お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

牧之島城

牧之島城に来た。GWなので!

誰もいなかったー!

駐車場は「丸馬出し」の部分を利用しているようだ。

駐車場の土塁↓

土塁の向こう側に堀があるようだ。

土塁の裏側は武田さんのお城にありがちな三日月堀。なんとなく水も残っている雰囲気。ぱっと見、草原?みたいだけどさ。

季節が悪いのか、グーグルさんだとこんなんだったわ↑

丸馬出しとお城本体の間にもお堀があって。

橋は壊れそう?

自転車はともかく、馬で入っちゃう人いるのかな???

お城の入り口は三日月堀と丸馬出があることから、ここだと思うが。残念、侵入出来ず。

 

丸馬出しのすぐ真横を道路が通る。道路の反対側には民家が並んでいる。現在の道路は新道らしい。

旧道はグーグルカーも通らない細い道。

三日月堀に近づかないよう、住宅の間を縫うように曲がり、空堀の手前で合流している。

牧之島城は高台にあり、近くには高校や住宅がある。

設置された案内板には、

  • 南・西・北を犀川がめぐり、東は山に続いている(小花見高原に向かう)、舌状台地の上にあり、自然の断崖絶壁と深沢を利用した城
  • 「千曲之真砂」では、<甲州流兵学の最も優れた城で、大量の兵が籠もっても狭くないし、少量の兵で守っても広すぎない>的に賞賛されている

とあった。

続いて長野県の文化財調査報告に触れており、

  • 本丸東側に「千人升」と称する枡形がある
  • 千人升から堀を渡った先には丸馬出し(現:駐車場)があり、そこにも三日月形の堀と土塁がある
  • 丸馬出しの更に東側(小花見高原方面)に大手口があった、大手口からさらに東へは屋敷割(城下町)が続く(↓東側はこのような感じ)

 

  • 屋敷割の先には東西に走る深い堀がある

 

深い堀はこの辺り↑のようだが、切り通しのような箇所の先に堀があるっぽい。

お城はそんなに大きくない。

橋が通行止めの現在、お城の入り口には神社があった。

お稲荷さんらしい。琵琶古跡神社という名前で、牧之島城を別名琵琶城と呼んだ為に、名付けられたのだろうか。古い時代この辺りを牧郷琵琶ノ里と呼んだらしい。

元々は香坂さんという滋野氏の末裔で、東信から移り住んで来た人々のようだ。wikiによると、承久3(1221)年の承久の乱で北条方として戦い、敗れた後鳥羽上皇方の土地(牧郷)を恩賞としてもらいこちらへ引っ越してきたらしい。牧郷の範囲は恐らく、明治22(1889)年~昭和31(1956)年に存在していた旧牧郷村と同じかなと思われる。

 

牧郷の中心だった牧城はこちらにあったようだ↓

 

入り口の石柱には堂々と「香坂牧城跡」と彫られている。普光寺というお寺さん。こちらは牧之島城下の屋敷割の東の外れにあり、立ち位置的には城下町の東を守っている。

 

長野縣町村誌によると、

  • 普光寺の創建年は不明
  • 築城年不明の古城跡(香坂氏代々の居城)には後に正明寺が建立されたが、明治8(1875)年廃寺となる
  • 香坂氏は村上氏の配下となり、天文22(1553)年に武田信玄と上田原と戦った。村上義清は武田に敗れて越後に去った後、香坂氏は武田に降る
  • 永禄4(1561)年、香坂氏嫡流は武田氏に滅ぼされてしまい、牧城も廃城

とあった。永禄4(1561)年で香坂氏の嫡流は途絶えたが、婿養子が入りおうちを継いでいる。私は腐った人間だからか、何故かその婿養子のことを知っていたよ。

長野縣町村誌としては「普光寺=牧城」ではないという。長野市文化財データベースの地図では普光寺の駐車場になっている辺りを牧城として紹介していた。正明寺のあった場所は「村の子のほうにあり」と書いてあり、普光寺は「村の午のほうにあり」だった。実は二つの寺院、お隣同士だったのかも(JAの加工所付近が怪しい)。

 

ちなみに牧之島城については、

とあったので、武田が香坂氏の領地を召し上げた後に造ったお城だということのようだ。

  • 馬場信房、150騎で牧之島城を守った
  • 天正3(1575)年馬場信房戦死
  • 天正10(1582)年には武田氏が滅んで織田信長の城になり、海津城に移った森長可が当地を治めたが、牧之島城代として誰がやってきたか不明
  • 織田信長死去のあとは上杉家の領地となり、芋川氏が城に入った
  • 慶長3(1598)年に芋川氏が上杉氏に従い、会津に去った後は誰が城主となったか不明
  • 慶長8(1603)年松平忠輝が領主だった時代には、家臣の松平甚兵衛が入る
  • 元和2(1616)年、松平忠輝の領地が没収され同時に廃城

築城から50年程で機能を失った。

入り口の石碑は来歴を示すものではなく、神社を改修したとき寄付をした方のお名前がずらずらとあるだけだった。

苔むした境内がいかにも古社という趣き。創建年不明とあるが、廃城年の元和2(1616)年以降に建てられたものだと思う。

お社の横からは奥に進む道を発見。こちらは後回しにします。

鳥居をもう一度潜った。

神社の境内は二の丸を見下ろす場所にあった。

二の丸の印象は、整備された芝グラウンドだった。

過ごしやすそうな場所だった。が、地面ぬかるんでいる。芝がぬかるみを隠し、気付くとスニーカーがグッチョリしている。恐ろしい場所じゃないか。

前日、雨だったのかな? 水捌けが良さそうに思えて、実に悪い場所だよ。長野縣町村誌には地質は中程度、(高台のため)水利は不便で旱魃の憂いあり、などと書かれていた。田には不向きとのことだが、こちらを苛つかせる程度には水分があるよ。

二の丸と本丸の間は水のある堀が横たわる。

橋で繋がれていた。


ここにも牧之島城についての説明文があった。

  • 牧之島城は永禄9(1566)年武田信玄馬場信房に築かせ、越後に対する警衛と更級・水内の山間部統治のための城である
  • 元は香坂氏の居城・牧城の一部
  • 天然の要害を利用し、新たに縄張りしたものである
  • 虎口の丸馬出、三日月堀、本丸脇の隠馬出(千人枡形)を設ける
  • 本丸の大きさは、東西31間(約56m)、南北28間(約51m)
  • 二の丸の大きさは、東西47間(約77m)、南北22間(約40m)
  • 本丸と二の丸の間を水堀で隔て、本丸北側には枡形を設けている
  • 天正10(1582)年武田氏滅亡後、上杉氏の城となる
  • 慶長3(1598)年上杉会津移封後は、海津城主の田丸直昌、森忠政らが支配した
  • 慶長8(1603)年海津城主となった松平忠輝は家臣の松平信直を在城させた
  • 元和2(1616)年の忠輝改易と共に牧之島城も廃城となる

本丸の桝形がなかなかだった。

ご立派ですよ。
土ではなく、石積みだったら観光名所になれそうな、築城の教科書通りの造りだと思った。

本丸はほぼ土塁で囲まれていた。出入り口用以外は土で高く盛られて、外部からの侵入を厳重に防いでいる。

本丸も二の丸同様、芝生の心地よさそうな場所に見えるがぬかるんでいる。歩きづらい。

背後は植栽の並木があるけど、そこは崖で落ちたら犀川ドボンする。

土塁を上る道がある。

本丸内には井戸完備だった。

本丸内には藤棚があり、もうすぐ満開になりそう。クマバチがぶんぶんしていてうるさかった。

桜の木も何本かあったが、さすがに花はなく葉を茂らせていた。

本丸北側にも通路らしきものがあり、隣の廓とつながっているようだ。

犀川に落ちないよう、植栽されている木。

なんかものすごく高そうな場所だった。

そんな訳で、土塁上がる道を辿ってみた。

土塁の上に上がった時点で、通行止めの橋が見えた。

右は何か神社っぽい何かがあった。

左のこちらは多分、琵琶古跡神社の社の脇に出る道だな。

 

橋の方へ降りてみた。

先ほどから説明板に何度も登場している千人枡がココだったようだ。

千人枡とは大きく出た感じ。この場所は100人も入れない気がする。

上にある社も見てこよう。

比較的新しいような建物に見える。祀られた方がどなたか分からなかったよ。

社からは本丸も千人枡もよく見える。

本丸に戻る。

二の丸に行きます。

水堀の向こう側は北の廓があるはずなので、ちょっと見てくる。

水堀から本丸に上がれない。土塁ある。

この先に本丸と北の廓とつながる通路がある。

北の廓の横は巨大な空堀だった。

今は道路があるけど、堀は向こうまで続いているよう。この道は高校までつながっている。明治時代の地図にも残っていたので、昔からある道らしい。

ちなみに、右側の下っていく道がメインストリートである。

また丸馬出しまで戻ってきた。



★★★★★
典型的なお城だった。


<牧之島城>
築城年 永禄9(1566)年
築城主 武田信玄馬場信房

上野の館(大倉崎城)

