桜が満開の頃。またお城を見に行った。
近くに昔のムラを再現している公園があるというので、そこにも足を運んでみようと思う。
さらしなの里・古代体験パークという。同じ市内に似たような施設があるが、こちらは円光房遺跡を復元したもので、県立歴史館の施設より古いようだ。円光房遺跡は縄文中期の遺跡だそう。
←これの骨組みが
←こんな感じ
←高床式倉庫
↑祭祀跡
竪穴式住居の床は石敷き。ここにゴザ敷いて寝たり起きたり…ちょっと痛いかな…。このあたりの遺跡群の特徴的な床で、柄鏡型敷石というそうだ。
この辺りは、そこら中から遺跡があるということで幅田遺跡群という名前が与えられていた。中でも、この円光房遺跡は大きい遺跡らしい。幅田遺跡群は縄文時代前期(約6000年前)から平安時代初頭(794年以降)の遺構などが見つかっている。姨捨伝説についても、ここの遺跡から何か分かったらしい(併設の資料館には入らなかったが、多分何かしら展示されているんじゃないかと思う)。
姨捨伝説というのは、口減らしなどのために高齢の親を山に捨てに行く話である。結局改心して親を連れ帰るのだが、同様の話は世界中に見られるという。日本では大和物語(950年ごろ成立)が初見。
さて、本命のお城。明徳寺館という。現在は明徳寺というお寺になっている。
このお寺さんは、徳治2(1307)年に創建。眼病治癒の御利益がある薬師如来さんと樹齢800年の大杉があるという。戦国時代に村上義清の家臣が今の地に移転させたという。当時から廃墟だったという噂。そのためか、遺構はほとんど残っていない。
墓地周辺に土塁があるのみ。
実は「明徳寺館」というのは、謎のお城(館)跡なのである。そもそも「明徳寺館」という名前も便宜上そう呼んでいるだけらしく、誰がいつなんのために造ったのか文献に残されていない。地元にも伝わっていない。本当の名前も分からない。
この館のことを初めて知ったのは、1990年代に発刊された北信濃の城郭?というようなタイトルの分厚い本だった。少々記憶が怪しいのだが、「近年発見された」と書いてあった。土塁なんかもそのままずーっと放置されていたと思うけど…気づいたのが20~30年位前なのか。文献に全く登場しないために今でも築城主や築城年や城の名前が分からないお城は他にもある。桝形城とか。
ここは館跡なので、当然お城も存在する。すぐ近くの小高い山に堂城山城がある。もちろん主不明である。先ほどのさらしなの里古代体験パークの説明板だと、この辺りは6000年前から人が住んでたというが…それで口頭伝承さえなかったのかと思うと、不自然な気がする。敢えて忘れ去らせてしまったのかもしれない…伝承したくないほどの惨劇があったとか、そういう怖い理由かも?
★★☆☆☆
遺構が少なめ。お寺の雰囲気が強く、館の雰囲気あまりなし。
<明徳寺館>
築城主 不明
築城年 不明
構造 平城