普段よく通っている道に「福沢氏ゆかりの寺 飯縄山福泉寺」という看板があった。ずっと気になっていた。場所は狐落城のある山の麓付近。村上さんの本貫地である。
村上さんの土地の中に福沢さんが居る? それとも村上さんの親戚の人か?
わざわざ「福沢氏」と銘打っているんだから、何か地域で有名な一族なんだろうか。福沢という有名人なんて福沢諭吉ぐらいしか知らない。誰もが愛してやまない一万円札の人。しかし一万円札は大分県の中津藩士の子、親は大阪で仕事していたので出生地は大阪。長野に関係なさそう。
と思っていたら、一万円札は「私の遠い先祖は信濃国福沢出身だそうです」などと言っていたとか。ただ、その言い方だとざっくりしすぎてよく分からないことになっているらしい。長野県内には「福沢」という地名の場所が11カ所あるんだと。そのうちの一つが坂城町の福沢という場所らしい。また「福沢氏ゆかりの寺」の福沢氏というのは村上氏の家来やっていた福沢氏を指しているとのこと。つまり、福沢諭吉の先祖=村上家重臣福沢氏かもしれない、とか。
その福沢氏の館跡があるとかいうので、見に行ってみた。「福沢氏ゆかりの寺」からは少し離れている(というか、小さい山をひとつ越えた別の地区にある)。
福沢川という川が流れている。
川を渡ると、葡萄畑発見。
この奥が館跡だとか。
屈んでみると、葡萄畑の奥は盛り土? 削った? どちらか分からないが、急に高くなっている。その一段高くなったあたりに館があったらしい。
館跡周辺を取り囲むように道があるので歩いてみた。これは多分、堀の跡ではないと思う。
ゆるい坂道になっている。
この辺か? と思われる場所は民家と畑に。
見た感じ、何もない。
件のゆかりのお寺さんHPには、
- 福泉寺開基は福沢薩摩守政隆
- 福沢氏は村上氏の重臣(親戚)
- 天文年間(1532~1555)は塩田城の城主
- 天文22(1582)年、塩田城の落城と共に福沢氏滅亡
- 福泉寺は天正年間(1573~1586)創建なので、福沢一族は全滅しなかったのでは?
という内容が載っていた。
村上氏の最重要拠点だった塩田城が落城したときに、本家筋でもある村上氏を越後に逃がすために福沢氏は人間の盾となり武田軍の攻撃をガッツリ受ける→福沢氏滅亡→武田家も滅ぶ→福沢一族の菩提寺として福泉寺創建という流れのようだ。
ちなみに塩田城は建治3(1277)年、鎌倉幕府の第六代連署(副執権)だった北条義政が信濃国塩田荘に移り住んで来た時に造られたお城。北条義政という人は病を得て、何もかも嫌になったのか遁世してしまった。もちろん仕事を途中で放り投げられた幕府の偉い人達は怒って北条義政の領地没収。その後、幕府内で出世できなくなった塩田北条氏が3代に渡って統治した。北条義政は文化人としても有名かつ金もあったらしく、鎌倉文化を持ち込んでお寺さんなどを建てたりしたようだ。そして元弘の乱(1331~1333)では「いざ鎌倉」と駆けつけたものの幕府と一緒に戦い滅亡。領主が村上氏に変わった。塩田北条氏は出世できなくなったとはいえ家格が高く、当然塩田城も大変立派なお城である。中世城郭としては長野県最大級だとか。村上氏と武田氏も改良を重ね、最終的には弘法山という山をすべて城塞化している。
ただし、塩田北条氏(北条俊時)の子孫がすべて死んだわけではなく、足利氏に属して塩田荘の領地を安堵されたともいわれる。前山村(前山寺がある辺り)の福沢に住んだ末裔は福沢氏を称し、宮沢に住んだ末裔は宮沢氏を称したそうな。宮沢氏は後に消えてしまったが、福沢氏は後に村上氏の配下になったという。文安5(1448)年から福沢氏が塩田荘の代官を世襲しており、長享3(1489)年まで記録が続いた。
この話が事実だとすれば、どういう理屈で福沢氏が別所周辺を支配していたか納得出来る。ああ、北条氏→福沢氏→一万円札ということなのかー。凄い家の人だった。
林道があった。古そう、結構暗め。
石碑の裏には林道が造られた経緯などがまとめられていた。それによると
- 昭和57(1982)年、森林育成と保護のため林道建設が発案される
- 尽力した県会議員の名前、坂城町町長の名前、坂城町の議員諸氏により坂城町の事業とし、同年「林道網掛線」として着工
- 延長3617m、幅員3m、総事業費1億213万円、昭和60(1985)年竣工
- 受益面積約300ha 受益戸数114名
- 雑務をこなした網掛林道委員会常任委員と土地を無償提供した74名に感謝
- この林道は森林資源の動脈として、また地域住民の森林浴遊歩道として活用してほしい
- 国県町の関係機関、林道建設に協力をいただいた福沢区の皆様、この記念碑建立に御芳志いただいた方々に感謝
とあった。意外と新しい。この林道は途中で二手に分かれ、1本は山の上にある温泉施設へ、もう1本は県道160号上室賀坂城停車場線にぶつかる。総延長3.6kmとあるから、県道160号にぶつかる道が本線らしい。上室賀坂城停車場線は大昔からある道のようで、室賀峠を経由し坂城から上田に抜ける。
ぐるっと一周まわることにした。
館跡方面。奥が最初見た葡萄畑。こう見ると、多分削っているんじゃないかと思った。切岸というやつかねー?
↓やっぱりちょっと段になっているみたい。
福沢氏は福泉寺を建てた後、また消えたらしい。一説によると、村上水軍(南北朝時代に信州村上氏のうち南朝方が瀬戸内に移住した→海賊衆になる、という説があり、それに基づくと村上水軍と福沢氏は遠い親戚関係にあたるようだ)を頼って四国へ行き、その後は九州に移住したらしい。福沢諭吉は大分中津藩士なので繋がってくるというお話。
「福沢」11カ所のうち、現在最有力なのは茅野市豊平福沢で有志が石碑を建てたらしい。その次くらいに坂城町網掛福沢なんだそうだ。しかし当の本人は自分のルーツに興味がなかったようで、特に先祖を調べたりしていない様子。その後色々な人が調べたらしいが、結局どこなのか今でも確定できず。進め一億火の玉だ的な感じのヤケクソな終わり方をした一族の子孫が一万円札の人物だなんて、ちょっと嫌だなとは思った。茅野市豊平福沢が発祥の地でいいんじゃないかねー?
★☆☆☆☆
長閑で静かな田舎だった
<福沢氏館>
築城年 不明
築城主 福沢氏
構造 平城
こんな案内板が設置されていたよ。もうすぐ一万円札も変わっちゃうね。