非常に多忙。我に返ったら桜咲いてたよ、びっくりした。

 

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なんかよく分からないけど、常盤大橋を建設しようとしたらお城跡が見つかったらしい。あまり知られていないお城だったのか、気持ちよく見事に真っ二つにされている。

 

常盤大橋は平成4(1992)年に開通しており、近所に「マチカフェ発祥の店」というローソン某店もある。このルートは国道117号線バイパスとして昭和時代から建設が進められていたようだ。バイパスが全面開通したのが平成28(2016)年。

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バイパス全面開通から5年ほどだけども、30年モノの常盤大橋の風格。道路造るって時間かかって大変よね。

 

長野縣町村誌の旧常盤村の「大倉崎城」については、

  • 東西10間(約18m)余り、南北45間(約82m)
  • 東は千曲川に接している
  • 南、西、北の三方は堀がある
  • 南側が高く、北側は低め
  • 城主も築城年代も不明
  • 噂では、外様十人衆の頃に武田方だったので追われたらしい

とあるだけだった。

現地の説明板には、

  • 中世(鎌倉~室町)の豪族居館跡
  • 当時の典型的な館
  • 東側は千曲川に接しており、北と南と西には幅10m、深さ5m以上の空堀があった
  • 堀の長さは、北34m、南42m、西104m
  • 昭和63(1988)年に常磐大橋建設の前に発掘調査された
  • 中国からの輸入品(白磁青磁)や、珠洲焼・越前焼美濃焼瀬戸焼など各地の焼き物、中国銭、鎧の一部や釘などの鉄製品、茶臼や硯など様々なものが見つかった
  • 屋敷の規模や出土品を見る限り、有力な豪族の館だと思われるが主はハッキリしない
  • 言い伝えでは「竹内源内」

とあった。

飯山は上杉方の尾崎氏とその親戚にあたる外様十人衆勢力下にあったようなので、武田方の城主は駆逐されて、跡形も無く消されてしまったのだろうか。明治時代には「誰も知らない城」になってしまって、地元の人も思い入れが無いのか荒れている。

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橋の下は何かあるようにも見える。

もう一つ、説明板があった。

  • 豪族の館址があったため、千曲川側の崖を「上野の城崖」と呼んでいる
  • 上野の城崖は水面からの高さが25m
  • 鉄道が開通する以前、千曲川は通船があり新潟から関田山脈の平丸峠などを経て運ばれてくる塩や魚などの海産物を引き揚げる拠点だった
  • 棚のように続く通路跡は風のない日に船を陸に引き上げるための施設の遺構

江戸時代にあった千曲川通船のことらしく、寛政(1790)年に西大滝村飯山市)の人が福島宿(須坂市)まで船を運航する独占権を幕府から認められたことが始まり。西大滝は信越国境に近く、ここから終点の須坂まで6~7日ほどかかったらしい。冬期は当たり前だけど運行休止。途中の飯山港とかなんかあったらしい。

この船便は貨物船で許可され、人間を乗せるの禁止だったけど。寛政11(1799)年にあった善光寺御開帳(大昔は一定間隔ではなく、善光寺の都合で開かれていた)で貨物ないしおうちに帰る人たちが難儀するかも? という通船側の好意で人間を乗せて飯山まで帰る途中、定員オーバーで沈むという事故とかあったらしい。100人以上亡くなったようだ。

 

移転したと思われるが、その当時建てられた供養碑(一番左)が残されている。西大滝ダムの近くの、国道117号旧々道っぽい道?の端に安置されていた。ひょっとしたら西大滝ダムが千曲川通船の終点だったのかな? 他の碑は

千曲川通船は明治に入ると更に繁栄し、最盛期には千曲川区間・上田~西大滝となったが、鉄道開通のせいで衰退してしまった。

 

常磐大橋から少し上流にある柏尾橋は昔、北国脇往還「大倉崎の渡し」だったようだ。

 

明治12(1879)年に初めて船橋が架けられ、昭和37(1962)年に現在の柏尾橋になるまでの83年間、橋の流出を4回経験していた。数年前の令和元年東日本台風でも柏尾橋の水位15mが越えという過去最大値を観測していた。

船着き場の「上野の城崖」からも近く、荷物を受け取る人々で賑わっていたのだと思う。

 

今の柏尾橋は戸狩野沢温泉駅の近く、長野県道95号とその先に続く長野県道408号(戸狩野沢温泉駅の近くで急に番号が変わる形で繋がっている)という、大正国道10号(国道117号の旧道でもある)と思われる道路と国道117号バイパスを結んでいた。

ちなみに大正国道10号は東京から秋田へ向かうが、群馬から新潟に抜ける三国峠を踏破することが出来なかったらしく、東京~高崎だけ国道17号を使い、高崎~長野~飯山~小千谷と進み、小千谷から国道17号に戻って新潟、秋田へ抜ける道となっている。今の国道17号の三国峠トンネル開通が昭和34(1959)年。明治期には新潟と群馬の県境を越える国道があったが、大正国道では存在せず(もし新潟・群馬の県境を越えることが出来ていれば大正国道10号のルートなんて止めちゃって、9号の東京~前橋を秋田まで延長させていたかも)、変なルートで新潟と秋田まで頑張っていた。

でも船便があるぐらいだから、それなりの往来もあったようだ。

明治時代以来新潟港はとにかく大きな港であり、明治国道は信越本線を辿っている。大正国道指定と前後して敷設された飯山鉄道は、大正12(1923)年に西大滝駅を開業した。さようなら千曲川通船。

 

平丸峠はちょっと分からなかったが、関田峠なら知っている。有名な道だし、何故か夜中に通ったことがある。夜間は二度と通らないと思う。

平丸峠はマイナーらしく、あまり情報がない。

 

 

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何かあるように見えるが、草ボーボー。

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藪だよ、進む気にもならん。北側はどうしようもない感じがする…。

南側は…。

 

何故か整備されていた。こちらには説明板など「何か」を示す物は一切ない。

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非常に歩きやすく、何か植えてあるが。変な地形だけど、コレというものはない。

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大体がこんな感じだった。なんかあるのかなー? って感じで見終えた。

道路の向こう側は…。

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さっきの場所に比べたら分け入る気力が萎える。

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もういいかな…。


★☆☆☆☆

このまま朽ちていくのだろうと思った

 


<上野の館>
築城年 不明
築城主 不明

 

 

 





 

真々部氏館

毎年、1~2回は出かける安曇野市

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真々部氏館、この地図では分かりにくい。

グーグルマップさん↑とトリミングした上記の地図↓

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つまり、本来はココに真々部館があったみたいなの↓

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何もないわ。道路突き抜けてる。ちょうど「真々部氏館」の場所だけぽっかり空き地?(家も建っているが)になっているようで。空から見ると分かりやすくなっている。
 

真々部館の遺構はこれだけ↓

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往時、館を取り囲んでいた土塁の一部だそうな。

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大手道↑

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こんなお城跡だけど、安曇野市街地でこれまで見てきたお城跡のどれより気合いが入っている。デカい地図や説明板×2が設置され、安曇野市のいつもの標柱もあるよ。「真々部城と城下町」と表現が大きく出た! 一般人の頭の中にある城下町のイメージとは違うかもしれないが、我らの郷土が栄えた昔を誇りに思う、という堂々とした姿である。

 

説明板によれば、

  • 武田氏は上杉勢への備え等のため、信濃国安曇野に千国道(棒道=軍用道路)を整備
  • 安曇の南部に真々部の館を設置し、監視した
  • 千国道は穂高・大町を経て糸魚川に向かう古くからある街道
  • 真々部はこの「千国道」の他、「飛騨道(旧東山道支道・岐阜方面)」「善光寺道(旧東山道支道・長野方面)」「熊倉道(千国街道・松本方面)」「長尾道(旧三郷村方面)」「岩原道(旧堀金村方面)」などの主要道、「長尾の渡し(梓川を渡り松本へ向かう)」がある交通の要衝であり、物資の集積地となっていた
  • お寺も古くから集まり、土地柄か読み書き算盤が出来、周りの村々の情報を把握している人々がいた
  • 武田晴信が天文19(1550)年頃、物資の供給や宿場とするため真々部館と城下町を整備した
  • 真々部館は45間(約82m)四方の広さで、土塁と堀に囲まれていた
  • 二の丸は120間(約218m)四方あって、こちらも土塁と堀があった
  • 主の真々部氏は日岐丸山氏の一族で、仁科氏の配下

 

