この神社は、関屋氏という一族が諏訪大社の分霊を勧請したことが初め、と言われているようだ。関屋氏は諏訪氏の一族で、諏訪明神の氏子から成る諏訪神党という武士団のメンバーだとか。諏訪一族の大祝為盛という人が関屋地区に移住して、関屋氏と名乗ったのが延久元(1069)年と伝わっており、それ以後に氏神として建御名方をお招きしたそうだ。御祭神は建御名方命の他、八坂刀売命、事代主命。御柱は何故か明治17(1884)年からやり始めたらしい。歴とした諏訪系神社なのに意外だわ。
別の場所だが関屋氏の関屋城も残っている。ここには地蔵峠に向かう重要な街道がある。松代と真田を結ぶ道。関屋城はその監視をするためのお城だったらしい。関屋氏の館は氏神様を祀るこの神社近くなのかなと思っていたが、実は館がどこにあったか分からないという。
広くないものの、雰囲気はとてつもなく良好な神社。
古風な神社。拝殿はどうだか知らないが、本殿は応永12(1405)年に造られたらしい。棟札も残され「造営の趣旨」や依頼した関屋さんの名前、建てた大工の名前などが残っていたという。そんな大昔の建物だから、がっつり保護されていて何も見えなかった。
↑この中に本殿があるようだ。
左:源関神社本殿 中央:皇大神宮 右:住吉社
という順番で並んでいるとか…皇大神宮が真ん中なのか、最高神だからなのかねー? 並び方も意外に思った。
説明板には
・本殿の形式は一間社流造
流造は全国の神社で最も多い形式で、屋根が反る・前に伸びてきて向拝(庇)のように出てきているもの。その中でも、桁行の柱間が1間(支える柱が2本)であるものを一間社流造と呼ぶようだ。
・屋根は板葺、母屋は丸柱、向拝の柱は角柱
流造の一般的な形式と同じ
・母屋の柱上には舟肘木
下半円の形をしている肘木(単純な、ありふれたもの)
・妻飾は豕扠首
切妻屋根の両端に棟木を受けるために△形に組んだものを扠首といい、豕扠首は△の中央に束(短い棒)を立てた形式
・正面は幣軸付板扉
扉口の上方と左右の三方につく繰形付きの額縁の付いている板戸(よく見かける板扉の様式)
・三方は板壁で切目縁を廻す
切目縁=板の張り方で外側に板の木口が見えるようにある
・向拝は大面取角柱、木鼻付頭貫を通し、組物は連れ三斗
大面取角柱=面取り部分を大きく削っている角柱
木鼻=貫から飛び出している部分、装飾されていることがある
頭貫=柱と柱を上部でつなぐために柱の頭部に用いる横木
組物=柱上に置かれ軒や屋根を支える装置
連れ三斗=三斗はШ←こんなような形(縦棒が斗と呼ばれる)、連れ三斗は斗が4つになったもの
・母屋柱と向拝柱は繋虹梁で結び、正面には三段の階段
虹梁=⌒と虹っぽく反った梁
繋虹梁=柱と柱を繋ぐ虹梁
ということだが。文章だけでは本殿の姿がイメージとして浮かんでこない。実物を見たい。
と思っていたら、写真で見られたよ。600年以上前の物の割には綺麗な気がしたよ。大事に護られてきた神社なのね。文化財データベースに感謝した。
拝殿は特に文化財指定されていないから本殿と同時期に建てられたものではなさそうだが、それなりには古そうだ。
装飾も少なく、こちらも古風な感じがする。室町時代に造られた本殿と雰囲気を合わせているかのような。文化財指定されてないんだから、やっぱり見た目ほど築年数が古くはないんだろうねー。
↑拝殿の掲額、字が完全に消えてるよー。なんて書いてあったんだろう?
二軒繁垂木っていうものなのかな、京都の寺社っぽい感じ。
1月に出かけた、江戸後期に造られた古大穴神社と同じような軒裏だけど、やっぱりどこか見た目の違いがあるような気がする。こちらの方が「古い」としか言いようのない見た目(明確にどこがどうとか説明できないが、そういう印象を持った)。拝殿を建て直したときに、元の拝殿と全く同じものを建てたとかなのかなー?
★★★☆☆
雰囲気あった、良かった
<源関神社>
創建年 延久元(1069)年以降?