岡城跡が思いの外良かったので、あまりリサーチせずに次のお城に行ってしまった。
須々貴城。
今は「須々貴山神社」になっているらしい。背後の山が須々貴山というのだろうか。
猪避けなのか、入り口がこんな感じ↑で非常に敷居が高いように思えた。柵をキィと開けて入る。
古い神社なのかどうか、よく分からん。
えーなんか石段おかしくね? ちょっと石段の先が見えないような気もするわ、その辺がね何かね。
少し周囲の様子を観察してから、石段を登り始めた。
急階段かつ緑が濃いので先が見えないに違いない。きっとそう。
登山道もあるらしい、しかしせっかくなので階段を。まっすぐだし、登山道を行くより近道だろう。今日は1人だった、しかも行き先は誰にも言わずに来た。
新しめの看板。山の名前は「天白山」だそうな。石段も507段とあるが、まぁ大したことじゃないだろう。改修してあるっていうし。
そんな気分で登り始める。
↑変な奴あった。
100段。
昔の石段だし、多少は急だけどこんなもんだろう。正直、そこまで疲れてないわ。
でも真っ直ぐ伸びているせいか、地面が少しずつ遠くなっていく実感がわく。
苦労感じずに200段到達。
半分過ぎた。さすがにちょっと疲れたかしらね?
↑落ちたら死ぬかな? 少し慎重に行こうか。
400段到達。キツくなってきた。
なんとなく先が見えてきたよ。
階段は狭い、少し歩きづらい。
後ろは純粋に怖い。転んだらマジで死ぬ。行き先は家族に告げてこなかったし、こんなところで落ちたら死後数日たってやっと見つかりそうな。地元民もこんなクソみたいな階段のある神社、頻繁には来ないと思う。二時間サスペンスドラマで、たまに公園や神社でもみ合い→片方が石段から落ちる→死ぬ、っていう展開見るけど。精々20段程度で死ぬかいなーって生ぬるく見てしまうのだが、こういう階段でやったら非常に説得力があるし、ドラマ映えもするんじゃないの? と思います。
500段にやっと来た。この時点で恐怖のあまり立って歩けず、四つんばいで階段を上がるという体たらく。高所恐怖症じゃないのに、この階段は身体が受け付けなかった。
500段と少し上がり、広場に出た。やっと人心地ついたわ。振り返って見る余裕も生まれた。
よく分からない石碑。字が読めないの。あれ、ここが本郭跡かしら? と思ったけども雰囲気がおかしい? 郭的なものないし、堀切みたいなのもないし。ふざけた石段で真っ直ぐ来ちゃったから見えなかったのかしら?
結局家帰ってきちんと調べたら、さらにこの奥、尾根伝いに上がっていくと本郭になるそうな。この場所は須々貴城でも「下の城」と呼ばれるエリア。本体は「上の城」のようだ。
↑多分こっち上がっていくんじゃないかなー? 何も考えていなかったので、よく分からない。
須々貴城は、
- 上田原の戦いで、村上義清が布陣した城
- 元は地元の豪族、小泉氏が築城した城らしい
ぐらいしか分からず。小泉氏も「小泉下の城」「小泉上の城」「根小屋(小泉氏館)」と他にも城を持っている、力を持った豪族だったらしい。上下のお城造っちゃうのは小泉氏の伝統かなんかなのかね?
この地域に小泉小太郎伝説という民話があるんだけど、その小泉さんとお城の最初の主の小泉さんと、何か関係があったりして?
何も調べてこなかったので、とりあえず探す。
私の目に留まったのは、こっちの階段↓
何かあるから行ってみよう。
登ったよ。
崩れてるんですけどー。
登り切った。
須々貴山神社の社殿のようだ。こちらは非常に眺望がよく、物見台だったかも。
社殿はそんなに大きいサイズではないが、平場ギリギリに建てられている。
↑こっちが上田原の戦いの戦場方面だっけ? もうちょっと右だっけ?
↑反対側は山
本人はこんなイタズラしたこと覚えてないと思うわ。
↑多分上田市街地方面
とにかく見晴らしがいいことが分かった。
この神社には、天白大権現?と猿田彦命が祭られているようだ。この山は天白山とも呼ぶらしく、この神様が元ネタということなのかしら? 猿田彦命は天孫降臨で降りてきたニニギの道案内をした神様。ところで、この2柱はどういう関係なのだろうかね。
お参りを終え、無事に下の平場に降りられた。
帰り道はこっちだって。
さすがにあの石段を降りて帰る変態はいないかー。
こっちの道の方がいくらかでも楽かもしれないし、素直に標識に従った。
いきなり雲行きが怪しくなった。
この道も苦しい道ですなー。
最初は覚悟したけれど。他は普通の山道だった。
とりあえず、一度は転んだ。だが、あの石段よりもずっとマシな気がする。
山道もきちんと整備されているようだ。
そのうちに、何か竪堀のような巨大な堀切が見えてくる。
やっとお城らしいものを見つけたよ。そんな竪堀もすぐにいなくなった。
また出てきた竪堀。
↑また出てきた竪堀
登山道は蛇行しているので、竪堀に近づいては遠ざかる。
↑最後に竪堀を見かけたときは、こんな感じ。もっと続いているようだが、見かけなくなった。
獣の形跡かしら?
もうすぐ下界に降りそう。
はい着いたよ。
古い石灯籠1対は文政12(1829)年13(1830)年に奉納されたものらしい。願主は同一(入田澤村と田澤中村かな?)のようだが、何故か文体が違う。
★★☆☆☆
個人的には非常に楽しかったけど、こんなところ子供は歩けない
<須々貴城>
築城年 不明
築城主 小泉氏?
構造 山城