331102613j:plain

田口氏の館があった場所である。正面奥の山に田口城がある。城域は広大らしい。

現在ここには蕃松院というお寺さんがあり、お墓参りの人達がたくさん来ていたために、この日(8月1日)が戌の満水のお墓参りの日だと気付いた。

f:id:henrilesidaner:20220331102804j:plain

最初「大楽山」かと思ったら、実は「大梁山」という山号でした。この字を書いた17世紀の高僧の書は貴重だそうで「掲げると火災除けになります!」と紹介されていた。

 

田口氏はこの辺りを治めた有力な豪族で、応永の頃(1400年前後)には既にいたらしい。佐久市田口は交通の要衝であったらしく。

 

長野・群馬県境にある田口峠にはこんなボロいトンネル(第一隧道)が存在するぐらい、大昔からあった街道っぽい。

この「群馬県道・長野県道93号」は9世紀に最澄が通りかかり「険しい!」と感想を漏らした記録があるそうだ。長野県佐久郡と群馬県甘楽郡を結ぶメインストリートで、現在でも主要地方道の指定を受けている。wikiには「北の星尾峠や南の余地峠と共に、佐久地方と群馬県南西部の交易路の一つだった」という記述があった。ただ、星尾峠・余地峠は現在も徒歩道のままのようだ。

余地峠(長野県道・群馬県道108号)は武田信玄が軍用道として使い、星尾峠(群馬県道201号、群馬県星尾集落~長野県は立岩・荒船山の登山道となっている)は今の大河ドラマの主人公が度々通った道なんだそうだ。

両隣の峠と違い田口峠だけが冬期閉鎖しない車道として整備され(南にある酷道十石峠は閉鎖されちゃう)てはいるものの、こいつもとんでもない険道であるそうだ。コスモス街道(内山峠)があるので田口峠が今後大々的に改良されることもなさそうだし。

群馬県と佐久地方を結ぶ峠道は、矢川峠・内山峠・星尾峠・田口峠・余地峠・矢沢峠・大上峠・十石峠・武道峠となんかいっぱいあるけど、このうちの半分しか車道化していないらしい。 

 

そんな感じで栄えていた地域の豪族だった田口さんなのにあまり記録には残らず。

田口城は武田氏に落とされ、お寺の案内板にすら田口さんには触れていない。

「蕃松院の由来について」

  • かつての寺号は「明法寺」
  • 天正11(1583)年、田口城主・依田信蕃は岩尾城攻めで戦死
  • その子の松平(依田)康国は小諸城主となり、父の菩提を弔うため居館跡に堂宇を再建し、父の戒名から「蕃松院」と寺号を改めた
  • 江戸時代以降、田野口藩(大給藩・奥殿藩)の庇護を受ける
  • 天明6(1786)年から歴代藩主の位牌を安置している
  • 寛政2(1790)年、落雷のため本堂焼失
  • 文政5(1822)年、本堂再建
  • 寺の裏手には信蕃・信幸兄弟の墓と伝わる五輪塔があり、近年その下から愛刀らしきものが発見される

と書かれていた。

お寺の建立経緯には田口氏が1ミリも関わっていないので仕方ないのか。

 

田口氏は室町時代以降、豪族として当地を治めていたらしい。新海三社神社の神宮寺である上宮寺にたくさん寄進しているそうだ。

  • 田口長慶、天文5(1536)年の武田信虎の佐久侵攻に対して、村上義清方として海ノ口城を守る
  • その後、武田信玄に仕える
  • 田口長慶の子・田口長能は天文17(1548)年上田原の戦いで大敗した武田信玄から離反した。武田方の小山田信有に攻撃され、田口城陥落、本人も討死=田口氏滅亡
  • 相木(依田)氏が田口城主となる
  • (芦田)依田信蕃が田口城主となる

相木氏・依田氏に城主が変わってからも、館として機能していたようだ。

 

田口城の本郭には大井氏神の祠という古い祠が遺されているそうで。じゃあ歴代城主が大井氏と血縁関係があるのかと思いきや、田口氏も依田氏も関係があるような雰囲気でもなかった…。

大井氏は小笠原系で、依田氏は清和源氏なんだってさ。依田一族のうち芦田氏は大井氏の重臣になり、芦田氏から分かれた相木氏も同じく大井氏の重臣となった。大井氏は依田氏の主君筋であったが、大井氏宗家の滅亡ののち(宗家は滅んだが甲斐武田氏系の人が大井氏の名跡を継いだらしい)、両家とも独立したらしい。

田口氏は謎の一族らしいしなー。祠は誰が設置したんだろう? 

 

f:id:henrilesidaner:20220331102915j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331102902j:plain

仁王門より奥、お寺のお堂がある場所は少し高い。

f:id:henrilesidaner:20220331103017j:plain

仁王門は明治21(1888)年に建てられたもの。日本に曹洞宗をもたらした久我家(村上源氏の宗家)出身の道元の兄弟の子孫に当たる久我通久侯爵が扁額を書いたとあった。

f:id:henrilesidaner:20220331103053j:plain

お寺は賑やかだった。全体的に新しい雰囲気だった。仁王門も平成に改修しているそうで、本堂とかもあちこち手直ししているのかもしれない。

 

 

★★★★☆

中まで入ってみたかった。

 

 

<田ノ口館>

築城年 不明

築城主 田口氏?

龍岡城(田口陣屋)

f:id:henrilesidaner:20210801155544j:plain

家族の用事で佐久まで車で出かけた。中部横断自動車道初めて通った。

f:id:henrilesidaner:20220331092458j:plain

ついに欲しかった御城印を手に入れる日が来たのだ。

f:id:henrilesidaner:20220331092136j:plain

しかし日曜というのに、御城印を配布している施設は休みだった。ここは毎年8月1日お休みらしい。なんで?と思ったが、この日町の人達の多くがお墓参りをしている様子だった(戌の満水の墓参と少し時間が経ってから気付いた)。また出直します…。

 

龍岡城址が現在小学校となっていることは以前から知っていた。小学校だから部外者立ち入り禁止だと思っていたのよね。

f:id:henrilesidaner:20220331092649j:plain

この小学校は立ち入りを禁止ではなさそう? 休日なので学校には誰もいない。

 

f:id:henrilesidaner:20220331092729j:plain

幕末に許可を受け新築されたお城で、日本に二つしか無い西洋式城郭。もう一つは函館にあるやつ。

 

ここに新築された経緯は

  1. 三河奥殿藩の藩主は徳川家康の5代前の松平家当主松平親忠の次男の子孫である大給松平家で、信州1万2千石と三河4千石の領地を持つ。

  2. 大給松平家初代は先祖ゆかりの三河国加茂郡大給(6千石)を知行地としていたが、2代目が大坂の陣の功により、近畿地方に領地(1万石)加増となる。本拠は大給に置いたままにしたので大給藩の藩主家となる。

  3. 3代目のとき、近畿地方などの領地(1万2千石)と信濃国佐久郡田野口(1万2千石)を交換される。大給が山の中で狭いという理由で本拠地を三河国額田郡奥殿に移転し、奥殿藩となる。

  4. 幕末になり、領地の大半がある信濃国佐久郡田野口への本拠地移転が幕府に許可されたので思い切って洋風城郭にしてみた。当時の当主の松平乗謨は学問好きで西洋事情にも詳しかったらしい。龍岡藩となる。

  5. しかし、城郭としては未完成のまま明治維新となった。龍岡藩は財政破綻し廃藩。

 

こういうお城、15世紀のイタリアが発祥らしい。正式名称は星形要塞というようで発展してきた発展してきた砲に対して防御力を高めた形の要塞だそうだ。

  • 従来の高い城壁は砲で簡単に壊される為やめて、砲を撃ち込まれても崩れない厚い土塁を作る
  • 至近距離から大砲を撃たせないための広い堀を設ける
  • 堀の外側からも撃てないように土塁を傾斜付けて盛っておく
  • こっそり城に近づいてくる敵兵を城内から殲滅できるように死角を作らない

という構造となっている。また、高所からの攻撃に脆いため山間部には作らないことが前提。

龍岡城はすぐそばに山があり、山の上には田口城跡がある。田口城から大砲撃ち込まれたらおしまい。

五稜郭展望台も田口城に設置されていた。

そして、堀もしょぼい。土塁の高さもイマイチ。

f:id:henrilesidaner:20220331092420j:plain

置いてあったパンフレットにも「松平乗謨は早くから洋式築城に憧れていた」「高所からの攻撃に弱いことや当時の大砲の射程距離などは本人も分かっていた筈なので、この築城は一生に一度の夢を託したものであったとも言える」などと書かれてしまう。ちょっと切ない。大給松平家はお城を造れない格式の家なので、堀の幅も土塁の高さもこれが精一杯だったのかもしれない。

陣屋も建築するにあたり制限があるようで。石垣は低く、堀は浅く、櫓はダメ、塀に狭間も禁止、郭は一つだけが基本。内部は役所とか藩主住居程度で防御力が低い。敷地の面積とか立地とかも条件あったのかもしれないなー。お城造った人、最終的には陸軍総裁に就任したそうなので、このお城を造った経験が何かで生かされたかもしれない。

陣屋とはいえ、端っこはこんなのもある↓ 

 