  • 城下町は、館を中心に道・堰・寺社・宅地・田畑を配置していた

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  • 7寺8小路、真々部下屋敷、真々部諏訪神社八幡宮、化粧屋敷、乾の馬場、辰巳の馬場、的場、駒垣渡(馬の牧場)、牛垣渡(牛の牧場)などがあった
  • 7寺=専念寺・金龍寺・真光寺・円通寺・常松寺・法国寺・真行寺
  • 7寺は色々な宗派であり、真々部内外の情報収集の他、お寺の檀家さんを相互監視される機能もあり、これらは武田氏の支配施策であったらしい
  • 8小路のうち、真々部氏館周りの東小路・西小路・南小路・北小路には真々部一族の他に甲斐からきた家来、真々部氏の領地から呼び寄せた家臣たちを住まわせた
  • 千国道周辺には百姓や甲斐などから移住した商人職人が住んだ
  • この千国道の周りでは市がよく開かれ、安曇野南部で最も賑わった
  • 真々部村の郷蔵(江戸時代の年貢米の保管庫)もこちらにあり、盗難や火災などないように村で厳重に管理されていた
  • 飢饉や不作で米がない時には「お助け米」として郷蔵から米が配布された
  • 現在郷蔵は平成6(1994)年に立て替えられ、お祭りの山車の収納庫になっている

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  • 真々部村の最初の学校は、明治6(1873)年専念寺に開校した真受学校であったが、翌年この広場に真々部学校を新築し移転した

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  • 教室4・座敷2・お勝手があり真々部学校開校時には63人が学んだ
  • 明治37(1904)年に真々部学校が廃校、(明治7(1874)年、真々部村は高家村に統合されており)生徒は本校の高家学校に通学する
  • 旧校舎は集会場などとして使用され、昭和30年に焼失

明治9年時点で、小海渡村・熊倉村・真々部村・中曽根村・飯田村を統合して出来た高家村には尋常小学が3校あった。真々部学校(生徒数113)、飯田学校(生徒数148)、熊倉学校(生徒数188)。真々部学校は一番生徒数が少なかったようだ。旧飯田村も旧熊倉村も、それぞれ川の渡し(飯田の渡し、熊倉の渡し)が村内にあった。真々部も同じく長尾前の渡しがあり、尋常小学が置かれた地区は交通の要衝だったりする。ちなみに3つの渡しとも塩の道(千国街道)の一部だが、一番古い熊倉の渡しが最大の渡し場で最も賑わったようだ。2番目に真々部の渡し、3番目は飯田の渡し。

 

飯田の渡しは松本~安曇野最短ルートであったものの、早々と廃止されてしまったようだ。明治9年には存在しない。現在では正確な位置も特定出来ない程忘れ去られてしまった。名称的に飯田砦の近くだったと思うが、飯田砦周辺には梓川SAがあり工場が建ち並んでいる。

長尾前の渡しは昭和6(1931)年梓橋がかけられ、ルートは今も健在。平成19(2007)年にアルプス大橋が開通されるまで国道指定されており、頻繁に渋滞していたようだ。

熊倉の渡しは昭和30年代まで使われていたようだが、現在廃止され橋も架けられていない。渡しの位置には記念碑だけが残された。熊倉だけ現在残念な感じになってしまったな…。最も賑わっていた故に開発出来なかったのかな。

 

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さて、土塁跡に登ってみる。

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安曇野市特製の標柱がここにある。

標柱には、

  • 戦国期天正年間末期、武田氏は大町・穂高と並ぶ軍事拠点として、真々部館と城下町を作った
  • 館の4周には小路がめぐり、小路内部が2の郭にあたる
  • 主の真々部氏は日岐丸山氏の一族で、仁科氏の配下である
  • ここは七寺八小路と呼ばれる都市が形成された
  • 市も開かれ、安曇野南部の中心地であった

と簡単に紹介されていた。

 

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現在土塁跡には祠が2つあった。向かって左の立派な方が「殿村三峯様」、右側が「秋葉様」。

 

殿村三峯様

埼玉県秩父三峯神社に毎年参詣し、御眷属拝借の牌とご守護3枚の御札を授かり、御札を門戸に張り付けて盗難除け等を祈願している

 

秋葉様

静岡の秋葉神社の火防の神を祀る。殿村秋葉講が造ったものだが、いつ頃建てられたか分からない。

 

三峯神社ヤマトタケル碓氷峠に向かう途中、イザナギイザナミを偲んで創建したという伝説がある古く大きな神社。3枚の御札とは、御祈祷神璽・火防之神璽・盗賊除神璽の札。また三峯神社の眷属のオオカミを一年間お借りすることが出来るようだ。御札は一年後返却しなければならず、拝借料は4000円。

秋葉神社も大きな神社で、こちらは火災予防の神様。

「殿村」とは真々部氏館があった(現在、金龍寺のある)場所を指す。

 

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すぐ近くには金龍寺。金龍寺のある場所が二の郭跡。

古いお寺で、鎌倉時代創建と言われるが、地図にもあるように元は別の場所にあった。

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金龍寺の東側、今は田んぼが広がるだろうか?

明治11(1878)年に再興されたそうだが、境内にはそれ以前に造られた石仏など大量に残されている。

このお寺さんには真々部氏のお墓も残されているそうで、特に中興の祖とされる真々部尾張守長雄さんとその妻子のお墓があるそうだ。真々部長雄さんの奥様は武田信玄のご息女と伝わる。

 

このお寺さんも中々な感じで、

開基・後鳥羽上皇(真々部氏の先祖である仁科氏が後鳥羽上皇を守る西面の武士だったという縁)

開山・晋明大済国師相国寺鹿苑寺の開山と同一=夢窓疎石のこと!?)

御本尊・後鳥羽上皇の御持仏で、行基作の聖観音(国宝級)

とされているらしい。キラキラな有名人だらけだよ!

 

宗家の仁科氏や武田氏が滅び、真々部氏も衰退。天正10(1582)年真珠院と称する。明治5年、官命により廃寺。

 

安曇野市平成23年製作の資料を見つけたが、その内容だと、

創建年不明

開山・一庵和尚(寺伝では下諏訪町の慈雲寺の天桂和尚、このお坊さんは武田信玄と懇意)

開基・真々部尾張

となっている。真々部の7寺のうち、最も寺領の石高が高い(3石)。

ちなみに、真々部さんのお墓には「丸に揚羽」の紋があるそうだ。平家じゃん。宗家の仁科氏は平姓なので、その流れなのかな? 安曇野市の資料だと、仁科氏の一族か丸山氏の一族か不明としながらも、丸山氏と真々部氏が繋がる系図を載せていた。丸山氏も仁科氏の傍流だし、どっちでもいいのか。

 

ほぼ唯一の遺構、土塁を見て回る。

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この土塁、それなりの巨木とかなりの巨木の切り株が残されていた。

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広場になっている二の郭跡。

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二の郭と大手道。

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★☆☆☆☆

多分、金龍寺さんの方が見応えあると思う

 

<真々部氏館>

築城年 天文年間(1532~1555)

築城主 真々部氏? 武田氏?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は130年前の米蔵を改装したというレストランへ。イタリアンだよ。

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カフェもやっている。

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今後、毎回ここがいいとか言い出しそうだわ。

飯山城

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飯山城は飯山市の中心部にあって、飯山高校のすぐそば。最近、高校の統廃合があったらしく、飯山高校の門には「長野県飯山北高校」とあった。直せばいいのでは…? と思ったが何か事情があるのかしら。明治の旧制中学の流れを汲む凄い高校。

飯山城の周りに飯山高校のグラウンドが2、3面あった。いつの間にか体育学科というのが出来たらしい。個人的には探求科っていうのが気になる。とにかく名前がカッコイイ(飯山北高校理数科が名称変更したようだ。哲学関係かと思ったよ)。

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この場所は飯山城三の丸付近で、グラウンドは三の丸の外に存在した外郭だそうだ。現在のグラウンド部分には番所・長屋・台所・調練場があって、それら施設の更に外側には北門という門があったそうだ。

外郭と三の丸を隔てる北中門があり、防衛上重要な場所であったからか江戸時代初めには二層の大きな門だったのが、時代が下るとただの仕切り門にされてしまったとか。

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ここから城内に入って行くよ。

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14世紀初めには泉氏という一族のお城だったのが、高梨氏→上杉氏と城主が代わって。今みたいな大きなお城になったのが、上杉氏の時代らしい。ちょうど武田氏と戦争をしていたので、北の守りを固めるために永禄7(1564)年に築城。多分、元あったお城の原形を留めないようなものだったらしく、「上杉謙信が新たに築城した希有な例」的な内容のことがwikiに書かれていた。

 

泉氏の話は伝承レベルらしい。

泉親衡の子孫の泉弥七郎が飯山城の場所に居館を築いたという話。泉氏は清和源氏満快流の子孫とか、清和源氏足利氏庶流の伊奈氏の分家とか言われている。また、井上氏とも同族らしい。とにかく清和源氏の流れであることは間違いない。

