こんな仰々しい名前の公園に行ってきた↑
新興住宅地の中にある、ありふれた感じの公園。昔ここに尾張城があったから、そういう名前らしい。
黒御影石だかの渋く立派な石碑が建っている。この石碑の裏には平成11(1999)年3月の文字。恐怖の大王が降りてくるーと騒いでいた頃に出来た公園なのか。来歴も書かれており、それによれば。
・碑のある場所から北東約70mの場所に主郭があった
・尾張部三郎は永禄年間(1558~1569)の初め武田氏に下った、その時に城館を引き払った
・主郭は東西約96m、南北約85m
・二の郭は東西約118m、南北約69m
・内堀、外堀、馬出しがあった、回字形のお城
・平成5(1993)年~7(1995)年、土地区画整理事業に伴い発掘調査をした
・主郭、内堀、馬場など見つかる
・主郭部では多数の建物跡が見つかり、同時に陶器類も発見
新しい碑文のせいか、妙に細かく書いてるような気がした。天正年間から永禄年間で名字が微妙に違うの? 名字にちょっとだけ変化を付けてみようとか? それほど大きな変化じゃないし一体どうしちゃったんだろう。
発掘調査資料だと、尾張備中守という人物や尾張部氏という一族は実在が確かめられない、とあった。とはいえ、この場所の地名には「尾張部」が入っている。
具体的な活動も、「尾張部氏が平林氏を攻めようとして馬で駆けていたら、急に自分の屋敷から火の手が上がったのを見て慌てて戻った」という伝説が残っている程度。しかも尾張部さんと平林さんの戦争の決着すら分からない話。どうせ火付けしたのが敵の平林さんなんだろうから、尾張部さんはそのまま滅んだんだろうと思うけどさ。伝説が尻切れトンボなので気持ち悪い。
とりあえず実際のところは、いつ造営されどういう一族が住んでいたのか何故放棄したか全く分からないという状況。
明治時代に入った頃にはほとんど埋め立てられ、水田になっていたということで。区画整理事業でも残さず綺麗に消してしまっているだろうと思う。
公園の周りの道路や水路も尾張城には関係なさそう。周りの家も新しめな様子で、石碑さえなければ誰も城跡なんて思わない。
このテの公園にしては珍しいと思ったのが、どんぐりの木があること。
鈴なりー。子供が拾い集めてた。
子供はこの公園を甚くお気に召したご様子。そろそろ帰りたいので呼んでも、こちらの言うことなどガン無視。結局子供がウンコ踏みやがったので車へ強制送還した。ウンコとか…やめて欲しい…。
★★★★☆
遺構ないけど、子供が喜んでくれたから
<尾張城>
築城主 不明
築城年 不明
構造 平城