杵渕氏の家来だという荒堀さんのお屋敷跡は現在「荒堀公民館」になっている。
こちらも古くからある集落なので、周りは民家。遺構も見当たらず。
公民館の敷地内には祠と石碑。
石碑の方は文字が薄れすぎていて分からない。「なんとか大神」と書いてあるように見えた。裏は萬延とかあったので幕末頃の石碑だろうか。この荒堀公民館の中には雨乞いのお地蔵様が安置されているというので、その関係のものかね? 雨乞いのお地蔵様が何で公民館にあるのかもよく分からんが。ここは昔、神社だったとかなんだろうか。
内記は律令制度下の職で、詔勅・宣命・位記の起草・天皇の公式行動記録をつける仕事をしていた。字の上手い人が就く仕事だったらしい。よく聞く「外記」というのは内記が上げてきた詔勅などの内容をチェックしたり、除目・叙位といった公的儀式の執行を司る職、とあった。そもそも内記の仕事だった天皇の行動記録作成はいつの間にか外記の仕事になり、ここの職員は多忙になってしまったらしい。そして、最初は同等だったのに内記<外記という位置づけに変えられてしまう。平安時代以降は内記という職が衰退していった。そういう経緯で人気がなさそうな官職のようだ。
★☆☆☆☆
祠などは気になったものの、他は何もなかった
<荒堀内記屋敷>
築城年 不明
築城主 荒堀氏?
構造 平城?