これは龍岡城の枡形だったらしい。横を通り過ぎたが鳥居しか目立たず。近くの新海三社神社の参道かな? と思っていた。

龍岡城のパンフレットによれば新海明神下屋敷道という名前のようだ。「田野口村入り口」には土塁とか土手があったとあり、ここのことらしい。鳥居も随分年季の入ったものなので、幕末のお城造成と同時に造ったんじゃないかと思う。現在この部分を避けるように舗装路が続いている。

新海三社神社(新海明神)は佐久地方の総社だそうだ。古地図にも描かれているような、これより大きな鳥居(一の鳥居なのかなー?)が他の場所にあり、群馬県に向かう古道沿いにあった。

枡形に置かれた鳥居は佐久郡の集落沿いを結ぶ佐久甲州街道側にあり、新海三社神社には向かう少し大きめの通りという感じ。新海明神下屋敷路の両側には古くて重厚なお屋敷が建ち並んでいる。

 

御城印を配布している施設の辺りは、惣門と面番所・家老や中老の屋敷があったようだ。現在は↓

この門は明治とか大正期っぽい雰囲気よ。

 

f:id:henrilesidaner:20220331092640j:plain

小学校の入り口である大手門というか、大手橋。

f:id:henrilesidaner:20220331092703j:plain

松平氏発祥の岡崎市と提携したことを示す標。

f:id:henrilesidaner:20220331092742j:plain

すっかり字が読めなくなった石碑。

f:id:henrilesidaner:20220331092748j:plain

大きな石碑の後ろでひっそり打ち棄てられた小さな石標があった。

f:id:henrilesidaner:20220331092458j:plain

これも随分古そう。味わいがある字。龍岡城はこの地区のシンボルとして大事にされている。

f:id:henrilesidaner:20220331092502j:plain

大手には説明板が二つもあり、これ↑は相当古く見えるが文字が彫られているので読めた。

 

本城は文久三年旧龍岡藩主松平乗謨(後名伯爵大給恒)其の居城として九月工を起し
慶応二年十二月竣工我国に於ける欧式築城中五稜型の典型である
明治四年廃藩とともに廃城となり建造物は撤去させられ其の一部が小学校舎として使用されている
累濠に破壊せらたる所あるを以って修理を加え其の旧規を存す

注意
一、累濠を破損せざること
一、工作物 樹木等を損傷せざること
一、其の現状を変更せざること
昭和九年五月一日 文部省


昭和9(1934)年に国の史跡に指定されたようで、その時に掲げられたもののようだ。
 

f:id:henrilesidaner:20220331092804j:plain

この辺りはお城の正面なので、堀が綺麗。

f:id:henrilesidaner:20220331092640j:plain

橋を渡ってみる。

f:id:henrilesidaner:20220331092954j:plain

蓮で埋め尽くされていた。花は終わっちゃってるみたい。

f:id:henrilesidaner:20220331092426j:plain

堀の形が大分変だと思った。無理やり星形にしているせいだ。

f:id:henrilesidaner:20220331092429j:plain

石垣の高さは堀の底から3.4mだそうだ。一応?武者返しも設けてあり、石垣の上には土塁が2mちょっとの高さで盛られ、頂上の武者走りは幅2m程。この石垣は大手橋付近はしっかり造っているけど、大手橋の反対側(雨川側)に近づいていくと打ち込み接ぎ・堀が狭くなる→野面積み→堀は未完成と残念なことになっていく。

f:id:henrilesidaner:20220331093008j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331093021j:plain

橋を渡ると古い門柱があった。

f:id:henrilesidaner:20220331093024j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331093033j:plain

廃城後、小学校が設置されたのが明治8(1875)年。一瞬、龍岡城の門なのか、と最初思ったが。パンフレットには

  • お城一番の難工事は石垣で、当時の高遠藩が養成していた洋式築城石工を招いて3年をかけて造った
  • 採石した石を接合面を成形して積む切り込み接ぎで造られている
  • 大手橋付近は布積みで、大きめの石を積みあげ横目地が通り美しい
  • 砲台付近は石を六角形に加工し亀甲積みとしており、極めて美しい

と書かれていた。手前の門柱はやっぱり明治以降の物だろうなー。

布積みは強度がイマイチらしい。まぁ、このお城の立地条件そもそもイマイチだという評価だしな…。

ちなみに「砲台」は五角形の各先に造られる筈が結局一カ所しか出来上がらなかったようだ。

f:id:henrilesidaner:20220331093142j:plain

↑この写真の正面にある、旧校舎(元はお城の御殿の一部で、お台所だったそうだ)の裏辺りに砲台があるようだ。

 

 こんな場所らしい。道路は堀跡かねー?

f:id:henrilesidaner:20220331093140j:plain

図によれば御殿は校庭にあったみたい。

旧校舎の元台所も最初は、

f:id:henrilesidaner:20220331093134j:plain

現在と反対のこちら側↑にあったとか。

内部の建物は廃藩したときに国から取り壊しを命じられ、解体されたあとに一部お寺や一般の民家に貰われて移築されて残っているものもあるらしい。台所の建物は「小学校に使いたい」という申請が許可され、遺された。昭和4(1929)に現在地に移され、昭和35(1960)年に復元工事が行われ今に至るとか。

f:id:henrilesidaner:20220331093140j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331093112j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331093100j:plain

建物がない部分は土塁まで見通せるので。土塁がクネクネしているのよく分かる。

f:id:henrilesidaner:20220331093055j:plain

現在の小学校。近々閉校の予定だとか。小学校が閉校した後ここを史跡として何かしたいという議事録を読んだが、その中に150年分700冊ぐらいの陣屋日記があるという記述があった。それは欲しい研究家いるんじゃないかな…もったいない気がする。

小学校の通用門として使われている旧黒門もあったが、かわいらしい石橋が架けられ車もギリ通れる様子。
 

ここまで車で見に行ったけど、切り返して戻るのが難儀だったよ。

f:id:henrilesidaner:20220331093158j:plain

小学校の片隅、正門入ってすぐ右手には神社があった。

f:id:henrilesidaner:20220331093210j:plain

田口招魂社。

こちらにも龍岡藩主家・神社の縁起・田野口藩と幕府領と岩村田藩の領地内訳の図があったが、消えかけて読みにくい。藩主家の説明はそこら中に書かれているからまあいいけど。

元は藩運営に功績があった3人の藩主を祀る三社神社として城内に建立されていたものを、戊辰戦争(1868~1869)のときに戦死した4人を合祀し以後招魂社となったものらしい。戊辰戦争(のひとつである北越戦争)の後、現在までの戦死者もあわせ合計207柱の神様を祀っているそうだ。

大所帯。

明治2(1872)年招魂社となったようだ。万治元(1864)年に戦没者の身分を問わずすべて神として祀る櫻山神社が建立され、明治に入ると全国各地に戦死者を慰霊する「招魂社」が建てられるようになったそうだ。

長野県だと松代妻女山招魂社(妻女山陣場跡)と岩村田招魂社(岩村田城跡)と上高井招魂社(須坂藩陣屋跡)の3社が官祭招魂社として建てられ、次に私祭招魂社として田口招魂社など4社が建てられている。

f:id:henrilesidaner:20220331093306j:plain f:id:henrilesidaner:20220331093255j:plain

神社手前の狛犬の台座には

「揚宣」「威国」
と書かれており、右から文字を読んでやる感じの、戦前に設置されたような雰囲気だった。国威宣揚といえば、昭和15(1940)年の皇紀2600年記念事業関連で建てられたんだろうか? ってイメージ。

f:id:henrilesidaner:20220331093314j:plain

社殿は昭和28(1953)年に改築。狛犬達より新しいと思われる。

f:id:henrilesidaner:20220331093453j:plain

f:id:henrilesidaner:20220331093501j:plain

社殿の裏・右手も歪な土塁が続く。

土塁の上に桜の木を植えちゃっているので、樹木にも良くないし土塁下の石垣にも良くない状況だそうな。

f:id:henrilesidaner:20220331093557j:plain

とはいえ、桜が咲いたら風情があるねって思うよ。

 

 

 

★★★★☆

日曜だからすんなり入ることができたが、平日は変質者扱いされる…かも?

