お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

笄の渡し+横吹八丁

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この場所は昔、川の渡し場があったという。「笄の渡し」という名前で、笄とは棒状の装身具。元々は髷を結うときに髪を掻き上げるため使った道具で、結った髪を崩さずに頭皮を掻けるという便利グッズでもあったらしい。それが、江戸期には花魁が頭にこれでもかと挿しまくってた、ああいう簪みたいな髪飾りとしての用途に変化したようだ。

 

なんでその笄が名前に入っているのかというと。

天文22(1553)年に村上氏居城の葛尾城が武田氏に攻められ、落城した。そのときに逃げ出した村上義清の側室(於フ子さんというらしい。オフコと読むのかと思ってたら、実はオフネさん…私には難しい読み方だった)がこの場所にたどり着き、船頭さんに「向こう岸まで渡してくれ」と頼んだそうな。一応戦場なので船頭さんも命かけなきゃならない。無事に向こう岸に着いたお礼に、髪に挿していた笄を船頭に与えた(やっすいなーと思ったけど船頭はそんなお礼で満足できたのだろうか…まあ逃げる時に金目のものを持ち出す余裕はないか)。

という逸話からきているようだ。しかし、笄というものを頭に挿し始めたのは江戸時代中期からという話。この当時、笄を髪に挿してるイカレポンチなんぞいるもんか! というのでこの逸話自体創作じゃないかとも言われている。

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笄の渡し跡より。正面の山に葛尾城があったのかな。現在の渡し場跡地は国道18号が通っているものの、戦国時代は崖であったらしい。それも、けっこう高めな。高崖と呼んでいたとも伝わる。高崖→こうがい→笄で話が生まれたのかも? という説も。

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オフネさんが逃げた方向。正面の山には出浦城跡がある。その先の荒砥城へ向かう予定だったみたい。川を渡った後の足取りは諸説あり、落ち延びた・死んだ(亡くなった場合も様々なバリエーションがあるようだ)とある。有名な説だと村上義清戦死のニセ情報を掴まされて、ショックで自殺したようだ。村上さん脱出して新潟に行ったからねー。

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オフネさん自殺の場所はここ↑

出浦城の麓にある姫宮跡。実は、川を渡ってすぐ位の場所。こんなところで自害じゃただの逃げ損じゃないかね? 憐れに思った人がこの話のオチを色々創作しちゃったのかなー?

 

河原に降りてみる。高崖と呼ぶにふさわしいのか、本当にちょっと河原からここまでは高いし急だなぁ。

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人がいない。水かさもなく穏やかだ。たまには洪水を起こしている。洪水の記録では仁和4(888)年が一番古く、現代までたびたび荒れ狂っている。

 

上の国道に戻る。新しめのものからボロボロのものまで、石碑がいくつも並んでいる。これらは最初からこの場所にあったものではないらしい。別の場所にあったものをこちらに移したようだ。

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 これら石碑群は旧北国街道の道沿いにあったものらしい。他にも石碑があったようだが、崖崩れなどで失われてしまったようだ。今は使われていないその箇所を「横吹八丁」と呼ぶ。

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何故か埋まっている水天宮。字面で分かるように水の神様だ。元は高倉平中宮の女官だった按察使局という女性が平家滅亡(寿永4(1185)年、壇ノ浦の戦い)のあと隠遁し、「水天宮」を祀り近隣の住民のために加持祈祷を行っていた。これが大当たりして信者が増え、全国に広まったとか。なので水天宮は天之御中主神天地開闢のときに現れた神)と、安徳天皇平清盛の孫)・高倉平中宮建礼門院平徳子)・二位の尼平時子)と平家にゆかりの人々も御祭神としている。

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でかい真ん中のは「音」の字しか分からない。両サイドはちゃんと「馬頭観音」と読めた。じゃあ真ん中のも馬頭観音かしら? 馬の供養塔である。

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真ん中の、横に仏様が彫ってあるー。

 

