お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

保科氏館

保科御厨と呼ばれていた土地なので、保科氏も当然いた。川田氏と違いビッグネームだとか。保科という名前は承平年間(931~938)頃から存在していたらしい。保科氏は治承4(1180)年の文書に出てくるみたい。その後も名前はちょくちょく現れてい…

川田氏館

GWは、前半からバタバタと家族が体調を崩すという怪異に遭った。私だけ寝込まなかった代わりに、歯の詰め物が取れた。そんなこんなで忙しく、結局何処にも行けず。さすがに苛々して手が震えてきたので強引に出かけた(とはいえ、雨の日だったので近場で終…

中越居館(宮下氏居館)

跡ないのは分かっていたけど、「電車を見る」ということでやってきた。入場券で中へ。 居館跡があったと思われる方角↓ 線路敷いているので、遺構などあるはずもなく。 電車見に来たのに30分以上来ないという残念な時間帯だったので、仕方なくウロウロして…

盛伝寺居館

多田(押鐘)氏がこの地にやってきたときに、まず最初に作ったらしい館跡。 現在は盛伝寺というお寺さんになっている。天正年間(1573~1592)に多田氏の館跡にお寺を建てたという。 押鐘城は大永年間(1521~1527)に築城らしい。その時に…

宇木城

宇木城にやってきた。 住宅地の真ん中なので、こちらも何もない。申し訳程度の看板のみ。 上宇木古城・城跡 応仁2(1468)年、諏訪上社頭役だった宇岐(宇木)氏の居館跡? 「城の山」と呼ばれていた 以前は約800㎡の畑地だった という内容。 この辺…

相木城

現在の相木城の面影は↑これだけ。このモサモサの藪の中に城跡を示す石碑や神社があるらしいが、周りはフェンスで取り囲まれており入れなさそう。入口が分からない。 昔は城跡の名残、土塁やら堀やらあったらしいが、ほぼ全部学校建設のために潰したらしい。 …

皇足穂吉田大御神宮

皇足穂吉田大御神宮。延喜式神名帳に「白玉足穂命神社」の名前で載っている神社の論社のひとつ、とされている(別の「白玉足穂命神社」論社の話だと、白玉=皇の誤記ではないかとあった)。地元では「吉田神社」と呼ばれているらしい。皇足穂吉田大御神宮は…

押鐘城

今年の花粉は酷い気がする。 信越放送旧社屋跡地の裏に、こんなものが。 本城→押鐘城跡である。信越放送のHPには開局頃の写真が載っていた。当時の信越放送の周りは田んぼだらけだったようだ。 現在はアパートが目立つ住宅地となっていた。 SBCの古い写真、…

中村神社

名前は難しくないが、ロマン感じる延喜式内社。 鳥居が綺麗なのは、15年程前に再建されたばかりなので。 この神社のあちらこちらに「倒木注意」というような看板が立っていた。根元に×印がスプレー書きされている木もあった。見た感じは今にも倒れそうな老…

源関神社

この神社は、関屋氏という一族が諏訪大社の分霊を勧請したことが初め、と言われているようだ。関屋氏は諏訪氏の一族で、諏訪明神の氏子から成る諏訪神党という武士団のメンバーだとか。諏訪一族の大祝為盛という人が関屋地区に移住して、関屋氏と名乗ったの…

平林館

長野市の文化財データベースによると、 ・平林館跡とは、松代町豊栄地区の諏訪社周辺に比定されている居館跡 ・沢状低地に挟まれた小高い傾斜地にあると推測されている ・現在は宅地である ・古い地図にも堀や土塁の痕跡が読み取れない ・具体的なことは何一…

荒堀内記屋敷

杵渕氏の家来だという荒堀さんのお屋敷跡は現在「荒堀公民館」になっている。 こちらも古くからある集落なので、周りは民家。遺構も見当たらず。 公民館の敷地内には祠と石碑。 石碑の方は文字が薄れすぎていて分からない。「なんとか大神」と書いてあるよう…

杵渕氏館

古い豪族の杵渕氏。ココが発祥の地らしい。 平安時代末期の源平合戦の頃から杵渕氏はいた。養和元(1181)年の横田河原の戦いで戦死した杵渕重光という人がいたようだ。富部家俊の家来やっていたとか。二人とも平家軍所属で木曽義仲の軍勢に討たれたそう…

旧松代駅

久しぶりに天気が良く、買い物ついでに散歩した。松代城の外堀がどうなっているのかとやってきたものの。 ↓工事が開始された様子はない。 歩いているうちに松代駅だった建物まで来てしまった。 うちに転がっていた「ありがとう屋代線」のラベルが貼ってある…

古大穴神社

古大穴神社、「こおおな」と読むそう。これも読めない名前。創建年は不明で、一番古い記録が享保12(1727)年。それ以前の記録は災害により失われてしまったが、元禄7(1694)年社殿を再建したという伝承があるという。「こおおな」という変わっ…