 

 

 

 

龍岡城

築城年 文久3(1863)年

築城主 松平乗謨(大給恒)

塩田城

f:id:henrilesidaner:20210715145256j:plain

10年ぶりに1人で飲みに行った。好物の馬刺しの店だよ。盛り合わせとかホルモン煮込みとかもあって、しこたま飲み食いしたよ。盛り合わせには、死ぬ前にもう一度食べたいと常々思っていたタテガミがあった。やったー。

何故か写真が上記のものしか残ってなかった。お酒は長野県内のものがほとんどで、焼酎の種類が少なく(もぐらが飲みたかった)、代わりに日本酒がっつり飲んでやったぜ。「美味い」以上の感想が出てこない。翌日、口内炎になった。食べ過ぎた。

 

f:id:henrilesidaner:20220208131223j:plain

塩田城だよ。ここは紫陽花で有名な場所らしい。

f:id:henrilesidaner:20220208131253j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131259j:plain

確かに紫陽花らしき植物が物凄く生えている。まだ咲いていないので観光客は皆無。

ローカル天気予報だったか、ここの紫陽花が見頃です! っていう小ネタを何年か前に見たような記憶がある。

周辺地図↓(※「現在地」とある場所は塩田城ではない)

f:id:henrilesidaner:20210611150220j:plain

 

wikiによると、

  • 長野県における中世城郭最大級
  • 昭和42(1967)年~昭和52(1977)年にかけて、発掘調査が何度か行われた
  • 鎌倉幕府第六代連署(執権に次ぐ要職で、現代風にいうと副総理の偉い人)北条義政が建治3(1277)年より当地に居住し、居城とした
  • 元弘3(1333)年、塩田北条氏は鎌倉にて滅亡(鎌倉幕府も滅亡)
  • その後の支配者は、村上氏→武田氏→村上氏→武田氏→真田氏→廃城

とあった。

財力ある一族が作ったので規模がでかいです。ということみたい。

f:id:henrilesidaner:20220208131316j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131328j:plain

ちなみに、塩田城に辿り着く前にうっかり前山寺に入り込んでしまった。

そして、この先行き止まりとなる(神戸川渓谷へ下る徒歩道らしきものもあったが、通行止めだった。凄く荒れているようだった)。

f:id:henrilesidaner:20220208131308j:plain

お城の入り口にも谷へ下りる通行止めの道があった。ココに出てくるのかな? こちら側だと荒れている風が感じられなかった。

山の奥へと道が伸びる。

f:id:henrilesidaner:20220208131339j:plain

非常に蒸しており息苦しく、またやたらと虫がいる。

f:id:henrilesidaner:20220208131342j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131357j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131506j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131517j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131523j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131532j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131604j:plain

ぽつんとお墓があった。

f:id:henrilesidaner:20220208131608j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131627j:plain

祠っぽいが、先ほどのお墓の近くにあったので…こちらもお墓かな?

f:id:henrilesidaner:20220208131654j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131712j:plain

窪地がところどころある。近くの集落から山の方までずっと、段郭がたくさん遺っているらしい。この辺も発掘されたのだろうか。

そして急に、植林されてる感じの場所に出た。

f:id:henrilesidaner:20220208131751j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131756j:plain

図にあった「発掘地点」だそうな。

説明板があった。

  • 昭和54(1979)年以前から何度も発掘調査が行われ、「虎の口跡」「空堀跡」などその特徴を確認してきた
  • 昭和50(1975)年から昭和52(1977)年度にわたり、3回の大規模調査が行われた
  • 調査地点は麓集落から数えて14段目の段郭
  • 建物跡や土器・陶器・磁器・金属製品(小銭や刃物類、釘等)・石製品(硯や石臼等)・木製品(塗物、曲物、箸みたいなもの、将棋の駒、人形、建築部材等)が見つかる

f:id:henrilesidaner:20220208131901j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208131808j:plain

発掘地点は自然に還りつつある。

f:id:henrilesidaner:20220208131909j:plain

そして更に奥へ。こういうフェンスがどうも苦手。

f:id:henrilesidaner:20220208132007j:plain

扉を開けて進む。軽トラ幅の轍が遺っている。鉄塔とかの施設でもあるのだろうか?

f:id:henrilesidaner:20220208132029j:plain

そして長野の山とは思えない感じの大きなシダ植物が現れ始めた。

f:id:henrilesidaner:20220208132045j:plain

フシギハナの葉っぱみたいだわ。デカい。調べて見たがオシダという植物かしらね? 

初めて見た気がするけど、長野県内の山間地にはよくある植物だそう。ブナ林帯で、笹が生育しづらい岩がゴロゴロしている場所にいるらしい。

f:id:henrilesidaner:20220208132033j:plain

確かに笹薮がない。

f:id:henrilesidaner:20220208132039j:plain

そうかと思えば竹が生育中だし。ちなみに、笹は寒冷地でも育つが竹は育たない(北海道には竹が生えていないそうだ)。

オシダ?は見た感じ亜熱帯風なんだけど、寒冷地のシダ植物だって。ここの湿気がすごいこともあって、アマゾンの植物だとしか思えなかったわ。

 f:id:henrilesidaner:20220208132056j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132102j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132123j:plain

分かれ道に来た。

右側は「虎の口を経て国時の墓」とあり轍がない。

f:id:henrilesidaner:20220208132125j:plain

左側は三島社へ向かう、轍有りの道。

f:id:henrilesidaner:20220208132131j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132141j:plain

まずは轍の残る三島社行きの道を通った。

f:id:henrilesidaner:20220208132155j:plain

遠くにお社が見えた。

f:id:henrilesidaner:20220208132202j:plain

この辺は下草がさほど生えていないようで、郭の様子が分かった。

f:id:henrilesidaner:20220208132219j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132232j:plain

家帰ってから知ったが、三島社の裏手に畝状の竪堀が五本あったそうだ。分からなかったわ。まあ雑草が繁っていて歩くのも難儀そう。

f:id:henrilesidaner:20220208132236j:plain

三島社は大山祇神を祀る神社だそうだ。山の神様だー。

お参りをする。

f:id:henrilesidaner:20220208132300j:plain

三島社からも道?があるようだ。怖いから行かない。

f:id:henrilesidaner:20220208132304j:plain

三島社の総本社である伊豆国三嶋大社源頼朝が篤く信仰したそうで、当然鎌倉幕府も崇敬されている。お城の守り神としてこちらに勧請されたのかな?

f:id:henrilesidaner:20220208132307j:plain

お城の石碑から三島社までが「御前」と呼ばれる区域で、城の中心部だそうな。

f:id:henrilesidaner:20220208132310j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132314j:plain

「御前」だけでもとにかく広い。きょろきょろすれば、至る所に郭らしき平場が見える。

f:id:henrilesidaner:20220208132334j:plain

 

f:id:henrilesidaner:20220208132410j:plain

先ほどの分岐点に戻った。

f:id:henrilesidaner:20220208132415j:plain

進んでみる。

f:id:henrilesidaner:20220208132423j:plain

例のシダ植物が増えてきた。お城入り口のフェンス辺りで「暑い、虫が多い」とイライラしていたのに、すっかり慣れてしまった。マスクは息苦しいので止めちゃったけど。

f:id:henrilesidaner:20220208132433j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132448j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132457j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132504j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132512j:plain

お城の中枢部である「御前」からは離れてしまったはずだけど、人工的な地形が続いている。

f:id:henrilesidaner:20220208132519j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132530j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132539j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132545j:plain

ちょうど左側に三島社が見えた。杉林を突っ切っても来られそうな気がした。

f:id:henrilesidaner:20220208132554j:plain

ここはよく見ると。

f:id:henrilesidaner:20220208132612j:plain

石積みしてあった。

f:id:henrilesidaner:20220208132620j:plain

崩れているけどさ。そういえば、入り口の図には三島社の上辺りから石垣がしこたま描かれていたな…。

f:id:henrilesidaner:20220208131328j:plain

どうやら石垣エリアに着いたらしい。

f:id:henrilesidaner:20220208132630j:plain

往時は凄かったんだと思うよ。土塁はいっぱい残ってる。

f:id:henrilesidaner:20220208132641j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132649j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132656j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132709j:plain

この場所はお城の本郭に向かう最終防衛ラインなのか分からないけど、すんごい迂回させられている。見通しも良くない。大きいシダ植物ばかり目に入り、とても気になる場所だった。

f:id:henrilesidaner:20220208132719j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132731j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132736j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132748j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132758j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132802j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132810j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132831j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132837j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132848j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132905j:plain

そして急に奥に平場が見えた。この辺りの石垣は崩れずほぼ原形を留めている。

f:id:henrilesidaner:20220208132911j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132919j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132925j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132930j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132935j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208132943j:plain

鎌倉時代に作られたものじゃないのかなー?

f:id:henrilesidaner:20220208132950j:plain

鎌倉時代にも石積みの技術があり、福岡の石築地というのが有名らしい。これは元寇の時に博多湾に整備された石塁だそうだ。モンゴルの2度目の襲来から国を守ろうとしたらしい。

石築地とはこういうの↓

 

ちょうど、塩田北条氏の祖がここに移住する前後(家祖の北条義政は執権の北条時宗を支える立場で、第1回目の元寇文永の役)辺りまでは政治の中心にいたようだ)に福岡の石築地が造られている。似たような感じに作ってみたのかな?

f:id:henrilesidaner:20220208132955j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133004j:plain

重要な場所なのか、説明板があったよ。

  • 塩田城跡「虎の口」
  • 塩田城跡は弘法山の北斜面にあり、塩田平を一望できる位置にある
  • 南北約700m、東西約80mにわたり20以上の段郭がある(「御前」のことらしい)
  • その北側には南北約700m、東西約200mの規模の集落があり、これはかつての侍屋敷の名残り
  • 現在「塩田城跡」という石碑が置かれている場所を境とし、南の弘法山に段郭(御前)、北側に集落(侍屋敷跡)がある
  • また石碑は空堀跡(長さ約180m、幅約20m)に置かれている
  • 「虎の口」は坂城の村上氏統治時代のものとされている
  • ここから更に登るといくつか小さい郭があり、北条時国と伝わる墓がある郭に到達する、その辺りが城跡の最高部
  • 「虎の口」は昭和43(1968)年、44(1969)年、45(1970)年と3回調査した
  • 戦国時代以前の石垣、城郭内最大の井戸などが発見されている

この説明板はお城入り口の図なんかよりずっと新しいようで、平成28(2016)年におかれたものだった。

f:id:henrilesidaner:20220208133008j:plain

ここにも見事な石塁が。

f:id:henrilesidaner:20220208133019j:plain

どれが戦国時代以前(室町時代ってこと?)の石垣なんだろう?

f:id:henrilesidaner:20220208133048j:plain

そして「虎の口」って虎口のことなのかな? って思ったけどむしろ城の最奥部に近いし、井戸もあるし、ちょっと違うのかな? 「虎の口」という言葉は極めて危険な場所とか事柄を意味するみたい。転じて重要な場所ってことなのかも?

f:id:henrilesidaner:20220208133055j:plain

この場所はまあまあ広いという感じ。井戸と最奥部の墓を死守します的な場所?