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よこふきや駒もいななく雪あらし と書いてあるらしい。吹雪いているのに過酷な道を歩かされた馬が悲しく鳴きながら崖下に落ちていきました。って感じの句? 名所なのでこんな句碑がいくつか。

 

慶長16(1611)年このあたりに道が作られた。それが北国街道らしい。それ以前は道がない。急峻で技術的に難しかったようだ。北国街道全通以前は、ここから上田方面にお出かけの際にはまず山を越えることから始めたようだ(山の向こうには道がある)。

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このあたりからは北国街道→国道になっているらしく、国道18号は江戸時代の道を改良してを走っているとか。江戸当時も国道扱いだっただろうが、ここまで広くなかったのかなあ? わりとなだらかに進む道でカーブもなく走りやすい。

 

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問題は、こちら側である。この道は明治時代に新しく作ったものらしい。江戸時代の道は崖へ上っていくようだ。歩道部分は旧線路だと。

電車用のトンネルが掘ってあるので、もうこんなところ通っていない。歩道にしては広いなとは思っていたが、電車が通るには狭そうだな。

幕末から明治にかけての時期にヨーロッパの蚕が病気で死にかけており、鎖国してた日本の蚕が無事だったために絹糸が良い値段で輸出していた。いつの間にか世界一の生糸生産国に成り上がり、昭和恐慌(世界恐慌)ぐらいまでは日本の主要輸出品だった。生糸主産地だった群馬や長野で早い時期に鉄道が通された理由らしい。

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このトンネルの近くに立派なお地蔵様が安置されていた。立地的に、トンネル掘削時に殉職した人々の供養じゃないかと思った…ただ、それにしてはお地蔵様が新しい。ひょっとして最近になってトンネルに幽霊さんが現れるようになったとか?

 

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横吹八丁は山の中腹あたりの隙間を歩く道だったらしい。道としてはもう残ってないらしい。崩れまくりで道は消え、歩けないっぽい。八丁=八町で約873m。その距離かつ崖の上・下は川というスリルがたまらん道だったんだろうねえ。

 

一応、入り口2か所は分かった。地図に照らし合わせて探さなきゃまず見つかるまい…。

出入口①  看板奥、落石フェンスの始まりあたりより

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ちょっとフェンスの向こう側を見たものの、道らしきものはなし。というか、崖をコンクリで固めてあったので消されたくさい。

出入り口② 案内板の先。向こうは店舗、店舗裏から上る

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書かれている文章の通り、店舗裏をこっそり覗いたら上り口があった。しかし、何人とも入り込めないよう、上り口はコンクリで固めてあった。そんなに危ない道なのか…人が使わないとあっという間にダメになるらしいがね(北国街道の難所としては、岩鼻狭間という場所もあり。切通もあるそうで興味があり、そこは一度歩こうと思って調べたが通行禁止っぽい。さほど崩れていないらしかったが昔はロッククライミングの名所、今は落石監視の機材や鉄塔なんかがあって常に人の手が入っているせいなのかも)。廃道(古道)好きだけど、無駄にキツい道だと関わりたくない感じになるわ。

 

そんな道なので、明治9(1876)年に村人が山肌を削って、新しく道を作った。翌明治10(1877)年開通。漢文の石碑もあって、そこには場所の概要、新しく作った道路の距離、経費と新道の効果、6年間通行人から金取ったなどと書いてあった(多分)。

道普請は許可制だったようで、国からの条件付き(旧道を廃止せず維持)でOKが出た。が、守られなかったのかね…案内板には「通行がなくなった」と書いてあった。

 

★★☆☆☆

渡し場より廃道が気になってしまった。

 

<横吹八丁>

開通年 中世

 

 

 

 

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変な所(道路わきの崖上)に南無阿弥陀仏。見た感じ古そうなものだけど。こういうの、どうやって運ぶんだろう。その場で削りだし&彫るのかね?