お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

中御所守護館

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この神社、鳥居の扁額には「八幡宮」と書かれているが、どちらかというと御所天満宮と呼ばれている方が多いと思う。天満宮は学問の神様・菅原道真さんを祀る神社。受験シーズン、幟がたくさんたっている。ちなみに、ただの日本人から神様になったのは菅原道真さんが初めてらしい。近場で「学問の神様」を祀っているの、ここぐらいしか思い出せない。で、だいたい受験時はここにお参りに来る感じ。

「御所」とついているのは、この場所に信濃国守護所「中御所(なかのごしょ)」があったからだと言われている。この辺一帯は今でも「中御所」という地名。単に御所と呼んでいないのは、同時期に豊御所(とよごしょ)が近隣にあったからかもしれない。豊御所のあった場所は、問御所(豊御所が訛っちゃったらしい)付近、つまりトイーゴとかいう建物がある昔の繁華街あたり。

中御所と豊御所は、鎌倉時代初期に善光寺中興の祖であり鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝善光寺参りで寝泊まりする館として建てられたと伝わる。彼は折に触れて善光寺に来ていたらしい。噂では松代の尼飾城の娘に手を付けて鎌倉に連れ帰ったけど、嫁(正妻)にキレられて娘を里に返してしまったとか。

この時期は全国各地に鎌倉幕府が「守護」を置いていた。ここは守護の館跡とも言われている。当時は朝廷の置いた役所「国衙」の近くに守護所を建てることが多かったらしい、この二つの守護所も信濃国国衙のあった場所に近い。信濃国国衙は後庁と呼ばれていて、今の地名でいうと後町にあったようだ。

3つともかなり古い時代の役所跡なので、現在は跡形もなし。

御所天満宮付近はこんな感じの住宅街↓

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新しい家が並ぶ。オリンピック前に開発し始めたが、私の感覚だとスローペースな開発進度。元は(綺麗とは言い難いような)古い家がゴチャゴチャしていた訳わかんない地区だったよ。その不思議さに魅かれて高校ぐらいから時々見に来てたが、あの頃はまだ襤褸家が多少残っていたのにな。ここ数年で一気に変わってしまったらしい。見渡してもみんな新しく立派な家ばかり。でも、昔見に来てた時からお城の名残的なものはなかったような気がする

 

社務所らしき建物に、守護所跡のことが掲示されていた。それによると、

源頼朝が建久8(1198)年、善光寺に参詣したときの宿跡(領主の漆田氏がおもてなしのため建てた)

・この辺を領地としていた豪族漆田氏の館跡

信濃守護職小笠原氏の守護所または関連施設

という説があり、明治初年編纂の資料にも「御所跡」と紹介されているとあった。

館の規模は、東西66m、南北56mで中央が一段高く周囲に空堀があったらしい。平成5(1993)年からこの辺りの区画整理事業が始まったそうで、翌年の平成6(1994)年には「御所遺跡」という古墳時代から平安時代にかけての集落跡とされる場所の発掘調査がされていた。「御所遺跡」は「御所跡」をすっぽり覆う広さだ。元々この場所に集落があったから館を作る気になったのかな。

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それから10年以上あとの平成16(2004)年にようやく「御所跡」の調査が始まる。その結果は。

空堀 幅12m前後 深さ2m以上

・土塁 堀の底から測ると高さ5m以上

何それでかいじゃん。目と鼻の先の近さで栗田城があるけども、どっちもでかいお城だったんだな。

 

御所天満宮のある位置は、中御所守護館の北辺の中央ぐらい。じゃあ、すぐ後ろにでも堀あるんかなーと見たが、何もなし。御所跡の調査では建物跡の他、出土品も多数見つかっているようだ。古瀬戸などの国産品から青磁・白磁の舶来品、銅銭が出てきたのでそれらの解析から館は鎌倉時代に造営、戦国時代まで使われたと確定したようだ。

文安3(1446)年に「漆田の戦い」とかいう合戦がこの場所であったとも書いてあった。室町時代の小笠原家の家督争いだそう。調べてみたら、南北朝時代の元中4/嘉慶元(1387)年に地元豪族連合軍と守護軍(当時は二宮氏)が戦い、文明9(1477)年に領主の漆田氏が隣の領主栗田氏に攻め込まれて、負けるという合戦もあり。ちょくちょく戦乱に巻き込まれている場所らしい。大変だねぇ。

 

館は江戸時代には廃城となったが、そのあとここに八幡宮が建てられた。なので、鳥居の扁額が「八幡宮」になっているようだ。昭和54(1979)年に亀戸天神社より天神様が勧請され、「御所天満宮」にもなっている。

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建物は火災に遭い、平成4年に再建されていた。

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こんな絵もあったよ↑

 

私は絵馬に書かれた願い事を覗き見るのが好きなのだが。そういう不逞の輩が多いせいで絵馬を奉納する人達も警戒しているのか、願文も当たり障りのないものばかりになってしまった。この御所天満宮も「志望校に受かりますように」ばかりでちょっと物足りない。学問の神様宛てだし学業成就ばかりは仕方ないか。一昔前の、例えば縁結びをウリにする神社だと「○○さんと□□さんが別れて、私と○○さんが早く結婚できますように」なんて、色んな妄想と強い興奮が入り混じる不思議な気持ちになる絵馬があったりしたんだけど…そういうの最近減りましたねー。ちょっと寂しい。

 

★★☆☆☆

この地区変わりすぎ。まったく知らん場所になってるわ。

 

 

<中御所守護館>

築城年 鎌倉時代

築城主 漆田氏?

構造 平城