 

そういえば、道中あまり案内表示やピンクテープもなく、自分で何も考えていなかったのに、迷わず来られたわ。行き来する人が多くて道が明瞭なのかなー?

f:id:henrilesidaner:20220208133102j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133107j:plain

井戸あったー。

f:id:henrilesidaner:20220208133119j:plain

井戸の上にも郭らしき平場が見えるような。

f:id:henrilesidaner:20220208133123j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133130j:plain

まだ先があるので行ってみる。

f:id:henrilesidaner:20220208133141j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133149j:plain

なんか雑な感じがする。

f:id:henrilesidaner:20220208133157j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133213j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133216j:plain

でも道は分かるよ。

f:id:henrilesidaner:20220208133231j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133243j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133302j:plain

やっと案内表示を見つけた、非常に時代を感じるヤツだ。

f:id:henrilesidaner:20220208133310j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133325j:plain

道のまわりは急斜面で歩ける場所が決まっている様子。

f:id:henrilesidaner:20220208133331j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133351j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133416j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133436j:plain

落ちても怪我しなさそう。

f:id:henrilesidaner:20220208133508j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133545j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133557j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133612j:plain

やっとピンクテープ見つけた!

f:id:henrilesidaner:20220208133628j:plain

ただし、人が入って山を管理している風はない。自然のままにされてそう。

f:id:henrilesidaner:20220208133649j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133652j:plain

さほど時間かからずに、次の目的地に到着したようだ。

f:id:henrilesidaner:20220208133709j:plain

最奥はさっきの「虎の口」より広いみたい。

f:id:henrilesidaner:20220208133742j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133745j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133748j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133751j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208133811j:plain

お墓。

北条国時と子の俊時のものだそうだが、この2人は元弘3(1333)年元弘の乱における鎌倉での合戦で戦死しちゃったそうだ。だから、ここにお墓があるのは間違っていると思う…。実際のところも供養塔であり、故人がここに眠っている訳ではないらしい。

 

山の中なのに妙に日当たりが良く、とても明るい。龍の巣内にある歴代ラピュタ王の墓みたいな感じだった。塩田城域の一等地だと思われる。

やっぱり、ここまでお参り?に来る人が多いようで、お墓にワンカップなどお酒が何本も供えてあったよ。私もお参りしました。

f:id:henrilesidaner:20220208133815j:plain

お墓の上も何か広そうな場所があるよ。

f:id:henrilesidaner:20220208133849j:plain

ただ、この先はとにかく荒れているようだ。弘法山に行けるらしいが、とにかく険しいとか。

f:id:henrilesidaner:20210611141650j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611141653j:plain

さきほどのお墓みたいに明るくない。建物が建てられそうな程度広い。

f:id:henrilesidaner:20210611141657j:plain

 ちなみに、ここでオンボロデジカメが壊れた。お墓の呪いが発動か。

f:id:henrilesidaner:20210611141717j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611141758j:plain

弘法山の頂上まで塩田城の土塁やら砦やらが残っているらしい。山全体が要塞なのかな。「弘法山」という名前の通り修験道の修行の場でもあったみたい。

f:id:henrilesidaner:20220208131328j:plain

↑この図にも弘法山には石仏だらけのアレとして描かれている。

 

f:id:henrilesidaner:20210611141812j:plain

眼下にはお墓。

f:id:henrilesidaner:20210611141856j:plain

そして弘法山頂上方面。弘法山まで迷わず到達できる自信がないどころか、無事に下山できる気がしない。

ビビりながら下山します。

f:id:henrilesidaner:20210611141907j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611141941j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142024j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142134j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142153j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142156j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142218j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142313j:plain

こんな表示があった。ちょっと道は分からなかった。

f:id:henrilesidaner:20210611142357j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142411j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142426j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142430j:plain

「虎の口」到着。

f:id:henrilesidaner:20210611142507j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142513j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142526j:plain

石垣を抜けた。更に下る。

f:id:henrilesidaner:20210611142529j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142543j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142555j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142606j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611142607j:plain

ほぼ麓についたところで、突然デジカメが復活。

f:id:henrilesidaner:20220208135130j:plain

お墓に許してもらえたのだろうか…。静かに帰ろう。

f:id:henrilesidaner:20220208135150j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135203j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135216j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135240j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135242j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135305j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135318j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135343j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135421j:plain

無事にフェンスも通り抜けた。良かった。

f:id:henrilesidaner:20220208135623j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135626j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135659j:plain

f:id:henrilesidaner:20220208135703j:plain

「塩田城跡」の石碑も通り過ぎ、侍屋敷跡と言われる集落方面。

f:id:henrilesidaner:20220208135843j:plain

休耕地が広がる(田植え前なだけかなー?)。デカいお屋敷建てられる平地がたくさんある。

f:id:henrilesidaner:20220208135846j:plain

空堀跡の遊歩道(奥)と車道↓

f:id:henrilesidaner:20220208135854j:plain

遊歩道をせっかくなので歩いてみる。デジカメもまだ生きているし(お墓もこれぐらいなら呪ってこないかもしれない)。竪堀跡を探してみたい。

f:id:henrilesidaner:20220208140023j:plain

でもデジカメさんには休憩してもらうことにした。

 

f:id:henrilesidaner:20220208131328j:plain

入り口の図↑には龍光院に向かう道のようだったが、案内看板は塩田の館という施設を目指す表示となっていた。

f:id:henrilesidaner:20210611143620j:plain

塩田の館は塩田城の発掘調査の成果を展示している施設らしい。

f:id:henrilesidaner:20210611143624j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611143704j:plain

山の中のよくある道に見える。

f:id:henrilesidaner:20210611143719j:plain

途中、水が溜まっている箇所があった。

f:id:henrilesidaner:20210611143743j:plain

祠。移設されたものか、なんとなく新しいような気がする。道中安全祈願。

f:id:henrilesidaner:20210611143800j:plain

なんとなく竪堀を探しているものの、それらしきものが分からず(夏草でもう見えないよ)。

f:id:henrilesidaner:20210611143826j:plain

f:id:henrilesidaner:20210611143849j:plain

ちょっと舗装(石畳)され始めた。

f:id:henrilesidaner:20210611143916j:plain

道は山裾に沿うように曲がる。

f:id:henrilesidaner:20210611143942j:plain

完全に畑の畦道化した。

f:id:henrilesidaner:20210611144019j:plain

井戸らしきものを発見。ただの井戸ではなかったようで、説明板があった。

  • 大昔、偉いお坊さんが旅の途中にふと見つけた泉に映る中秋の名月を見て「月餅のようだ」と呟いた
  • 故郷の中国を思い出したのか
  • 月餅は中国のお菓子で、丸い物は幸運を呼ぶと大変喜ばれている
  • 里の人々はこの泉を「月餅」と呼び、大切に守っている
  • 干魃の時でも泉は枯れないと伝わる

坊さん、単にお腹空いていたのでは? という微妙なエピソードだわ。

f:id:henrilesidaner:20210611144036j:plain

やっぱり井戸に見えてしまうしねえ。

 

ただ、中国から来た偉いお坊さんが泉を通りかかって呟いた話は生々しい印象を受けた。坊さんは実在してそう。

月餅の先は細長く何処までも続く階段とぶつかった。

f:id:henrilesidaner:20210611144120j:plain

右も左も、大人1人だけが通れる程の幅の階段。

f:id:henrilesidaner:20210611144128j:plain

両側は1m程度の生け垣で、ちょっとした圧迫感がある。

まさかこれが竪堀ではないよね?

ちょっと登ってみたら鐘撞き堂が見えた。龍光院の参道らしい。

 

後で調べたところ、龍光院は塩田北条氏の菩提寺だそうで初代の北条義政さんを供養するため2代目が建てたお寺。初代のお墓があるそうな。細長い参道の先っぽい。つまりこれはお墓参り用の道として造られたんか?

元来た道へ引き返した。

f:id:henrilesidaner:20210611144407j:plain

竪堀がありそうな場所なら↑ここ? と思ったけどもう草ボウボウで!