泉氏は小県郡小泉荘(現・上田市)の地頭をやっていた。泉という名前もこの荘園名が由来のようだ。泉親衡の父・泉公衡は源平合戦で源氏方として戦い、鎌倉幕府御家人となった。

清和源氏の棟梁がトップだったはずの鎌倉幕府が北条氏に乗っ取られたことに、泉親衡は不満を持ち、打倒・北条義時を掲げて内乱を起そうとした(泉親衡の乱)。首謀者とされる泉親衡は捕縛の使者と合戦になったが、逃亡→行方不明に。泉親衡さんは仲間を300人ほど集めており、有力御家人の和田氏の人も参加者として名前を連ねていたため、和田合戦という戦争の引き金とされた。田舎の小さな荘園の地頭に過ぎない泉親衡が北条義時打倒の兵をたくさん集められるはずがない、とかで北条義時の罠だとも言われているらしい。

この内乱計画はインパクトがあったようで、怪力の凄い武将とか伝説的な人物になっていまい、挙げ句に信濃の民話の小泉小太郎と混ざってしまい、「泉親衡物語」という小説が文化6(1809)年発刊されたほど。

また横浜市泉区には泉親衡ゆかりの寺社や屋敷跡が「泉小次郎伝承地」として横浜市の史跡となっている。

ちなみに今年の大河は好きな時代、登場人物殺されまくる感じなので見ています。現時点の登場人物のほとんどが最終回前に死ぬんじゃないかなー? そのうち泉さんも殺されるために登場するはず。

 

この泉氏の後裔を名乗るのが、後の飯山城代となり飯山城下町の礎を築いた岩井信能である。木島神社の隣の山に岩井城というお城を持っていた人でもある。木島神社をお城の鎮守として創建したのも泉氏だと言われている。

 

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飯山城の場所に初めて居館を築いたと言われる人が、信州泉氏17代目・尾崎氏5代目の泉弥七郎こと尾崎重歳とか、泉氏11代目泉持重である。

 

尾崎重歳の時代は泉一族で飯山地域を支配しており、尾崎氏は泉氏嫡流を称していた。また、隣の領主の高梨氏の配下であった。

尾崎重歳は享禄元(1528)年に室町幕府の第12代将軍・足利義晴に拝謁。従五位下、左近太夫という地位まで出世している。従五位下だと天皇に拝謁できる身分なので思った以上に高貴な一族だった。

天文22(1553)年、尾崎重歳は信濃国に侵攻してきた武田信玄に圧迫され上杉謙信を頼る。身分が高いので上杉謙信と一緒に上洛したり、将軍からのお手紙を預かったりしていた。

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長野縣町村誌の「寿村」(飯山市)の項目では、

  • 寿永2(1183)年、尾崎城築城
  • 文治元(1185)年、泉親衡が尾崎城主となる
  • 建暦3(1214)年、泉親衡の乱、泉親衡が当地に逃れる
  • 泉親衡の子、家衡が尾崎氏を称す
  • 文保年間(1317~1319)、泉氏は分家を増やす(泉八家)、尾崎はその本拠となる
  • 8代目の飯山入道氏重は飯山に隠遁した
  • 11代目(または12代目)泉重治に9人の男子がおり、嫡流の尾崎家の他、7つの分家を作る(九男は僧となる)
  • 後に分家が2つ増え「尾崎家と外様十人衆」の体制となる
  • 尾崎家は衰退し、外様十人衆と共に村上義清から上杉へと主君を変えた

とあった。

 

また高野村の項では、

  • 建久8(1197)年、源頼朝が小菅神社の封戸を改め、700貫文を小菅神社に寄進。高井・水内両郡の守護で尾崎村の三桜城主の泉親衡にこれを管理させる
  • 文明(1469~1487)頃の当主、泉政重が尾崎氏に改姓
  • 大永(1521~1528)頃の当主、尾崎重廣が飯山村の飯數山に城を移す
  • 尾崎重廣の子どもが尾崎重歳

などと書かれていた。ちょっとした差異があるものの、とにかくこの地域は泉氏・尾崎氏とその一族の話ばかりだよ。

 

尾崎城の別名が三桜城というそうだ。尾崎城跡近くに三桜神社という神社があった。旧尾崎村社の三桜神社もまた泉親衡が文治2年に創建したと伝わる。この神社、四方に空堀を巡らせているらしい。なんだその城みたいな奴?

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改修した人が上杉謙信だそうで、元のお城よりも規模が大きくなり強固になっているようだ。多分、尾崎氏が作ったお城とは似ても似つかなそう、別物ぐらいに改築されていると思ったよ。


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階段があるので、登ってみた。

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高い。気持ちが良い眺め。

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広い郭に出た。
三の丸だそうだ。櫓や武器庫などがあったそう。門が東西に二カ所。

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広いので、端っこには色々おいてある。

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眼下に広がる千曲川にかかる橋が長い、そして向こうは越後との国境の山だよ! そんなどストレートな歌ですかね…土田耕平という歌人で大正時代に信毎の短歌の撰者をしていたようだ。
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向こう側には木島神社や岩井城も見えるよ。
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二の丸にはもっとたくさんの石碑があるようだ。

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上がってみたよ。

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思ったより広い感じがした。もっと狭いと思っていた。

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石碑達は後でゆっくり見学させてもらうことにした。

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あちこちに真新しそうな説明板があった。描かれている図によれば、三の丸・二の丸・本丸、大体同じ広さのようだ。兵がいっぱい詰められるね!

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本丸の方へ向かう。何故かここだけ崩れそうな箇所あった。

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一応、本丸まで行く階段があったものの。どうやら江戸時代を通じて「不明門」という門があって常に扉が閉ざされていたそうだ。使っていなかったから不安定な場所になってしまったのかな。階段自体は大丈夫そうだけど…。

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本丸裏手だし、ちょっと怪しいので大手道から侵入します。

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井戸の跡かしら?

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と、ここで子供が「トイレ行きたい」と言い出す。なんだよ、と思いつつ城跡公園内のトイレに行ったが冬期閉鎖中。一旦お城から離れることとなる…。

 


再び戻ってきたが…子供は既に飽きてしまっており、城跡公園内にあった遊具(西郭のところにあった)に子供と監督者が行ってしまった。

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そして、私は1人大手門跡に。門は復元されていた。その近くには飯山城を大改築して城代となった泉一族の岩井信能さん顕彰碑。

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現在、飯山城は「上杉謙信公築城450年」記念で大規模整備中のようだった。最古の地図が残る、この1645年当時の姿に戻そうとしているのかな。
で、手始めに門を。

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質素な門だな。

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中にあった説明板には、

  • 江戸時代の飯山城には15の門があった
  • 明治5(1872)年から飯山城の取り壊しが始まり、門はそれぞれ売却された
  • どこに売られたかは分からないが、確実に飯山城の門だったと言えるのは「南大手門」(長野市内へ移築)、「本丸裏門(不明門)」(飯山市内の妙専寺へ移築)、「どこの門か不明の門」(長野市内へ移築)の3つ
  • (城門として)ここに移築した門は、飯山市内のM家に残されていた長屋門で飯山城内のものか、上級武士の住居の門か不明
  • けれど、この門の様式から「本丸裏門」や「どこの門か不明の門」と同じ作業場で作られていると考えられる
  • 飯山城内の門だと十分考えられるが、M家に移築された時に大幅な改造をされてしまい、飯山城のどこの門に該当するかが判然としない
  • M家解体の際に、門の部材を調査して当時の門の材料のみを取り出したが、全体の規模など不明な点が多く当時のまま復元は不可能だった
  • 今回の復元作業は飯山城南中門の規模に合わせた
  • 南中門、(城跡公園内にある)弓道場の前に遺構を展示した
  • 飯山城取り壊しから既に120年以上経っている

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元のお城の地図ってないのかな。

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ここにも石碑がいっぱいだよ。

他の人の顕彰碑もあったけど、分かる範囲だと飯山藩に関係する人々らしい。

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入り口なので、他にも何かの記念碑があった。スキー発祥とか(飯山の体育教師で僧の人がレルヒ少佐に教わってきたそうだ)。

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お城にまた入った。

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西郭という場所かなー?

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本丸方面。

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隣は飯山小学校。

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本丸にはここから上がります。
また石碑達がいた。

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ここにも「飯山城址」の表示だよ。

こちらは飯山藩関係ではない人達の顕彰碑かな?

