目指す予定はこの山の頂上。自在山といい、天狗3兄弟が元々修行していた山である。この綺麗な三角錐のてっぺんには烽火台があった。
それじゃ大した遺跡じゃないと思っちゃうが、実は出浦城という名前で、ちゃんとしたお城である。ここから自在神社の参道へ入るのが正しいと思われるが、ちょっと先へ行ってみた。
別の参道から。
自在神社神楽殿。最初正しい方の参道から来てもココに出る。この神社の奉納神楽は有名らしい。村上一族の支配下の土地柄、御祭神は大己貴命だけど村上義光さんという方も合祀されているという。
村上義光さんは鎌倉時代末期に活躍した武将で、後醍醐天皇の皇子・護良親王の家来さんなんだそうだ。熊野へ落ち延びる際に護良親王をかばい、その身代わりになって死んだ忠義の人という感じになっている。
村上氏は同じ河内源氏ではあるが鎌倉幕府を作った源氏とは縁遠く、ましてや北条氏なんて赤の他人だったため、鎌倉時代を通じて不遇だったようだ。このころ、後醍醐天皇の討幕運動に参加し、護良親王を守り切った村上義光さんの功績により、その後始まった建武の新政で信濃国の権益などを認めてもらうことができた。つまり、村上氏中興の祖ということらしい。
また、この神社は村上一族の出身である出浦氏の産土神でもあるという。出浦氏はここの山城の主で忍者らしい。そして修験者が修行していた山でもある。修験者も忍者も変な技?使うし似たようなもんじゃないの? 共存しているのはなんか分かる気がした。
神楽殿スタートで、今のところは自在山往復(2、3時間くらいか)の予定…今回一人なので制約なし、余裕があるよー。
石段の先にはこんなものが。
イノシシよけらしい。かなり大がかりにフェンスで柵を作っているようで、フェンス設置の地図も貼り付けてあった。
フェンス壊されないよう堀まで。そして長い長い石段。
ようやく見えてきた鳥居。しかしその先にも。
石段地獄!
けっこう上ってきた。
見た感じ石段古そう。人力のみなら数年かかるくらい?
石段の途中、向こうの茂みの中に朱色がはげた鳥居が見えた。
お参りする人も絶えてしまったのか、正式な参道じゃないのか、草をかき分けないと進めない感じ。お稲荷さんらしい。元の道に戻る。
クッソ長い石段の向こうに何か見えてきた。
自在神社の奥社だという。
なかなかの見晴し。ちょうど孤落城・三水城と向かいあう格好だ。
自在神社奥社。
天狗さんが修行してそうな崖。なんか子供の守護神にもなってしまったようだ。
裏の岩山にも石碑とか何かあるという。お参りもほどほどに、先へ進む。
まずい、松茸山だったかー。捕まったらすんごい額のお金取られそう(松茸山トラブルは半端ないからなぁ)。ただでさえこんな山の中で人間に出くわすの嫌なのに、罰金寄越せと迫るような屈強な男たちに取り囲まれるとか想像したらぞっとする。
でもちょっとだけ…。
やっぱり怖くなって逃げた。松茸シーズンが終わると狩猟シーズンが始まり、どこからか鉄砲の音が聞こえてくる、これまた恐ろしい山になってしまうそうだ。入るなら4月5月がいいのかしら?
★★☆☆☆
あの崖の上に行ってみたかった…。
<自在神社>
創建年 南北朝時代
御祭神 大己貴命 村上義光
一旦下りて。
別ルートで頑張れないだろうか、とちょっと思った(そもそも、どこから入っても止め山だからダメなんだがね)。
自在山沿いを走る。
青麻神社。比較的新しい神社で、大正13(1924)年に宮城県の岩切青麻山・青麻神社から勧請した天照大御神を祀っているという。このあたりの人は中風に苦しむ人が多かったそうで、青麻神社は中風封じにご利益があるんだそうな。
左手の崖には祠がたくさん。ここから100メートル上ると薬師如来を祀っている大きな祠があるという。見えず。
更に山に沿ってうろつくと、こんな場所に出た。
庄内神社。
この神社裏あたりから自在山への登山道があるらしい。登山道というより鉄塔用の作業道だか林道だか。軽トラ程度なら途中までは上がれるようだ。