 

 

★★★★☆

弘法山まで登るなら、一日潰す覚悟で来た方が良さそう

 

<塩田城>

築城年 建治3(1277)年以降

築城主 北条義政

小諸城大手門+鍋蓋城

ついに御城印を集め始めた。春に龍岡城の御城印が発売されたというのを最近知ったからだ…最終的には鮫ヶ尾城の御城印が欲しい(あれは私が喜ぶ内容だわ)。

 

上田城に行った。上田城の御城印は印刷ではなく、手書きだった。気合い入ってる! f:id:henrilesidaner:20210613111238j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613111125j:plain

真田神社では茅の輪くぐりしてきた。御朱印を求めてやってくる人が多いようで、御朱印帳片手の観光客いっぱいだった。

f:id:henrilesidaner:20210613110015j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613105954j:plain

 

 

上田行った理由がコレ↓なんだけどね。信州の土木カード第3弾。

f:id:henrilesidaner:20210613152923j:plain

取り組みやすい範囲。

 

その後は電車で小諸へ。

途中の駅で凄い物あった↓

f:id:henrilesidaner:20210613113832j:plain

化学泡消火器じゃないの!? 実物を初めて見たわ。ボロボロだけど。中の構造までバッチリ見えるぞ。しかし何故あんなところに?

 

小諸到着。

f:id:henrilesidaner:20210613121503j:plain

小諸での目的はご飯。とても美味しかったです。

テラス席にした。ハーブの良い匂いがただよって居心地が良かった。

f:id:henrilesidaner:20210613115945j:plain

 

そして懐古園小諸城)へ。

f:id:henrilesidaner:20210613124436j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613124511j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125354j:plain

さらーっと天守閣跡登って。

f:id:henrilesidaner:20210613125412j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125445j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125500j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125523j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125550j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125751j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613125820j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613130412j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613130429j:plain

さらーっと水の手展望台へ。

f:id:henrilesidaner:20210613130554j:plain

今は橋かかっているが、元の構造は違うらしい。

f:id:henrilesidaner:20210613130636j:plain

水の手不明御門跡という案内板があったい。

後に(大手門のところで)教えてもらった話だが、ここには開かずの門があり城が落ちるヤバイと切羽詰まったら城主が逃げるところなんだって。

f:id:henrilesidaner:20210613130654j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613130713j:plain

下の石にはブツブツがついている。どういう理由のブツブツなのか分からず(滑り止めとかでつけたのか、水滴が穿ったのか、単なるデザインなのか…)。

門の礎石が見当たらなかったが、橋の下にあるのかな?

f:id:henrilesidaner:20210613130614j:plain

本来は横の階段から登るようだ。

ただ、いざ逃げる時ここからどうやって崖下へ下りるんだろう? みたいな場所。

f:id:henrilesidaner:20210613130726j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613130738j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613130751j:plain

眼下は千曲川だよ。とても低く見える。

 

f:id:henrilesidaner:20210613131726j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613131835j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613131855j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613132105j:plain

さらーっと歩いた。三の門は崩れちゃったようで、工事中。

f:id:henrilesidaner:20210613132548j:plain

 

時間があったので、大手門まで行った。

f:id:henrilesidaner:20210613132912j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613133121j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613133145j:plain

櫓のところ、開いてない?

f:id:henrilesidaner:20210613133155j:plain

こちら側はがら空きだけど。

f:id:henrilesidaner:20210613133200j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613133208j:plain

反対側は兵士配置出来るみたい。狙われてるー。

f:id:henrilesidaner:20210613133225j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613133230j:plain

どうやら上登れるらしい。何かやっているみたい。

f:id:henrilesidaner:20210613133256j:plain

行ってみた。

 

内部は資料室だった。ボランティアの方が居り、小諸城と大手門とかの説明をしてもらった。

  • 大手門は四の門とも言われ、お城の入り口の門でもある
  • 明治維新後民間に払い下げられ、大手門は料亭となる
  • 他の門は買い手がつき移築されたものがほとんどだが、三の門は大きすぎて移せず
  • ちなみに水の手展望台の不明御門は買う者がいなかったそうだが、現在は所在不明
  • 料亭のあとは学校とか図書館としても使われたあと所有者から市へ寄贈された
  • 国の重文指定を受け、改修した
  • 図面が遺っていたので、江戸時代当時のものに復元した
  • 建材も当時のものをなるべく使用
  • 大手門の中には三の丸などがあったが、面影はなし(さっき食事した場所とか含まれる広範囲な郭)
  • 今は小諸城内の雰囲気ない、なぜなら信越本線でぶった切られ駅前として開発されたから
  • 大手門は小諸城内の他の門(三の門とか)と違い、往時から瓦葺き
  • 古い形式の門で、東日本だとあとは弘前城の門ぐらいしか遺っていない
  • 小諸城の原形はこの近くにいた人(名前は言わなかったが大井氏だと思う)だが、武田氏がやってきて作り替え、最終的には仙石秀久が整えた

大手門の櫓内部に地図があり、「ここにいた人がー」と屋敷を構えた場所を教えてくれた。

 

その後、小諸城が酷い水害に遭い三の門が壊された話(聞いたら、戌の満水だった)、三の門近くの徴古館は本丸御殿を模している話とか、

↑徴古館

懐古園料金所近くは本来もっと石垣が狭くなっており、敵がわっと押し寄せないようになっていたとか、水の手展望台は城主が逃げる最終手段である場所とか。

そういう話を聞いたよ。

 

f:id:henrilesidaner:20210613140132j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140153j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140222j:plain

↑こっちの方角に館跡があるはずなので行ってみる。

 

f:id:henrilesidaner:20210613140342j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140347j:plain

布引トンネルの看板あった。

f:id:henrilesidaner:20210613140409j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140428j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140445j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140504j:plain

塀に狭間が設けられた民家が見つかった。

f:id:henrilesidaner:20210613140513j:plain

どうやらココらしい。人が住んでいる?

塀の狭間は昔からあるものなのか、わざわざ作ったものなのか…。ちなみに横から見たら普通の家だった。

門にこの場所の説明が書いてあった。

  • 1487年、大井光田忠により作られた鍋蓋城跡
  • 小諸の街中に初めて出来た城
  • 武田氏統治下では鍋蓋城を取り囲むように街道が作られた
  • 街道沿いに人を移して城下町を形成
  • 同時に小諸城の原形も作られた
  • 江戸時代には小諸藩城代家老(家臣の中で一番身分が高い)の屋敷として使われた
  • この屋敷の石垣は小諸城の城郭であり、また武家地と町人地を仕切るものでもあった
  • 現在の建物は昭和に宿泊施設として建てられたもの(非公開)

説明書きには古い地図と現在の地図を重ね合わせたものも載せられていた。見た感じ、家老屋敷の敷地の真ん中を今立っている道路が貫いている。狭間を設けた塀は後付けだね。宿泊施設の雰囲気作りのために作ったわざと狭間を設けたのかな。

布引トンネルの制限云々の道路標識辺りも鍋蓋城の範囲かもしれない。

 

鍋蓋城から小諸駅まで戻ったが、ここらは江戸時代に武家地だった場所と思われる。

f:id:henrilesidaner:20210613140842j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140955j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613140904j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613141002j:plain

工事中。公園を拡張しているようだ。工事の内容は「町並み保存」らしい

一帯に遺っている建物は明治後期に作られた商家っぽい。その商家を保存する事業を行っているようだ。

f:id:henrilesidaner:20210613141019j:plain

f:id:henrilesidaner:20210613141053j:plain

よく見れば商家の造りしてるじゃない。

f:id:henrilesidaner:20210613141117j:plain

この周辺は「禰津曲輪」「馬場」があったが、大手門で教えて貰ったとおり鉄道で懐古園と切り離され、駅前開発されたためにこういう風に商家が立ち並んで小諸城内の面影がなくなったということかー。なんかもう「うちは大昔から町人地でしたよ?」みたいな感じだよ。


★★★☆☆

一番気になったのが、化学泡消火器と鍋蓋城の名前の由来

 

 <鍋蓋城>

築城年 長享元(1486)年

築城主 大井光忠

小坂城

f:id:henrilesidaner:20211204133900j:plain

架道橋を見に行ったのに花見客のふりをした日から三日後。まだ少し咲いていたものの見物客もおらず。代わりに鉄道マニアが電車の写真を撮っていた。

f:id:henrilesidaner:20211204134037j:plain

小坂城はここから上がっていくらしい。

f:id:henrilesidaner:20211204134059j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134108j:plain

見知らぬ墓場を通っていくので何か変な感じ。墓参りするような雰囲気だよ。

f:id:henrilesidaner:20211204134131j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134219j:plain

墓場の中を表示の通りに歩いていく。いよいよ山道となる。片隅に看板があった。有名な人のお墓らしい。

  • 小林迎祥
  • 安政6年 稲荷山に没す
  • 54才

ざっくり↑のようなことが書いてあった。誰? なんか寺子屋の師匠で俳人の方らしい。この辺の有名な人なのだろうか。

その墓からピンク色のテープを辿っていく。

f:id:henrilesidaner:20211204134253j:plain

登山道はこのような雰囲気だった。急に変わったよ。それなりに人の手が入っているらしく、荒れていなかった。

f:id:henrilesidaner:20211204134308j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134330j:plain

それでも獣道みたいなもんだけどねー。

f:id:henrilesidaner:20211204134346j:plain

笹ゾーンを1,2分進むと視界が開けた。笹藪は墓場と城を隔てる門みたいな役目なのかな? 笹ゾーンを過ぎればただの、その辺によくある里山

f:id:henrilesidaner:20211204134423j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134450j:plain

里山にありがちな倒木だって勿論ある。

f:id:henrilesidaner:20211204134508j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134539j:plain

