矢筒城。標高566.7mという低い山の頂上にある。
お城入口。お城の来歴などが書かれた説明板があった。それによると
・矢筒城、黒川城、牟礼城などの名前を持つ
・内堀は山の中に今も存在しており、外堀は埋められて舗装路になっている
・ただの山城ではない、お城と館が一体化
・大手口はここ
・天正の頃の城主は島津権六郎、彼の所領は牟礼村の他三水村まで及んでいた
島津というと大体の人間が薩摩の島津氏を思い出すだろうが、このお城の島津権六郎さんと薩摩の島津さんは親戚なんだそうな。本家はもちろん薩摩だが、たまたま島津氏初代が仕えていた五摂家のひとつ・近衛家の荘園である信濃国太田荘の地頭職になったことから、ここに島津氏が土着することになったらしい。しかし本家のいる薩摩国は遠すぎた。徐々に本家との関係が切れていったようで、戦国時代には交流がなくなっていたみたい。
信州島津氏(信州家)は島津初代忠久の三男・忠直の家系が長沼家、初代忠久の次男(越前家)の曾孫にあたる忠秀が信濃に土着してその子孫が赤沼家と称する。この二つの家は仲良く共闘し、最終的には上杉家に士官している。
で、島津権六郎という人はどちらの家の系統なのか分からないが、天文22(1553)年に武田さんに攻められ、滅ぼされてしまったという。何かで見たけど武田は信濃侵攻時、1日5個くらいのお城を落としながら行軍していったとか。なんだそれ凄いなと思ってたけど、こんな小ぶりなお城なら1日5個行けるかも? と思った。
入口すぐの林の中には祠が。ここのお城で命を落とした人たちを慰めるものか。
地図上では、このあたりが内堀らしいが。よく分からない。内堀は空堀、深さ4メートル、V字型だという。登山道から外れた場所は藪だらけ、歩きたくない。
見た目は急な感じだけど、道は上りやすい。
何かあるぞー? 郭か?
すぐ上は、なんか平らな雰囲気。
あっという間に到着ー。
ここが本郭跡地だそうな。変な像が建っていた。
麓の説明板に載っていた、平和のシンボル・平和観音というやつか。その近くにひっそりと。
島津と書いてあった、城関係のものはコレだけ。
本郭は意外と広かった。
そこら中に銀杏落ちてるー。
本郭周りにも郭跡。見た感じ、郭は東西の2か所あるみたい。
こっちが二ノ郭かしら? 北側は川と谷で守られ、南側には五条の帯郭があると書いてあった。回ってきた様子だと、北側には郭なし。北側以外は郭作って守ってるみたい。小さい山だけど、防御にはかなり力入れてる風。
三角点があったーちょっとびっくりした。
では下りよう。
あっという間に麓到着。
ついでに館跡地を見に行った。
現在は飯縄病院という病院になっていた。館跡を示す、なんだか新しめの石碑があった。病院の建物自体は古く、昭和55(1980)年にこの地に移転してきたらしい。館跡の発掘調査はその前年の昭和54年とあった。この石碑だけはごく最近作ったんだな。
★★★★★
思ったより歩きやすいし、良かった。探せば石積みもあるらしい。
<矢筒城>
築城年 不明
築城主 不明
構造 山城
近くの駅でヤギを見に行った。ユキちゃんみたいな子ヤギにすら怯えていた。ヤギを初めて見た訳でもないのに…。