現在私有地(御子孫が近くにお住まいだそうな)のお城跡。奥のジャングルめいた場所が跡地。石碑は土塁の上に建てられていた。
手前は川だかなんだかで、勘左衛門堰というらしい。総延長10kmの、中々珍しい用水路のようでwikiに載っていた。
江戸前期に作られ、現在も現役なんだそうだ。取水口は松本市にあるが、補助の取水口というものも存在し、それがこの豊科飯田にあるようだ。ちなみに安曇野には総延長15kmの用水路もあり(拾ヶ堰)、あまり水に恵まれない地であったようだ。あんまりそういうイメージがないわ。山葵農場の印象が強いから、澄んだ水が大量に流れるなどと思っていた。けど、この手の用水路を江戸時代に大量に作って現在の「自然豊か」風な安曇野を創り出したのかもねー。
拾ヶ堰は勘左衛門堰より後の寛政11(1799)に立案、文化14(1817)年竣工で、江戸中期~後期のお仕事になる。
で、この飯田砦前を流れる用水路は堀を流用してるのかもしれない。確証はない。
土塁はこんな感じ↓
土塁を辿っていくと、神社があった。
氏神様をお祀りしているのだろうか。
多分ここから神社に行ける?
とりあえず一周しようと、回っていたら。如何にもな旧家風のお屋敷があった。あれは間違いなく御子孫のお宅だよねえ。
こちらが大手側らしい。入るなって書いてある看板あったよー。ちょうど神社と対角の位置ぐらいかな?
鬱蒼としており、何も見えない。が、かなり状態良く残っているという噂で、勝手に入り込む輩が後を絶たないらしい。
でもさー勘左衛門堰側にあんな立派な石碑と入り込めそうな神社の参道あったらさ、入っちゃうよね…と思った。
ちなみに、あの立派な石碑の裏には
と書かれているようだ。
<飯田砦>
築城主 飯田氏
築城年 不明
構造 平城