雨宮坐日吉神社

今年の初詣は近所の神社にお参りしてきたものの、もうちょっと神社行きたいような気分になり出かけてきた。 雨宮坐日吉神社というところ。 あめのみや・ざ・ひよしじんじゃと読むのかと思っていたのに、あめのみや・にます・ひよしじんじゃが正解らしい。読…

水沢氏屋敷

水沢氏館跡を見に行ってきた。 水沢さんというのがどういう人達で、いつ何をしてきたのかは分からず。館も残っておらず。 館関連で残っているのは↑この竹藪のみだとか。 これは土塁跡だそうで、確かに言われればそんな感じかな? とも思える代物。 竹藪の手…

広田城(昌龍寺)

東昌寺から細い道を歩いていくと、昌龍寺に至る。 お寺の周囲の道も元はお堀なのかしら? 東昌寺と同じく、お寺を囲むように道が続いている。折角なのでお寺の周りを回ってみた。 東昌寺よりも広いお寺のようだ。↑写真左の黒くて高い何かは「四面角塔鐘楼」…

広田城または藤牧城(東昌寺)

広田城こと東昌寺に行ってきた。 ここはややこしい。長野市文化財データベースでは「藤牧城跡(東昌寺)」ということになっている。東昌寺から徒歩数分の場所に昌龍寺というお寺さんがあり、データベースでは「広田城跡(昌龍寺)」とあった。その根拠は分か…

尾張城

こんな仰々しい名前の公園に行ってきた↑ 新興住宅地の中にある、ありふれた感じの公園。昔ここに尾張城があったから、そういう名前らしい。 黒御影石だかの渋く立派な石碑が建っている。この石碑の裏には平成11(1999)年3月の文字。恐怖の大王が降り…

内後館

性懲りもなく、再び住宅地の中にあるお城跡を見に行った。内後館という、小田切氏上屋敷。小田切さん館はこれで3つ目。 上屋敷とか下屋敷とか、大名みたい。江戸時代だと、上屋敷=藩主居住地・(中屋敷=跡継・隠居の住まい等)・下屋敷=別荘となるようだ…

於下館

小田切氏館その2。於下館というそうだ。下屋敷の意味らしい。今は何もなく、住宅地になっている。 ↑於下公民館の北西側が館跡になるらしい。 何の感想も浮かばない。 「館跡」を示す看板があった。コレがないと探すの苦労するだろうなー。 ・小田切氏下屋敷…

今井神社

気付くと外は晩秋の景色になってました。ここ最近の記憶がないぞ。 今井神社に行ってきました。 今井兼平という男を祀る神社です。ところが長野県神社庁のサイトでは天照大御神が御祭神になっている。ちなみに勧請は白鳳元年9月とされている。「白鳳元年」…

寺尾城

朝晩と肌寒くなり、また花粉の季節がやってきた。あーうざい。 もう草枯れてくる頃だろうと山の様子を見に行ってみた。今回は寺尾城。 本郭には「寺尾殿の墓」と刻んだ墓があるそうな。何故墓なのか。そんな場所に寺尾家の御先祖が祀られているのか、墓参も…

二ノ入館

以前、荒砥城に行った時に↑を見たのだが。平時の館の話はほとんど聞かないなとずっと引っかかっていた。この図によれば、「二の入館」というらしい。 幸いなのか、弁天池という池は今も存在しているようなので、とりあえず行ってみる。かなりの田舎な場所の…

清野氏館

クソ暑い毎日だった。しかしどこにも出かけないと辛い。そして出かけると夏の暑さに閉口し、やっぱり家に居たほうが良かったんじゃないかと後悔する、その繰り返しだった。なので、思い切って一番暑い時間帯に外へ出てやったよ。 手書きの看板が愛らしい古峯…

八王子山砦

冬に登っただけだったので、夏に再度八王子山に登った。その記録。 以前本で読んだ、八王子山のお城らしきものはちょっとだけ分かった。専門家が登れば、もっと多くの跡が見つかるんだろうなと思う。 スタート。 てくてく歩いて分岐点到着。 山の神様こんに…

小柴見城

小柴見城は現在、大部分が浄水場となっている。 その為お城までの道路状況はかなりよく、車でサクサク上れる好立地。 こんな感じの山道を上ったところにある。切通風の道だが、実は本郭と2の郭との間にあった堀切を流用した道路らしい。 右側が2の郭だった…

木曽殿屋敷

朝日将軍といえば木曽義仲である。そしてここは朝日山の近く、木曽殿屋敷と呼ばれるお城跡がある。 ここに古いお屋敷があったことは間違いないらしい。木曽義仲縁者のお屋敷だとか、守護の小笠原氏の館じゃないかとか、ここから歩いて10分ほどにある朝日城…

朝日山観音

受験生の合格祈願で有名な神社。そして正月三が日の初詣でも賑わう。 ここまでの車道がかなり狭い。1車線幅。↓こんな感じなのよ。すれ違い絶望的な箇所もある。 なので、お正月だと神社の氏子さんたち総出で交通整理に当たる。受験シーズンはどうだったかな…