・平林館跡とは、松代町豊栄地区の諏訪社周辺に比定されている居館跡
・沢状低地に挟まれた小高い傾斜地にあると推測されている
・現在は宅地である
・古い地図にも堀や土塁の痕跡が読み取れない
・具体的なことは何一つ分からない
とあった。
実際に見に行ってみた。
諏訪社というのはこんな場所↓
村中安全所。
諏訪社の本殿。
この場所は大昔の荘園で、名前を「英多荘」と言ったらしい。「英多=あがた」だそう。本当、昔のモノは読めない。延久2(1070)年には殿下御領という藤氏長者の荘園になっていたようだ。藤氏長者は藤原氏の一番偉い人のことで、藤氏長者の地位に付属する土地の名称というのが殿下御領というそうだ。…荘園ってなんだっけ、と分からないのでとりあえず家族に聞いてみた。
・荘園とは?
脱税するやつ
・何故脱税に繋がるのか?
名目上は私有地である別荘の庭で、庭から農作物はとれないことになってる
分かったような分からんような。とりあえず、農地であれば税が課せられるが「農地ではなく非課税である庭」と貴族とかが主張し、管理人を常駐させて税取立てにくる国の役人を追い払ってたようだ。
鎌倉時代の「英多荘」の地頭(管理人)が地元在住の平林さんという人で、その屋敷がココにあったということらしい。
不思議な場所で、神社境内より道路の方が高い。
道路の反対側は民家だったが、こちらは下がっている。
何故か隣の民家の敷地と神社を結ぶ道がある。
諏訪社からは館跡っぽいものがまるでない感じで、ちょっと館跡をイメージしづらい。データベースの記述通り。
裏手も何もなし。
英多荘内には館の他に、清滝城というお城があった。そのお城も来歴不明みたい。この館からは結構離れた山の頂上にあるので、きっと平林館とは関係が薄いのかもしれないと思った。清滝城も古く、室町時代・南北朝時代が始まった建武3(1336)年には存在していたようだ。
↑諏訪社の摂社。鏑木門の祠が気になる。
★☆☆☆☆
何もない神社
<平林館>
築城主 平林氏
築城年 不明
構造 平城
鳥居の傍に桜の古木と石柱が。
皇太子殿下誕生記念。昭和9(1934)年に建てられたものだった。並び的に桜を生誕記念として植えたのかと思ったけど、違うのかなー。桜の木、ちょっと老い過ぎてるような気がする。