まだロクに進んではいないものの、親切なピンク色のテープはそこら中にあり、道を迷うこともなさそう。

f:id:henrilesidaner:20211204134614j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134636j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134654j:plain

↑下界の見え方

f:id:henrilesidaner:20211204134705j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134730j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134735j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134807j:plain

最初の笹藪は多少の不気味さがあったものの、それさえ過ぎてしまえば登る易い山だと思った。

f:id:henrilesidaner:20211204134815j:plain

景色は普通で、珍しさもない。春先だけど花は全く咲いていないし(この時期山にありがちな水仙がいない。春の山は水仙が咲いている印象を持っているけど、私の頭がおかしいだけで、普通は咲いていないものなのかねー?)。

f:id:henrilesidaner:20211204134823j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134838j:plain

ダラダラと単調な登り道が続いていく。

f:id:henrilesidaner:20211204134843j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134914j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134919j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134923j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204134949j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135013j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135017j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135039j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135113j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135133j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135146j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135214j:plain

何かありそうで、何もない山道。ちょっと飽きてきた頃、ようやく何か怪しげな風景に出くわした。

f:id:henrilesidaner:20211204135220j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135255j:plain

何かあるのかなー? 平場っぽいんだけど。

f:id:henrilesidaner:20211204135303j:plain

だいぶ高くまで上がってきており、そろそろ城域に達するのかな! とワクワクした。

f:id:henrilesidaner:20211204135324j:plain

しかし上の平場までまっすぐな道ではなく、何故か迂回して進まされている。

(後で調べたところ、頭上に見える平場っぽいやつ、やっぱり段郭の一部だったようだ)

f:id:henrilesidaner:20211204135333j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135400j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135430j:plain

これはもしかして、私のワクワクを裏切る自然地形かしら? トキメキを返して欲しいな。平場はあっという間に越してしまった。

その後、またしても怪しげな平場らしきものが頭上に現れた。今度こそ何かあるのかな?

f:id:henrilesidaner:20211204135448j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135511j:plain

ここでもやはり迂回するような形で道が続く。

f:id:henrilesidaner:20211204135530j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135555j:plain

地形と歩いてきた道の関係がよく分からんので、どう歩かされているのかこんがらがってきたわ。

f:id:henrilesidaner:20211204135613j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135624j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135642j:plain

カーブした道の先が急に怪しいよ。これは期待してもいいのかな! 虎口に見えちゃう。

f:id:henrilesidaner:20211204135656j:plain

ウキウキしますよ。

f:id:henrilesidaner:20211204135707j:plain

杉の木がたくさん植えてある、雑木林だった。地形がおかしい、多分郭だな。

f:id:henrilesidaner:20211204135717j:plain

私の天敵・杉がこんなにも!

f:id:henrilesidaner:20211204135736j:plain

ちなみに、杉の近くにいても離れていても花粉症の症状自体はさほど変化がない。考えてみれば春は「杉ヤバイ」という理由で山を避けていたが、それは意味の無い行動だった。

f:id:henrilesidaner:20211204135743j:plain

それなりに広い郭だった。最初に見た変な平場はここだったのだろうか…もう方向感覚おかしいのでよく分からない。

f:id:henrilesidaner:20211204135747j:plain

なんとこの郭には石垣もあった。

f:id:henrilesidaner:20211204135752j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135803j:plain

崩れてボロボロである。

f:id:henrilesidaner:20211204135812j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135819j:plain

石垣は奥の方が綺麗に残っていた。

f:id:henrilesidaner:20211204135849j:plain

こういう場所は蛇いそう。足がないのに動きが素早い蛇もまた、私の天敵である。

f:id:henrilesidaner:20211204135841j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135825j:plain

あまりに綺麗なので、放棄された耕作地風でもある。この郭跡、人の手入りまくりの様相だしな。

f:id:henrilesidaner:20211204135856j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135900j:plain

↑おそらく本郭方面。分からない感じの地形だよ。見張り台かな?

f:id:henrilesidaner:20211204135923j:plain

古墳みたいだよ。

f:id:henrilesidaner:20211204135911j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135944j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135952j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204135955j:plain

ここには郭が3,4個くらいありそうだけど、結構な勢いで崩れている。また杉の枝葉なのか枯れたシダなのか分からんヤツで地面がフカフカしており、足下も不明瞭。石垣は見事だよ。

f:id:henrilesidaner:20211204140004j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140010j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140015j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140122j:plain

郭を出て、元の道に戻った。

f:id:henrilesidaner:20211204140133j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140154j:plain

そういえば、龍洞院からの登り口には「小坂城」の表示があったものの、以降見かけていなかったな。ここもどう見ても郭だけど、特に表示が無かった。小坂城は千曲市の史跡に指定されているけど、入山城みたいな扱いで「史跡には指定したが、それ以上はなにもない」感じで、説明板もなく整備されてもいない状況なのかしら? もっとも入山城は入り口に表示もなかったしなー。

f:id:henrilesidaner:20211204140200j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140209j:plain

あんなところにも石垣あるぞ。

f:id:henrilesidaner:20211204140213j:plain

下の広い郭で見上げてた変な地形がここにある↑

どうやら本郭みたいだ。

f:id:henrilesidaner:20211204140224j:plain

下の郭も広かったが、こちらは更に広い雰囲気ある。

f:id:henrilesidaner:20211204140237j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140248j:plain

蛇いそう。

f:id:henrilesidaner:20211204140316j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140319j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140323j:plain

さっきの郭の石垣同様、本郭周りも非常に綺麗。ピシッとしている。

f:id:henrilesidaner:20211204140335j:plain

そして、到達した。

f:id:henrilesidaner:20211204140339j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140345j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140401j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140408j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140418j:plain

先ほどの郭達が見える。本郭から見れば、ここもクッキリ残っているのね。

f:id:henrilesidaner:20211204140422j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140431j:plain

とはいえ、崩落している箇所も多い。

f:id:henrilesidaner:20211204140437j:plain

さて本郭内部の様子は。

f:id:henrilesidaner:20211204140450j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140505j:plain

さっきの郭とは違い、新しめの木柱が立っているぞ。

f:id:henrilesidaner:20211204140520j:plain

入山城とは違うね!

f:id:henrilesidaner:20211204140528j:plain

蟹沢川というのがあり、そっちからも登れたらしい。大手道は龍洞院からの道である。

f:id:henrilesidaner:20211204140541j:plain

また、立派な説明板まで備えている。最初「ちゃんとしていないタイプの城かな」って思っちゃってごめん。

 

小坂城址

  • 建武2(1335)年の「船山の乱」で、官軍(小笠原貞宗軍)が勝利し塩崎・桑原は小笠原氏の所領になった
  • 塩崎城主・赤沢氏は村上氏に備え、土豪桑原氏(左近大夫)を小坂城主として置いた
  • 陣ヶ窪番城址は小坂城の外廊
  • 天文22(1553)年の合戦の後、当地は武田領となる
  • 小笠原氏に対抗するため、小坂城に保科義昌を置く
  • 保科氏は清和天皇後裔・井上頼秀の子孫である
  • 井上忠正が保科に移り、保科氏と称した
  • 忠正より六世が保科正利で、その子・正則と共に永享年間(1429~1441)村上顕国と戦ったが敗れ、伊那郡高遠へ落ち延びる
  • 正則の弟・保科左近尉は永禄年間(1558~1570)の始め頃、武田氏の配下となる
  • 天正10(1582)年、武田氏滅亡後に上杉景勝が本郡に侵攻し、保科氏は上杉氏に降り小坂城は上杉に帰す
  • 保科義昌が保科正則の弟と同一人物かは不明
  • 小坂城は篠山の南東側にあり、東に竜川・西に地獄沢が流れる
  • 標高640mにある本郭は周囲141m、46m×29mの広さ
  • 戦後、耕作されたために原形をとどめていないが、水源を西に流れる蟹沢から取っている
  • 本郭の南側と西側にはいくつか郭があり、当時の石垣も存在し壮大な城址を思わせる
  • また、数多くの掘割により、仕切られている

f:id:henrilesidaner:20211204140645j:plain

建武2年の「船山の乱」とは、青沼合戦のことを指しているようだ。現在の千曲市役所付近で起こった合戦。中先代の乱というのに含まれるようだ。身内が以前うちで昔の大河ドラマ太平記を見ており、私も少し見てたけど、主人公がぼんやりした人だった。ドラマの内容は、主人公が糞だなーという感想以外忘れちゃったよ。もう頭に残らないくらい話がややこしくて難しかったんだと思うよ!

 

青沼合戦は建武の新政に不満を持つ四宮氏や保科氏などが船山守護所を襲撃し、それを小笠原貞宗の軍勢が鎮めるという内容らしい。この青沼合戦自体が陽動作戦だったのか、小笠原軍を引きつけている間に松本市内の国衙北条時行諏訪氏の軍が襲い、そこで勝利したのち鎌倉へ進軍した。

四宮氏は信濃国四宮ともされる武水別神社の神官家一族だったらしい。武水別神社は元々聖山の頂上にあったそうだが、現在地に移転している。wikiには白助五万長者)との関係を匂わせる記述があったよ。四宮氏は諏訪氏と繋がりがあるそうで、保科氏も一説には諏訪氏系とされる。両者親戚かも? ということのようだ。田舎だからか血縁が濃いのかなー?