高橋幸作さんは飯山鉄道(現飯山線)の常務取締役の人だそうだ。

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大手道? 昔の地図にはどうやらこの道はないようだ。

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ガッツリ塀か土塁で固められている。南大手門からは中大門→三の丸または二の丸という順序で、昔は南大手門から直接本丸へ向かうルートがない。

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時代が下って、強引に開いた道のようだが。これはこれで趣があると思った。道はくねって見通し悪い。戦国時代の城内の道みたいな雰囲気ある。

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飯山藩はわりと頻繁に藩主が変わっているそうだ。

  1. 皆川家 4万石
  2. 堀家 4万石
  3. 佐久間家 3万石
  4. 松平(桜井)家 4万石
  5. 永井家 3万3000石
  6. 青山家 4万8000石
  7. 本多家 2万石→3万5000石

飯山は千曲川の水害やら寒い地方で雪も随分積もるし、実際の石高が一万程度しかなかったとか。しかも頻繁に領主交代させられてるし、新田開発など領地経営が難しそうな気がする。

 

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桜の木が多い。こちらもお城にありがちだけど、桜の名所になっているようだ。

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振り返って道を見る。切り通しになっている。両側はぴったり同じ高さ。元の風景が容易に想像出来るよう。

ここから本丸はすぐそばだった。

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神社になっているようだ。

この神社のために、帯郭が通路として改造され、先ほどの戦国時代みたいな切り通しが作られたみたい。

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先は二の丸となる。

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神社の参道から本丸へ入る。

 

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あの石垣の向こう、二の丸と本丸を繋ぐ通路があった場所。

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この礎石は昔の鳥居のものだろうか。

 

本丸は神社の境内となり、飯山城跡公園として整備されているのは本丸以外の部分。

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本来の出入り口(写真右側)。

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飯山城は、

  • 丘陵をならした平山城
  • 本丸の南側は特に防御を固めている(ここに来るまでに来た道)
  • 本丸と二の丸と三の丸には城主の居館、政庁、櫓があった
  • 西郭(飯山高校のグラウンド近辺)には重臣の屋敷
  • 堀の外は重臣以外の藩士の屋敷と公共施設
  • さらにその外側は城下町

という構造になっているそうだ。f:id:henrilesidaner:20211202141445j:plain

この石段は昔からありそうだ。門番小屋の出入り口とか? なんだろうねー?

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葵神社本殿。
名前の由来となった「葵」はこれ↓

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飯山藩主を一番長く勤めた(豊後守)本多家の家紋「本多葵」から来ているそうだ。豊後守本多家の家祖の本多広孝さんが御祭神。今後の飯山城の整備計画では、将来の遷座が決まっているみたい。

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本丸(葵神社境内)も石碑いっぱいだった。

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ただあの石碑は毛色が違う感じだよ。

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なんでしょうね?

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不明門跡、本丸側。

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常に閉じられた門。冠木門という注意書きもあったようで、簡単な門だったとか。

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単純だけど「開かず」って言葉に惹かれてしまう。

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石碑たち↓

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↑こちらは明治天皇が詠んだ歌?

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飯山小学校の敷地が見える。

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本丸櫓跡。

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ちょっとよく分からない。

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本丸出ます。

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帯郭。江戸時代には建物などなかったそうだ(今もないけど)。

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帯郭は二の丸からのみ出入りが出来る。なので、一度二の丸へ入って本丸に行く。

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二の丸。

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そういえば、二の丸の石碑たちをロクに見ていなかったぞ。
一番目立っているアノ石碑。

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忠魂碑だった。

戊辰戦争で、幕府軍衝鋒隊と官軍の松代藩尾張藩兵士が飯山城下で戦闘を行ったそうなので、その関係? この時城下町がけっこう燃えちゃって被害凄かったみたい。

いつ建てられたものなのかとか、そういうのは分からなかった。

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だって近くまで行けなかったんだもん。入っちゃ駄目な感じだった。

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二の丸ぐるっと回ったので、本丸の通路に向かう。

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門があったの、この辺りかな?

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わーカッコイイ。

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本丸内はこれ以上格好良くないので、帯郭に戻る。

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帯郭の下が南郭。

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広い。ここも改造されており、直接南郭に下りられるようになっていた。

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弓道場。南中門があった場所。

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道は当時のままなのかな? ちょっと狭い?

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復元の門まで戻った。

 

 

★★★★★

とにかく遊具があるのが良い。

 

 

<飯山城>

築城年 不明

築城主 泉氏

木島神社

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山の上にある。すぐ横は千曲川

 

木島神社=飯縄社。

千曲川にかかる橋は綱切橋といい、昔あった安田の渡しの後継にあたる橋だそうだ。wikiによれば、第4次川中島合戦で上杉謙信が越後に退却する際、安田の渡しで綱を切り追手から逃れた、という伝説があり、これが橋の名前の由来となっている。

昔、幅が広い川は両岸にロープを張って、それを手繰って船を渡したそう。そんな長い綱を用意出来るのがもう凄い。綱切橋は旧木島村安田地区と飯山町飯山市中心部)を繋ぐ重要な橋だった。ので、飯山町住人も橋の袂にあるこの神社には石灯籠とか色々寄進している。

 

入り口の標柱は「木島神社」となっているが、その傍らにあった案内板には木島神社と飯縄神社という言い方が混在している。平成19年に建てられたものらしく、その頃には飯縄神社という名前に改められたのかもしれない。神社がある山の名前が飯縄山である。

ちなみに木島神社は郷社で、標柱は明治38年日露戦争に勝った記念で当時の上木島村と木島村が合同で建てている。そのため、標柱の裏に「征露紀念」と彫られていた。第2次世界大戦後に郷社の社格が廃止、また敗戦したために表の「郷社」と裏の「征」の字を埋めちゃったと書かれていた。裏側には「露紀念」という謎の文字が残っているということだ。シュール。

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いや、征露紀念、ぼんやり残っているじゃん…。

 

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階段を上がって行くと、登り切った鳥居の横に石があった。

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安田地区出身の力士「玉の森」を顕彰する石碑らしい。石にはデカデカと「玉の森」の文字が。雷電為右衛門が生まれた頃活躍し、三段目まで昇進したと言われる、明和6(1769)年建立。という内容の小さな説明板。

雷電は明和4(1767)年生まれ。明和の初め頃活躍していたのかな。三段目が凄いのかどうなのか分からないが、当時の番付に名前が載ったことをとにかく記念してるんだと思う。「昇進したといわれている」という一文が気がかり(事実と異なっているのではないかと心配になったよ)。

 

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そして、壊れている灯籠?

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守られている灯籠。差がハッキリしている。

 

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こちらの灯籠は「綱切の渡しの安全を祈願して、飯山の上船渡の世話人・船頭が文久3(1863)年、神社に奉納したもの」とあった。上船渡とは、安田の渡し(綱切りの渡し)のことらしい。

 

綱切橋もよく見える。

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立地条件的に「ここはお城跡ではないか」と疑ったんですが。お城は峰続きの隣の「城山」にあったそうで、そもそも安田の渡しが綱切橋より下流にあったそうだ。立地はいいので何かしらあったのかもしれないけどね…。

 

二の鳥居かな?

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何があったのか…何かが取り外されている。

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閑院宮がお立ち寄りになった! という記念碑もある。

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  • 明治31(1898)年、通りすがりの閑院宮戴仁(閑院宮第六代当主)が立ち寄った
  • 「景色が佳い」「社殿が古風で雅び」と誉めてくれた
  • このお立ち寄りを記念し、明治38(1905)年に建立
  • 閑院宮は四親王家のひとつで、宝永7(1710)年東山天皇の皇子・直仁親王に始まる
  • 昭和22年臣籍降下

とあった。よっぽど嬉しかったんだろうな。

閑院宮は4つある世襲親王家今上天皇との血縁の遠近を問わない、皇位を途絶えさせないために存在する親王家)のひとつ。閑院宮戴仁さんは皇族軍人として活躍した人で、明治31年時点で33歳の陸軍騎兵中佐やってるエリートだった。昭和20年に薨去、とあったので本人は皇籍を離脱していない。

 

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ド素人の私ですらこの場所気になるぐらいだから、エリート軍人ならもっと気になっちゃうかも?
良い景色、休憩できる東屋も完備。

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何故か埋まりかけていたが、大東亜戦争云々と彫られたものがあった。「大東亜」という言葉の初出が昭和15(1940)年7月らしいので、建てられてから80年前後しか経っていないのに。自然に埋まるものかね…埋めたにしても中途半端。

何のものか字が読めないので分からなかったが、対岸の飯山新町の氏子さんたちが土地を神社に寄進したということらしい。

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ここから一直線にお社へ。

両側が土塁じみており、気になる…。

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飯縄山という名前なので、修験者はいたかもしれないがねー。

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そうこうしているうちに社殿に着いたよ。修復中なのか、冬季対策のビニールシートなのかは分からない。目の前は拝殿。

裏に回ると。

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本殿。

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やはりビニールシートが。摂社にもかけられているので雪対策なのかな。どれも全体を覆っているわけでは無く、入り口のみ塞いでいる。社殿自体は比較的新しいように見える。

 

本殿は木島神社という名前では無く、「飯縄宮」と書かれた額が掲げられていた。

木島神社は、

の三柱が祀られている。つまり美味しいご飯の神社ね!

