お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

四柱神社

先日、私の車が破壊された。もらい事故で相手に支払い能力がなさそう。やってらんないわ。車は廃車の予定となり、まさかこんな形でお別れすることになるとは…と落ち込む。とりあえず誰かウチの玄関に1億円くらい置き忘れてくれ。

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松本の市街地にある神社。歴史は浅く、明治になってから創建された神社らしい。

 

江戸時代には何だったのかというと、松本城の大手門の手前、枡形になっていた場所だそうな。

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↑この絵図の「現在地(推定)」というのが、ここ↓にあたるらしい。

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置いてあるオブジェ?は何なのか。

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松本の城下町は大手門の中、↑こんな感じで広がっていたようだ。松本藩初期の石高は10万石(遺産相続で分割したり等で石高減ったりする)、その後別のおうちの人が入城して石高は藩主家により6~8万石となっていた。

世界で10万人くらい住んでいる国を探したら、アンティグア・バーブーダが出てきた。イギリス連邦の国で、カリブ海に浮かぶ島。広さは種子島程度。首都セントジョンズの2005年時点の人口が約3万人だった。もしかして松本城下にもその程度の人が住んでたのかなー? 調べたところ江戸後期の松本城下には2万人弱、明治元年の松本藩全体の人口は約12万人(明治元年松本市人口は約1.2万人らしい)。アンティグア・バーブーダの人口とだいたい合ってるのかねー? 江戸時代後期から日本全体で人口減少時代に突入し、特に都市部(城下町)では人口が減っているとか書いてあったので、もう考えるのは止めようと思った。

 

この場所は大手門(=正門)跡ということで、何か出てくるかと発掘調査も行われているそうだ。案内の看板には。

  • 16世紀後半石川家の時代に天守閣を建てると共に、城下町をぐるりと取り囲む堀を整備したようだ、そして大手門も造ったらしい
  • 平成24(2012)年に発掘調査を行う
  • 長さ約18m高さ最大1.4mの石垣が見つかる
  • 石垣は総堀の一部ではないかと思われる
  • 総堀は明治11(1878)年以降埋め立てられたという記録がある
  • 明治4(1872)年に大手門が廃されたという記録もある
  • 大手門の取り壊しで出た廃材は総堀に捨てたようで、総堀跡からはうち捨てられた状態の瓦等が発見されている
  • 発掘調査の成果→大手門の枡形など在りし日の位置や規模が分かった

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四柱神社はその名前の通り、御祭神が天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神天照大御神の4柱。天照大御神以外の3柱は天地開闢の時に現れた神様達だそうだ。

天之御中主神は天の中央に坐る主神で、残りは脇侍みたいな位置づけなのかね。似たようなお名前だしなー。高皇産霊神神皇産霊神は宇宙創造の根元の神様で何かを生み出したり調和させれくれるみたい。

元々は明治5(1872)年に神道中道院という施設が造られたことで始まっているらしい。明治3(1870)年に大教宣布という明治天皇の詔があったようだ。これは天皇に神格を与え神道を国教と定める宣言らしい。それに基づいて神道の布教活動をするため、総本山的なやつらしい「大教院」、都道府県単位で置かれた「中教院」、地域単位で置かれた「小教院」という施設を造った。このうちの中教院を母体とし、明治7(1874)年には4神を祀る。明治12(1879)年にこの場所へ移転してきたと同時に神社化、村社「四柱神社」となる。

ちょっと電波っぽい書き方の由来書は、国策でやっていた布教活動のせいなのかな? 一瞬だけ「トンデモか!?」とわくわくしてしまったよ。

 

 

  

 

★★☆☆☆

こんなところに城下町松本の入り口あったのね

 

四柱神社

創建年 明治12(1879)年

御祭神 天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神天照大御神