青沼合戦は小笠原氏勝利なので、負けた側の領地を接収したようだ。小笠原氏傍流の赤澤氏(この時の赤沢氏当主の赤沢経興という人は小笠原貞宗の従兄弟に当たるそうだ)を伊豆国から呼び寄せ、新しく得た領地を統治させたみたい。赤澤氏の新しい館は筑摩郡浅間郷(松本市内)に建てられたが、四宮氏の領地も併せてもらったようだ。塩崎に居城の塩崎城を、桑原に小坂城を築いて小坂城には地元の土豪・桑原氏を置いている。

赤澤氏は小笠原宗家にとって執事みたいな一族のようで、小笠原=信濃守護、赤澤=信濃守護代という関係の家柄。赤澤氏は信濃国人衆との戦いに敗れたり、小笠原氏の内紛に巻き込まれたりで、弱体化したようだ。

 

あと、説明板の文中にある「陣ヶ窪番城」が何を指しているか分からない(外廊ってなんだろうね…)。

f:id:henrilesidaner:20211204140704j:plain

「天文22年の合戦ののち、武田領となる」という内容については、村上義清を破り武田氏が信濃平定を果たしたことを指しているようだ。同年には第1次川中島合戦も勃発している。

f:id:henrilesidaner:20211204140708j:plain

急に出てきた「保科義昌」が小坂城の城将となったようだが、この人は武田氏の家臣らしい。小笠原氏に対抗(ただ、その小笠原氏も武田氏に敗れ、信濃国から出奔しているから脅威になるのかね?)し、守備を固めるために保科義昌がきたらしい。

その後は保科氏の出自とかダラダラと書いてある。青沼合戦で四宮氏と一緒に小笠原氏と戦った保科氏のことらしい。

 

  1. 保科氏は須坂の井上氏(信濃源氏)の傍系だが、正則の代で村上氏に敗れ高遠に移住
  2. 正則の子・正俊は諏訪氏に仕官し、頭角を現す
  3. 正則の弟・左近尉(左近将監)は武田氏に仕える
  4. 天正10年武田氏滅亡→上杉氏が信濃侵攻→左近尉は上杉氏に仕える
  5. 小坂城は上杉氏支配となる=保科義昌が城を預かる
  6. 正則の弟=保科左近尉が保科義昌かどうか分からない

 

ざっくりと↑こうだった。

系図を見ると、正則の子に正俊と正保(左近将監)という人物がいるようだ。正俊の直系は飯野藩祖となり、正保の方は真田家家臣と書いてあった。私が見た系図には保科義昌という人物はいなかった。

他のサイトでは、保科正則の弟左近将監は村上氏→武田氏→(織田家家臣の)森氏→上杉氏と主君を変えたが、その間変わらず保科を領した、とあった。正則時代に高遠移住する系統・保科に残った系統と2種類あるらしい。

保科正則が高遠に移住した理由は「保科正利の弟が伊那の藤沢村に領地を得て引っ越しているため、彼らを頼ったから」のようだ。

 

また、この説明板は間違い多めらしい。文中の「永享年間(1429~1441)」ではなく「長享年間(1487~1489)」に村上顕国に敗れた保科正則が移住、が正しいようだ。上杉家に仕えている保科氏としては保科豊後守正信という人が稲荷山城代になっていた。この人は保科家の系図には出てこない。その後は上杉家の会津引っ越しについていった保科一族(たぶん保科豊後守正信の子孫)と、居残り組(保科正保の直系子孫で真田に仕えた一族)とまた分かれていったようだ。分裂しすぎだわ。

 

f:id:henrilesidaner:20211204140745j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140751j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140802j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140817j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140822j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204140827j:plain

↑古墳みたいに見えたヤツだ。

f:id:henrilesidaner:20211204140838j:plain

↑眼下には崩れた石垣の残骸。

 

f:id:henrilesidaner:20211204140849j:plain

北側には深い堀。

f:id:henrilesidaner:20211204140917j:plain

下りる道があった。地図によれば↓

f:id:henrilesidaner:20211204140541j:plain

この先にも郭がたくさんあり、一番北には「頂上の郭」というものがあるらしい。

f:id:henrilesidaner:20211204140942j:plain

堀は4間(約7m)の高さだそうな。

f:id:henrilesidaner:20211204140950j:plain

この看板の「小坂山」が頂上の郭だろう多分。25分かーどうしようかな、行くかな(当日ハイキングのハシゴをする予定だった)、と悩んだが。せっかくなので行くことにした。また登るのが嫌という理由で。

 

f:id:henrilesidaner:20211204140954j:plain

細い道だったよ…。

f:id:henrilesidaner:20211204140958j:plain

堀をよじ登り。

f:id:henrilesidaner:20211204141022j:plain

尾根伝いを進む。

f:id:henrilesidaner:20211204141028j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141042j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141047j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141056j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141100j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141115j:plain

もう目印のピンクテープはほぼないけど、なくても道が分かる。

f:id:henrilesidaner:20211204141120j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141128j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141141j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141157j:plain

相変わらず人間には出くわさないが、それなりに人が通っているのだろうか。

f:id:henrilesidaner:20211204141208j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141213j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141219j:plain

尾根の両脇はずっと斜面。

f:id:henrilesidaner:20211204141235j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141330j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141349j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141400j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141416j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141427j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141433j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141448j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141506j:plain

なんだアレは。進んでみると、入り口らしかった。

f:id:henrilesidaner:20211204141541j:plain

立派な門構えですね!

f:id:henrilesidaner:20211204141551j:plain

門の先は明らかに人の手が入っている。

f:id:henrilesidaner:20211204141558j:plain

連続した郭がある場所に到達したようだ。何故門があるのだろう…? ここから本郭に向かう道ですよ、という意味かしら?

f:id:henrilesidaner:20211204141603j:plain

後ろを振り返り、門を見れば。背後の変なこんもりしている山?みたいなのも、なんか怪しい。あれも人工物なのだろうか。巨石の陰に隠れている兵にブスッとされそうな。見通し悪くて気持ちも悪い。

f:id:henrilesidaner:20211204141617j:plain

堀が見えてきたようだ。図には、郭×4・堀割×3の表示があった。門の表示はなかったので、何か割愛されている気がする(門の周りだって色々あったのにさ)。

f:id:henrilesidaner:20211204141630j:plain

木が倒れている。

f:id:henrilesidaner:20211204141633j:plain

本郭北側の7mの堀に比べれば浅いが、それでもなかなかの深さ。

f:id:henrilesidaner:20211204141646j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141650j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141700j:plain

2つめ。

f:id:henrilesidaner:20211204141712j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141722j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141738j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141756j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141814j:plain

3つめ。

f:id:henrilesidaner:20211204141837j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141844j:plain

4つめ。

f:id:henrilesidaner:20211204141859j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141923j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204141943j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142007j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142032j:plain

少し歩いて、5つめ。

f:id:henrilesidaner:20211204142054j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142117j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142122j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142143j:plain

どうやら、この堀が最後だったようで。

f:id:henrilesidaner:20211204142154j:plain

また普通の山道に戻った。

さっきの連続堀切と本郭の雰囲気が違う気がする。後付けなのかなー?

f:id:henrilesidaner:20211204142218j:plain

尾根を歩いて行く。

f:id:henrilesidaner:20211204142258j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142319j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142324j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142352j:plain

頂上の郭というものが現れない。

f:id:henrilesidaner:20211204142444j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142456j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142517j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142532j:plain

堀なのかなー? 自然地形なのかなー? とりあえず怪しむが、だいたいが自然由来だろうと思う。

f:id:henrilesidaner:20211204142539j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142551j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142601j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142619j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142647j:plain

平場あった。何かに使えそうだけど? もう分からないや。

f:id:henrilesidaner:20211204142722j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142755j:plain

急に出てきた注意。

  • 小坂城址・龍洞院方面に行かれる方はこれより先、下り坂・左側急斜面・足下は凝灰岩で滑りやすく危険
  • 「昔から怪我と弁当は自分もち」です

だそうだ。

小坂城方面から来たから知ってる…。結構強めな警告だよ、危ない場所だったのかな。

で、看板の裏に何かあった。

f:id:henrilesidaner:20211204142759j:plain

回り込んでみる。

f:id:henrilesidaner:20211204142806j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204142818j:plain

祠だった。山の頂によくあるやつ。

頂上の郭に到着したようだ。

f:id:henrilesidaner:20211204142824j:plain

ご丁寧に三角点まである。

郭にしては非常に狭い。てっぺんの周りの方が広い。

後で知ったけど、このすぐ下辺りに桂馬平と呼ばれる場所があるようだ。名前からしてお城の一部じゃないの? 

f:id:henrilesidaner:20211204142828j:plain

むしろ、見えてる平場が桂馬平じゃなかろうか?(すぐ近くらしい) 先達の山歩き記録によれば、人工的な段差がいくつもあったとか。

f:id:henrilesidaner:20211204142902j:plain

頂上の郭=見張り台という位置づけらしいが、本当にその通りだわ。特に、松が生えてる盛り土のあたりとか。でも見張り台作るほど開けて見通せるかというと、そこまででもないような?