 

創建年は不明だが、郷社という位の高い神社である。

交通の要衝で対岸の飯山新町からの崇敬が厚い、飯山城主や近くの武将が寄進している印象から、交通の神様(宗像三女神)とか武神(建御名方神)とかだと思っていた。そして飯縄宮という名前なのに。意外。

ただ、今まで見てきた色々な遺物から考えても有力な神社のようだ。

 

拝殿裏↓

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摂社の中でも一際大きい社が、子安社だった。

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「子安」って文字だけでテンション上がります(中学の頃からファンで、1月アニメも子安という名前見て録画予約しちゃった作品あるぐらいです)

摂社の子安社はままあるが、こんな風に目立つ子安社はわりと珍しいかもしれない。ここ何年かでお参りした神社の中でも、目立つ子安は片手で数えられる程度だよ。嬉しい。

 

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この先は墓地があるようだ。

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鉄塔管理用道も兼ねている。

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この道を辿っていけば岩井城というお城跡に着くはず(多分)。

 

私は今回(同行の家族に怒られるので)止めておいた。戻ります。

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↑御神木?

 

お参りを終えました。

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帰ります。

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木島神社がある飯縄山の下には以前、長野電鉄木島線という鉄道が走っていたようだ。開通年は大正14(1925)年、廃線年は平成14(2002)年。

20年前から使われていないというトンネルが残っている。

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封鎖もされずに…。飯縄山トンネルという名前のようだ。全長は85.5m。

ちなみに私以外の家族はこっちのトンネルを堪能したそうで。トンネル内はバカがいっぱい生えていて、取るのに苦労したとか言っていた。

 

冬とは言え、下草が刈り取られているように見える。何かに使われているのか? ただ、歩行者用として使われては居ない気がする(だってトンネル内にバカがいっぱい生えているみたいだし)。

木島神社参拝者用の駐車スペースとして生きながらえている気がするよ。

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何かの跡? 架線の支柱かなー?

 

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驚くべき事に、架線(と思われるもの)が残っている。トンネルの向こう側も閉塞していないようで、出口の光が見える。ただ、ネットで向こう側がどうなっているのか調べて見たところ、出られないっぽい(藪があるし、新しく出来た道路とを隔てるゴツいフェンスがあるようだ)。

↓この辺に出るような気がする。見た感じもうダメだわ。

 

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架線供給用の電線はぶった切られている。内部は物置になっている様子。

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田舎路線だから放置なのか、邪魔にならない部分は撤去もされずそのままになっているみたい。碍子とか電線とか、まだいるよ。なんとなく線路の跡も残っている。トンネルもがっしりして崩れそうにない。

 

トンネルのすぐそばには信濃安田駅という駅があったらしい。ちょっと嵩上げされている辺りが駅の跡地のようだ。駅設備はどうにも邪魔だったのか綺麗さっぱりなくなっている。

 

ちなみにこのトンネルの入り口、私の大嫌いな蛇が日光浴していたらしく。

戻ってきたら家族がおかしな立ち位置でいたので「何してるん?」と声をかけたものの、ゴニョゴニョしてよく分からず。車に乗り込み、トンネルを後にしてから「実は…蛇がいた」と言い出した。

「おい、蛇いたんか教えてくれよ!」「いや、トンネル見たそうだったし」という押し問答をしていたら、なんか足首が痛いような気がしてきた。

 

ずっとこちらの挙動を見ていたのに、蛇のこと教えてくれないなんて。大体こんな冬に出てくる蛇って生きてんの? と聞いたら「すんごい生々しい光り方してたから多分生きてる」とのこと。

何ソレ、ホント気付かなくて良かったわ。きも。

 

 

★★★★☆

旧郷社っていいよね、訳分かんないものがたくさん残っている。

 

 

<木島神社>

創建年 不明

 

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今年は家の近所の他に、市内でも一番大きな神社にも初詣に行った。やはりうづらもちは美味しいよな。

 

 

長楽寺

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姨捨に行ってきた。ここは月見や景色の良さで有名な場所。棚田とかもある。

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綺麗な景色が眺められる=標高が高い訳だけど、開墾して水田も作られた。山の斜面に階段状に作った水田を棚田といい、現在国の名勝に指定されている。日本で初めて農耕地が文化財として保護された記念すべき景色でもある。文化財保護法に基づき、この景色が永久に保存される。日本国が消えちゃったり天変地異で地形が壊滅的被害を受けない限りは…。その後、重要文化財的景観に選定されている。

 

名勝と重要文化財的景観の違いは、

 

名勝

文化財の種類のひとつで、国または都道府県が芸術上、観賞上価値が高い土地として指定するもの

 

重要文化財的景観

都道府県または市町村が保護措置を行っている景観地のうち、特に重要なものとして申し出があったものを国が選定したもの

 

つまり、名勝>重要文化財的景観となるのね。

 

以前は現在の姨捨SA付近から流れ出す更級川を水源とし、田は多くなかったみたい。江戸時代に入り元禄10(1697)から安永6(1777)年までの大池普請で更級川より更に標高の高い場所に溜め池をいくつも作り、結果姨捨周辺にたくさんの棚田を開発できた。

姨捨を象徴する「田毎の月」とは、もともと長楽寺というお寺さんの持ち田48枚にそれぞれ映し出された月のことを指している。平安時代から月の名所として有名だったが、田毎の月の初出は天正6(1578)年刊行の狂言本。江戸時代の水田開発で棚田が増え、「田毎の月」は周辺に広がる広大な棚田すべてに月が映り込む様を表すようになったらしい。

 

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長楽寺入り口。ここには松尾芭蕉の面影塚という石柱がある。元禄元(1688)年松尾芭蕉が当地を訪れた記念に明和6(1769)年に建てられたもの。読まれた句が彫られている。

この他、境内は広くないのに大量の歌を刻んだ石碑が並ぶ。

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観音堂の下にも。

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ひときわ大きなコレ↑は回翁歌と彫られ、どうやら回文(「私負けましたわ」とかの上から読んでも下から読んでも同じ文)の大家の碑らしい。

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久邇宮お手植えの松もあった。

 

長楽寺は創建年不明の古刹。「千曲之真砂(1753年)」という書物には長楽寺の紹介と姨捨の紹介が載っている。

  • 天台宗で、八幡村神宮寺(武水別神社神宮寺)末寺の放光院
  • 本尊は聖観音(善導大師作)、勢至菩薩(恵心僧都作)
  • 48枚の田の近くにも石仏の聖観音がおられる
  • 月見堂ある
  • たくさんの和歌が飾られているが、スペースが足りず張り付けできない和歌は八幡神宮(武水別神社)などの文庫に収めている
  • 姨石、姪石、甥石、袋石(十袋石とも言われる)ある
  • 古来から田毎の月(田の一枚一枚に映し出された月)が歌に詠まれる
  • 八月十五夜頃には田に稲が覆い繁るので、田が月が映し出せる訳がない。里の諺で「田んぼの稲を刈り取り水を湛え月影を映して見るなり」という、十五夜にわざわざ収穫前の未熟な稲を刈り取り月を拝む拙い意識の者が時々現れ嘲笑される事件が起こる名所でもある。名所というものは自然に月が映り景色の良さを楽しむ場所であり、それを無理に作り出すとか風雅の意味を知らないヤツだと思うよ!

と書かれていた。

このお寺で御朱印をいただいたが、その時のお寺の紋は武田菱だった。武水別神社関連だからかなー?

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月見堂↑

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本堂↑

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梵鐘?が小さい。

 

御本尊のひとつ、聖観音のお堂。茅葺きの小さなお堂だった。

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お堂にお参りしたが、気になるのはお堂の隣の巨石。

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これが姥石らしい。

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元はこちらの石が御神体だったんじゃないかという位の存在感だよ。

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姥石の他、姪石や甥石などの巨石があちこちにあるらしい。更級川周辺で起こった地滑りにより巨石がごろごろしているとか文化庁のサイトに書いてあった。何か謂れがあるのかないのか、微妙な感じ。

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初めて句が刻まれていない、石仏を見つける。消えかかっている。

 

ちなみに姥石の上は展望台にされている。

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貧弱な柵だが、これがないと危険だわ。

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柵がない時代では転落事故が多発してそうだよね。

 

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姥石には祠もあった。1宇は嘉永6(1853)年って書いてあった。黒船来航の年である。その祠には熊野権現の札が納められていた。

 

長楽寺には、謡曲の「三老女」の案内板もあった。

謡曲とは、能の声楽部分のこと。能の演目の中でも老女を描いた曲は能の最奥の秘曲とされ、非常に大切に扱われている、特に「三老女」と呼ばれる関寺小町・檜垣・姨捨の3つは重要な演目であるという。経験年数や才能がない人は演じることを許可されないらしい。故に上演は少ない。

 

関寺小町

関寺の僧たちが和歌の話を聞くため、老女の庵を訪れる。華やかだった若いころの話を聞いて、僧たちはどうやら老女が小野小町だと気づく。

 

檜垣

毎日水を捧げていた老女が僧に会った。老女は若いころ傲慢な白拍子で地獄に落ちた。成仏したいです、と語る内容。

 

姨捨

都の男が姨捨山で老女に出会う。「ここは私が捨てられた姨捨山ですよ」などと話しかけ、月のきれいな夜半に静かに舞う話。

 

姨捨」は、都の男たちと出くわし「姨捨の旧跡はここ」「捨てられた老女は私」とかしゃべって桂の木陰にすーっと消える。夜も更け、月の下で老女が男たちの前で舞い、明け方になると男たちが帰るが老女はそのまま一人残されるという寂しい話、というあらすじが案内板に書かれ、老女が最初に消える桂の木が長楽寺境内にあります。とあった。

そんな桂の木があった…?

