すっかり暖かくなった今日この頃。春ですね…花も咲いて、花粉も飛んでいる。ひどい花粉症なのでしばらく山は無理。
坂城神社に行ってみました。
延喜式に載っているという古い神社。白鳳2(273)年に社殿創建ということだけど、日本武尊が遠征中にこの地に来たときに祖神を祀ったのが神社の起源とされている。
村上義清が越後へ落ち延びた天文22(1553)年に、一度焼失している。永禄11(1568)年に武田信玄により再興された。
境内は広い。古い神社はやっぱり落ち着くね。
この神社、おもしろい奴がいた。
狛犬である。
ものすごく面白い(というか不格好)な狛犬で、写真だと上手く撮れなかったが…一見の価値はあると思います! なんとも味のある狛犬。坂城町の指定文化財に指定されていためか、狛犬君はおうちに入っていた。
狛犬君は天和2(1682)年石川市左衛門義孝という方が奉納したもの。坂木藩藩主板倉氏の家来であるという。坂木藩というのは天和2(1682)~元禄15(1702)年までこの地に存在していた藩だ。藩成立の記念?に奉納されたものなのか。
神社の裏から葛尾城までの登山道がある。
ここからだと…。
一時間位かなぁ?
坂城神社境内から大鳥居に向かう。
もう少しだけ下りていったところに、村上氏館跡の目印が現れる。
館跡は現在お寺になっている。満泉寺というお寺さん。
天文22(1553)年に村上さんが武田さんに攻められ、館も焼失。その後、越後から義清の子・国清が天正10(1582)年に松代城代となり村上家旧領を回復する頃まで、ここは焼け野原のままだったらしい。国清が村上家菩提寺として満泉寺を建立したと伝わっている。
村上氏館は、元中年間(1384~1392)に千曲川対岸の村上郷から移り住んだときに建設されたらしい。山の上にある葛尾城も一緒に。以後160年以上にわたり、村上氏の本拠地となった。このお寺さんを中心に170㎡ほどの広さだったようだ。が、堀や土塁は残っていないらしい。
満泉寺の周りは住宅地で、明確に「コレ!」というものはなかった。お寺さんにも遺構はないようだ。
★☆☆☆☆
館跡は一度焼け野原になった、というだけあって何にもなし。
<村上氏館>
築城年 元中年間(1384~1392)?
築城主 村上氏
構造 平城