 

また注意看板の内容から察するに、どこからかこの祠を経由して小坂城・龍洞院にいけるようだった。これも後で調べたことだが、越将軍塚古墳からここまでの道があったようだ。ひょっとしたら塩崎新城からも来られたかも。

ここから先「遊歩道」的なものが存在していて、標識なんかも整備されていたけど、現在は荒れ果ててしまった様子。

祠があるぐらいだから相当昔からある道路を遊歩道にしたのかな? どことどこを結んでいる道だったのかは分からなかったわ。

 

f:id:henrilesidaner:20211204142946j:plain

見張り台やこの先にあった郭&堀も、塩崎新城から来る敵を警戒しているとかなのかね? 「頂上の郭」周りは兵士おけそうな場所もあるし。

この場所、頂上にしてはさほど見晴らしイマイチ。景色が良い場所だと「急に隕石が落ちてきて全部燃える」という妄想でひとしきりぼーっとして、日頃のストレスを解消することも出来るのに、ここではそれが叶わなそう。

 f:id:henrilesidaner:20211204142952j:plain

先に進むつもりはないので、ここで折り返し。

 

f:id:henrilesidaner:20211204143010j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143037j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143117j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143157j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143220j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143222j:plain

一度通った道だからかすごく早く通り過ぎている気がする。この後の予定もあるし、夕方で少し肌寒くなってきたせいもあるかもしれない。

f:id:henrilesidaner:20211204143248j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143303j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143314j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143357j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143438j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143534j:plain

あっという間に連続堀切に到達。

f:id:henrilesidaner:20211204143614j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143638j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143659j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143733j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143741j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143807j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143844j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204143944j:plain

例の門も見えてきた。

f:id:henrilesidaner:20211204144009j:plain

初めてこの区間を通る人は、頂上の郭の注意書きの通り、キツいかも。

f:id:henrilesidaner:20211204144015j:plain

あの区間以外は苦労ない気がするよ。

f:id:henrilesidaner:20211204144100j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144141j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144228j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144324j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144346j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144351j:plain

そして、本郭に辿り着く。 

f:id:henrilesidaner:20211204144419j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144407j:plain

この深い堀を通って。

f:id:henrilesidaner:20211204144507j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144514j:plain

やはり誰もいない。

f:id:henrilesidaner:20211204144530j:plain

さっき見たから満足しているので、さっさと通り過ぎます。

この下、高速道路が貫いているためうるさい。

f:id:henrilesidaner:20211204144622j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144633j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144738j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204144746j:plain

この辺の石垣はもう一度見たかったので、しばらく堪能した。

f:id:henrilesidaner:20211204144929j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204145214j:plain

下りるよー。

f:id:henrilesidaner:20211204145218j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204145240j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204145320j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204145403j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204145517j:plain

f:id:henrilesidaner:20211204145800j:plain

笹藪まできた。ここを抜けると。

f:id:henrilesidaner:20211204145851j:plain

墓場。

f:id:henrilesidaner:20211204145920j:plain

おしまい。
今回一番驚いたのが、筋肉痛出なかった事。年を取ると骨折しても気付かない程、痛みに鈍感になる。って聞いたことがある。ひょっとして筋肉痛に気付いていない? やだ怖い。

 

 

★★★★☆

連続堀切面白かった。なんであんな場所にあるんだろう。

 

 

 

<小坂城>

築城年 康正年間(1455~1457)?

築城主 赤沢氏

鳥羽館

f:id:henrilesidaner:20220103102951j:plain

5月に入っても北アルプスには雪が残ってるー。

 

f:id:henrilesidaner:20220103101042j:plain

鳥羽館というのを見てきた。

f:id:henrilesidaner:20220103101609j:plain

ここは史跡だけど、民家でもある。安曇野市内の館跡は私有地(人が住んでいる民家)が多いように感じる。

安曇野市が設置している杭には略歴も書いてある。

 

  • 熊倉街道の要衝で鳥羽郷開発の拠点としての館

  • 本郭は、東西84m・南北72m
  • 北西隅に堀と土塁が残る
  • 15世紀末、生坂の日岐氏の子孫にあたる丸山肥後、丸山将監が居住 

 

こちらは平成4(1992)年に発掘されており、調査報告書があった。

それによると、

 

  • 南北約80m、東西約90m
  • 北西隅に堀と土塁が残る
  • 東には土塁に囲まれた副郭(大字古屋敷)がある

 

 

↑の地図で「鳥羽城址」の表示がある部分が北西隅。副郭というのは県道316号線(太い道路)や「松原ニット」さんを含むらしい。副郭は完全消滅ということなのかな?

 

  • 東北に稲荷社、北に山の神が祭られ、西側には阿弥陀堂があったとされる

 

とのことで、グーグル先生に教えを乞う。

松原ニットさん近くにはこんなものがあるそうです↑

土塁の成れの果てに見えなくはない茂み。一生懸命見ていたら、茂みの中に祠が隠されていたよ。これが稲荷社なのかも?

 

報告書添付の図には、「山の神」と「阿弥陀堂」の位置も示されていた。

f:id:henrilesidaner:20220103101242j:plain

↑山の神があった辺り

大きな木に囲まれた、森のような場所。古そうな屋敷?があるようだ。木とかで見えないが。報告書添付の図には、その辺りが「山の神」って書いてあった感じ。

鳥羽館を分断する県道316号線は近年出来た道路のように思える。古い道は田んぼの畦道として残っているように思った。

 

f:id:henrilesidaner:20220103101518j:plain

阿弥陀堂の方

非常に見通しが良い。何もないことがよく分かる。

 

f:id:henrilesidaner:20220104221236j:plain

こんな感じの位置関係かなー? 

 

  • 館の主は平瀬氏配下で、後に笹賀に移った丸山将監と推定される
  • 天正7(1579)年の諏訪大社「下宮春宮造営帳」に代官・丸山管三という名があり、天正年代には鳥羽に居住していたことが分かる

 

近隣の吉野町館吉野の堀屋敷は丸山氏の館だったようだ。つまり、丸山一族が支配範囲がそこそこ広い。そして、法蔵寺の開基も丸山氏かも? と報告書に書いてあった。法蔵寺は元は梶海渡という場所にあったそうだが、そこも丸山氏の息がかかった地区。丸山氏は地元のごく普通の土豪だとされるけど、領地経営が上手くて財を成している印象が以前から強い。シムシティ得意みたいな。隣の飯田郷の領主・飯田氏はそういうイメージないんだけど、ここの丸山氏だけはヤリ手一族っぽく感じる。なんでなの?

 

鳥羽館15世紀半ばくらいに築城で、吉野町館は16世紀後半? とこちらの方が古いという。

 

  • 丸山氏は松本市笹賀(神戸の館)に転居

 

 

↑多分ココがお引っ越し先。おそば屋さんがある。名前がずばり…。

 

  • 江戸時代の上鳥羽村庄屋は鳥羽館跡にあった
  • 20世紀初めまで屋敷があったと思われ、明治末に水田・畑になった
  • 不用の家財が東側の堀に捨てられた痕がある

 

丸山氏は日岐村(生坂村北陸郷日岐)の領主から安曇野市に進出し、吉野や鳥羽を開発したり武田の家来したり、武田滅亡後は小笠原氏の家来となり松本へ。小笠原家の転封に従ったり、従わなかったり(土着した)で、あちこちに分散したらしい。

 

f:id:henrilesidaner:20220103101116j:plain

ここの堀跡はどういう訳か、水が溜まっている。本当にどこから水が入ってきているのか? 周りは田んぼだが、堀の水は流れていないように感じる。

あと、思いっきり民家なので気まずい。

f:id:henrilesidaner:20220103101121j:plain

 

f:id:henrilesidaner:20220103101129j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101157j:plain

隣の田んぼで作業している人はいたが、民家の人は見かけなかった。庭木はよく手入れされている様子。

f:id:henrilesidaner:20220103101204j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101210j:plain

だが、堀・土塁に関してはそうでもない???

見て歩こう。

f:id:henrilesidaner:20220103101223j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101235j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101256j:plain

濁ってはいるものの、死んでる水の雰囲気なし。さすが安曇野

f:id:henrilesidaner:20220103101305j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101326j:plain

↑土塁は北側からの方がよく見えた。

f:id:henrilesidaner:20220103101336j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101340j:plain

土塁上にすっくと伸びる私の天敵・一本杉。もう花粉は治まったので、全然怖くないから。

f:id:henrilesidaner:20220103101347j:plain

ここまでで土塁も堀も消えてしまう。

f:id:henrilesidaner:20220103101401j:plain

途切れた堀の辺りには、石柱が残っていた。恐らく「鳥羽館址」って書いてあるんじゃないかな…。

f:id:henrilesidaner:20220103101413j:plain

杉の花の残骸が浮いてるー! この子たちは雌花(しかも種を飛ばし終えた残骸で、まつぼっくりみたいな存在だという)なので、花粉出さないそうだ。でも「杉」ってだけで嫌な気分になるよ。

f:id:henrilesidaner:20220103101417j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101437j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101446j:plain

僅かしか遺っていないので、アッという間に気が済んだ。

f:id:henrilesidaner:20220103101457j:plain

f:id:henrilesidaner:20220103101534j:plain

元の場所に戻った。

f:id:henrilesidaner:20220103101543j:plain

 

 

★★★☆☆

堀に水が溜まっている場所あんまりないと思うが、どうして水があるのだろう?

 

 

<鳥羽館>

築城年 15世紀半ば

築城主 丸山氏