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これらしい。千曲市指定天然記念物になっていた。姨捨の演目は世阿弥(1363~1443)が作ったらしい。1400年頃にはそれなりの大きさの木として存在していたと思われる。

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境内の片隅には五輪塔らしきもの、供養塔のような石塔が並んでいた。

 

長楽寺の向かいには千曲市日本遺産センターという、昔の姨捨観光会館を改修した施設がある。

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年内は歌川広重の浮世絵(本物)を展示しているそうで、つい最近レストランオープンでその件を知った私が慌てて見に来たのよ。

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広重の「六十余州名所図会25 更科田毎月 鏡台山」である。各国の名所を描いたもの。信濃国の名所として長楽寺・棚田・鏡台山から月が出ている様子を描いたそうな。なんと写真撮影可だった。

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昔、会社勤めに疲れてしまい「ステンドグラス職人になりたい」とブツブツ言ってた時期があったことを不意に思い出した。いいよね…ステンドグラスは。

 

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今回同行した者が一番喜んでいたのが、国鉄末期に設置された姨捨駅の観光案内板。うおーと呟きながら写真撮っていた。鉄道好きじゃないとか言いながら、こういうのに興味を示すからちょっと引く。

 

 

★★★☆☆

子供は高い所(姥石の上)に腰が引けていた

 

<長楽寺>

創建年 不明

開基 不明

 

 

 

 

 

 

そしてレストランには一番乗りした。

メニューの内容が一切分からなかった訳だが、イタリアンのパスタコースのみだった。

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前菜↑

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↑ドルチェ、選んだのはティラミス

 

パスタは数種類あり、3種類頼んで食べ比べしたが、私は味噌クリームが一番美味しいと思った。開店時間を狙ったのが良かった、やっぱり12時には混雑し始めた(団体客も来たし)。クリスマス気分に浸れて良かった。

佐野山城

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佐野山城はこんな感じの林道↑沿いにある。林道なのに舗装路? どうやら昔の主要な道だったらしい。

どこへ出る道か帰宅後調べた。途中で分岐点が有り、聖山(松本方面へ)と旧大岡村信州新町方面へ)と、抜けられるようだ。便利な生活道路ということかなー?。

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ここがよく見ないと分からない入り口。私は一度通り過ぎたよ!

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砂防ダムがあった。佐野川だ。

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これ古道なのかな? 川が近いだけあってぬかるんでいる。

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ぐちゃぐちゃしているけど歩くのは苦でない感じ。足場がしっかりしている。

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むしろ、砂防ダムを越えるときが一番滑った気がするよ…。

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砂防ダムを越えると青いロープも消えてしまうが、踏み跡が明瞭で迷うこともなさそう。

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橋だー!

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佐野川の上流のはずなのに、水が綺麗じゃない。

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汚いというか、何かの鉱物みたいなもので濁っているように見える。

帰宅後これも調べて見たところ。やはり鉄が採れるとのこと。旧日本軍が採掘したという話が伝わっているようだ。

この佐野川の水自体が強い酸性で生き物が住めない環境。天然の毒水でその種類は硫酸。山では褐鉄鉱の他、硫黄も採れるらしい。鉄も硫黄も戦争で活躍できる大事な資源。しかし平時には有害な毒水でしかなく、このせいで農作物が育たないなどの苦難の歴史があったらしい。

褐鉄鉱って製鉄材料としては非常に質が悪いモノだそうで、これを用いて製鉄をしなかった(砂鉄を使った)という話もあるし。逆に製鉄技術が伝わった初期(時期としては縄文時代?)は褐鉄鉱が採れる長野県内が一番技術進んでた、という話もあるらしい。

渡来人の一族(秦氏)が聖徳太子から恩賞で、佐野山城周辺の土地をもらって移住した過去もある。褒美になるような場所なんだから何かイイコトがあるはず。単純に考えたら資源かな!?

佐野山城、褐鉄鉱や硫黄(これも日本各地でたくさん採れるが、中国では採れないらしい。日宋貿易日明貿易での中国向け重要輸出品のひとつで、つまりお金になる)を守るために作ったお城だったりして…?

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橋を渡ると、すぐに広場が現れた。東屋もある。

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不動滝の水が流れる小さな川がある。こちらは濁っていなかった。

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不動滝のお水は多分飲めるね。佐野山城はこの不動滝の流れる崖の上を登っていく。

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ゴツゴツした岩が多く、昔の文人墨客が好みそうな風景だ。

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一応、名所となっており、案内板が立てられていた。

  • 平安時代歌人西行法師が訪れている(撰集抄)
  • 松尾芭蕉も訪れている(更科紀行)
  • 正岡子規も来た(かけはしの記)
  • 郷土の偉人である佐久間象山も来た
  • ここは修験道の修行場、不動明王も祀られている
  • 「いしのと(8/1のことで、あの世とこの世を隔てる石の扉が開き、先祖がこちらに戻ってくる日。お盆の幕開けであり、当日はおやきを作って食べる)」にはおやき片手に滝行しに来た
  • 高雄山から生まれ、佐野山城の南側を流れる滝の沢から流れる14mの滝。ここからは見えないが、11mの2連滝もある
  • NHKの大河ドラマ風林火山)で重要なシーンで使われた凄い滝です

という説明が書かれていた。

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時期が時期なので、水量が少ないのだろうか? マイナスイオンも少なめ。

轟音を響かせる雄大な滝を想像していたんだけどねーこれじゃ滝行難しいんじゃないかな。

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滝の沢を渡るところ、登り口となる。

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佐野山城まで0.5km・佐野薬師まで1km・竜王城まで3.1km。大手道は佐野薬師からなので、ここは裏口だよ。

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なんやかんやで訪れる現代の文人も多いのか、きちんと整備されていた。とにかく綺麗。

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急激に登ってきた。

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まだまだ登っていくよ…。

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どこまで登るのか先が見えない様子。

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少し平坦になってきた。

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城域にすでに入り込んでいたらしい。見上げれば郭らしき平場がいくつも重なっていた。

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下にもある?

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段郭を縫うように上に登っていくのかなー?

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がっつり杉が植林されていて、いつまで経っても景色が変わらない!

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通行止めの表示が…。「山の神」と「佐野城跡」には行けないとある。ピンクのテープに従って迂回路を行けば通行できるとのこと。正直、内容が頭に入ってこなかった。林道不動滝線まで戻っていくのがいいのか…?

しかし振り返ったすぐ後ろにこういう標識が↓

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佐野山城跡の矢印が通行止めの先と全く違う方向を指している。通行止めの先を示しているのは「山の神祠」だけだったよ。この標識の方が古そう。

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結局古い方の表示に従うことにした。一応道があるので。

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そしてこの山道は「林道不動滝線」なんだろうか? 車で通った舗装路のことではないのかな? ピンクテープが導いている。

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ピンクテープなくても行けそうなくらい道がしっかりしているよ。

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この迂回路、途中で分岐点があった。こんなクソ山奥で迷子になるのはゴメンだったので、スマホのGPSを使っているものの。好奇心に負け城の中心部とは違う方向に進んでみた。

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石碑があった。山の神様。昔から鎮座しているような佇まいだけど、先ほどの看板は二つとも山の神様の祠を別方向へ教えてくれた。ここにもあるって教えてよぅ。山の神様に道中の安全を祈願し、神様に祈りを捧げた。

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また戻る。

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大変親切な道で、びっくりするほどピンクテープがある。

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踏み跡もしっかりしているのにご丁寧にピンクテープ(テープなくなっている箇所もあるが、棒で分かる)まで! なんという優しい世界。佐野山に対する愛情を感じるよ。

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道はひたすら登っていく。急坂だった。

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なんというか…道が整備されているわりには先が見えない。迂回路だからかな?

それでも怪しい場所に出た。

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虎口というヤツか…?

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また段郭みたいなのが増えてきた。迂回路から元の道にいつの間にか戻ったのだろうか。分岐点には気がつかなかったよ。

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よく分からないけど、↑こんな感じの所が点在する。

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何かの入り口的な。

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お城の中枢部に入ってきた。地形が愈々人工的になる。

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堀切だよ。

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何度目かの堀切を過ぎると、唐突に看板が現れた。

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「佐野城址入口 →」

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佐野山城の本郭かしら? 階段がある。

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あの説明板見ただけで分かる。本郭到着。
まずは本郭の周りを見回ってみた。

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眼下の郭(多分1の丸と書かれた場所)。

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本郭内の様子↓
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2の丸かな?

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佐野山城の説明板は以下の通り。

  • 高雄山の東側、佐野山にある
  • 南側の「不動滝の絶壁と佐野川」・東南の「ジリダレ沢」・「車橋の断崖」・「3つの川に挟っている」という自然の要害地
  • 城の大手道(さっき通ってきた道)には大小10以上の段郭がある
  • 頂上には平地が連なる(郭が3つある)、それぞれ堀切で仕切られている
  • ここから剣の刀渡りの険(という名前の痩せた尾根か)を数町登った高地にも外廊の址がある
  • 水は小谷沢から汲んでこれるし、搦手から「サルトヤの詰城」まで行け、麻績と通じている
  • 築城年代は定かではない。応永7(1400)年の大塔合戦で村上氏が新城を築城した記録があるので、その新城がココじゃないかなと思っている
  • 佐野山城主は具体的に分からないけど、とにかく桑原氏
  • 佐野山城の外廊として大田原の古屋に「城山」という場所がある
  • また信田口にも番所があった
  • 小田原には「はざま(伏兵を潜ませた名残の地名)があった
  • 天文22年の葛尾城陥落後は武田のものとなり、内田監物という人がいたらしい
  • この先には桑原左近の館がある

凄くザックリした説明だった。

千曲市桑原)大田原はここから更に登った山の中の集落で、旧桑原村の古地図があったので見たところ、「古屋」という地名があった。ここだろうか? 竜王城の近くだった。

旧桑原村は非常に広いものの中心部が深い山で分断されている。明治7年までは麓の治田神社を中心とした集落(桑原村)と、山の上の大田原集落(大田原村)が合併したため、異常に広くなってしまったらしい。大田原集落の隣(といっても山で隔てられている)には小田原集落(旧小田原村)がある。これら集落は古い街道筋に沿って点在しており、車社会に突入するまでは賑わっていたような地区っぽかった。この街道は信州新町に向かっており、千曲市側の終点は稲荷山のようだ。

 

信田口は長野市信更地区のどこかだと思う…。旧田野口村の地図には「城ノ入山」とか城っていう字がついた地名があり当然城もあり、和田山頂上にも1郭の古城跡が残っているとあったけど「信田口の番所」跡かは不明。

 

桑原将監の館とは古屋の館のことらしい。長野縣町村誌の扱い的には、治田神社>桑原氏城館(古谷の館や小坂城)>竜王城>佐野山城という感じで、佐野山城の重要度が低い。そして佐野山城は「城主も築城年代も不明」と書かれていた。

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周りの様子も分かったので、ちょっと進んで「外廊」という場所に行こうと思う。

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古家の館というのも気になるけど、この図が無茶苦茶なので目指さないです。ざっくりしすぎじゃないの? 大体、「一の丸」「本丸」「2の丸」とあるが、本丸=一の丸のはずだし、漢数字とアラビア数字が混在している。そして現在地はどこなのか…? 本丸にいるのかと思ってたけど、ひょっとしたら一の丸にいるのかも? 分からなくなってきた。

不安を感じさせる看板め。

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少し進むと何かあった。図でいう「2の丸」って場所かな? それとも別の何かか?

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ぴょっこりした小山があった。そして、堀切とかも。

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結構深い感じよ?

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ひょっとしてコッチが2の丸って場所だった? ってぐらいちゃんとした場所だよ。

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さっきの場所を過ぎれば、よくある尾根が続いた。

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やせちゃってる尾根である。景色もあまり良くない。「剣の刃渡り」という名前の場所。剣の刃渡りは痩せ尾根の別名だという。

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ダラダラと続いて楽しくない。

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やっと何か怪しい場所に辿り着きそう。

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門みたいになってるし。

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左側にはしっかりした踏み跡がある。そして右側にもうっすら道がある。

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ここが分かれ道らしい。左へ行けば古谷沢という小さな川に出るはず(そこから先は分からないけど)。右が外廊となるが、まずは左に行ってみたいと思う。

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木が倒れていて楽しそうだしな!

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満足したので、分かれ道まで戻ります。

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そして道を登ります。

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平場があり、どうやらココが行き止まりのようだった。先は何もなく藪。引き返す。

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あと段郭あった↑
そして、道だと思って上がってきたモノがこれだった。

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溝ですよ。
明らかに人の手で掘られたもの。気がつかずにこれを登ってきていたらしい。

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堀底状通路というものらしい。敵にここを歩かせて、左右の土塁から討ち取るってヤツかな? 凄く浅いんだけど、大丈夫かな。

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外廊の一番の遺構は堀底状通路かもしれない。というぐらい、くっきり残っていた(登る時気がつかなかったのなんでなんだろう?)。

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堀底状通路もなんとなく消えていった。だから分からなかったのかなー?

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通路が消えていった代わりに。

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土塁。

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そして郭がいくつか見える。

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土塁や郭もふわっと消えてしまった感じ。

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そして、古谷沢からの道も見えてきた。合流点が近い。

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最初に見たこの道↑も堀底状通路というヤツだったのね。

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ぐんぐん下っていき、再び分岐点に。佐野山城の案内板にはなかったけど、なかなか面白かったよ。また佐野山城本体部分へ向かう。

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痩せ尾根に戻ってきた。そういえば、「古家の館」ってどの辺だろう? こんな山の中に日常生活を送る館を建てるとは思えないので、もうちょっと佐野集落に近いところかなー?

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人家があると思われる方角を見たが、当然家の影も見えないぞ。

ちなみに古家の館(古谷の館)とは

  • 桑原氏の館
  • 桑原左近将監は天文7(1538)年卒し、その後は不明
  • 慶長年間に耕作地となり区域不明

と長野縣町村誌に書いてあった。具体的な場所としては「本村(桑原村)酉の方、十余町」。佐野山城も「本村酉の方十八町余り」とあったので、佐野山城の近くと言えば近くなのかも?

「佐野薬師から佐野山城大手道が伸びる」という話は聞いたことがあるので、多分佐野薬師の近くに古谷の館があったんだろうなと思ってはいる。

ただし、長野縣町村誌には一言も書いていなかった。佐野薬師も古谷の館も独立した項目で書かれているが、「近くにあった」とか関係性には触れておらず、古谷の館の鎮守として長徳4(998)年創建され、現在は桑原宿遷座している天満宮について記載がない。佐野薬師堂と天満宮を管理していた長福寺は応永11(1404)年、佐野薬師堂に依りて創建→元禄(1691)年に現在天満宮がある場所に再興→佐野薬師堂に戻る。と書いてあった。現在長福寺は廃寺。長福寺の御本尊は地蔵菩薩で、今は長野市篠ノ井長谷寺に遷られている。佐野薬師は仁平年間(1151~1153)創建と伝わる。

時系列的には、

  1. 古谷の館(桑原氏館)
  2. 天満宮
  3. 佐野薬師
  4. 長福寺(天満宮と佐野薬師の別当寺)
  5. 古谷の館廃止
  6. 長福寺(+天満宮)移転、佐野薬師のみ残された

という感じらしい。

佐野薬師(薬師池)の辺りはちょっと開けた場所(耕作地・耕作放棄地)がたくさんあるしな。お屋敷らしき跡地は分からないけど。佐野薬師の北側が竜王城、西側が佐野山城となる。

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佐野山城中央部まで戻ってきた。

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佐野山城の(多分)本郭横をそっと通り過ぎる。

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あっという間に下ってきたよ。

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そういえば、山の神祠(通行止め)への道は長野縣町村誌によれば、風光明媚な「車橋」という場所があるらしい。

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図で見れば断崖絶壁をへつる道のように見える。とんでもなく危険箇所と思われるが、西行法師も通ったことがある古道というし、お城の大手道だったものでもある。

土木技術の問題かもしれないが、昔ってぶっ飛んだ道が多くないだろうか。黒部の日電歩道みたいなヤツがそこかしこにあるイメージだよ。

ざっくり測ったら、佐野山城から薬師池まで500~600mくらいかな? 距離は離れていなさそう。

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滝の音が聞こえてきた。

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不動滝に戻った。相変わらず人気が無い。

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滝も堪能したので特に見ません。

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なんの茸かな? って写真撮って検索してみたらエノキタケって出てきたんだけど…普段見かける白色や茶色のエノキにも見えないぞ。本当ですか? グーグル先生を初めて疑った。

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砂防ダムを過ぎて、車道に出た。その時初めて自動車とすれ違った。数時間ぶりに人間見た。

 


★★★☆☆
危険な道も通ってみたかったとも思う

 

 

 


<佐野山城>
築城年 不明
築城主 不明