入山城に行ってみた。数年前にも一度来たことがある。
前回来たときにはこういう張り紙↑があったが、今回はなくなっていた。ポケストップなどがあったわけではないし、多分ここまで探しに来るような人もいないのにーと思ったよ。やっぱり誰も来なかったんだな。
前回来たときと同様、今日も人っ子1人居ない。
山の麓には↑こんな感じで道らしきものがあった。しかし、よく分からんので前回と同じように給水施設から登ってみた。こっちの方が車を駐めるスペースもあるしねー。
↓前回
↓今回
季節がだいぶ違うねー。
お城は正面左に見える、こんもりした山の中にあるらしい。一応、千曲市が史跡指定しているが、登山道なしとのこと。ここから普通に道っぽいのあるじゃん。などと安易に考え、前回は途中で脱落したのよね。そんな経験がある為今回は1人で来た。
↑北側は急斜面。
目印のピンクのテープがあるものの、途中で消える。この辺りはまだ人の手が入っている雰囲気。
適当に歩を進めて行く。徐々に獣の足跡ばかりが目立つようになってきた。
最早人間が手入れしている気配がない。前回はこの辺りで断念。子供は歩けないだろ、こんな場所。
↑登ってきた後ろ
もうちょいでお城に着きそうなので、なんとか頑張る。獣の足跡すら消えてしまった。山の生き物ですら敬遠しちゃうような斜面なのかー? 意地でも登ってやるー。
斜面を登り切ると、急に明るくなった。着いたらしい。
石積み? 石が並んでいるように見える。ただの石がゴロゴロ積み重なっただけかなー? 少し不自然な感じ。
見えてきた場所が4の郭。ここには祠があった。
祠には神様がもういらっしゃらないのか、誰かお参りに来ている様子もない。荒れている。ただ、先ほどの急斜面と違ってこの平場は動物達の憩いの場になっているらしく、コロコロうんこがたくさん落ちていた。なるべくならうんこ踏みたくない。そんな願いもむなしく、そこら中にうんこが落ちていた。諦めた。私はこの日、一生分のうんこを踏んだと思ったよー。
4の郭とお隣の本郭との間には堀切があった。意外と深い堀切で、これだけで満足したわ。
どちらかというと、北側(恐らく館があったと思われる方向)の方がしっかりとした造りで、南側は防御が甘い感じ? 郭の連絡路は南側にあったのかな。
祠は「蚕」「稲荷」の文字だけ分かった。蚕という文字があるところを見ると、祠は明治以降の新しいものかもしれない。どちらにしろ、祠があるぐらいだからどこかに道があるはずだよね? 私が侵入した経路が間違っているんだけども、最初に見た道らしきものがココまで繋がっているか確信持てず。
昔の地図を見ると、城山(この場所を指しており、地図上には4つの郭が描かれていた)という表記、「越道」という文字と細い道も描かれていた。道があったことは確からしい。生活道だか隣の集落へ向かう近道のようだった。
お隣の本郭に移動しようと思う。
南側から移動。
堀切の中から。
本郭に到着。
さっきよりもずっと広い。
腰郭のようなものが↓
北側には土塁↓
仮想敵は北側に住んでいたんかね? 南側は誰も攻めてこないの? 大丈夫なのかねー?
↓本郭から見た4の郭
高いねー。
次の郭へ移動しよう。
ところが次の堀切が異様に深い。これどうすんだよ、登りにくいな、などと考えてとにかく南側に目をやると。
土橋というやつなのかね? 道らしきものがある。
2の郭に到着↓
特に何も残っていないようなので、次へ。
ここの堀切も中々深い。
3の郭に到着↓
後ろを振り返ると、それぞれの郭が駱駝の瘤のようにヒョコヒョコと見えていた。それだけ堀切が深いということなのかもしれない。感激してしまった。
でも、このお城目立った活躍はしていなさそう。標高は低い、城主もよく分からない。すんごい堀切深くしてるのにさ、何か勿体ないね。
3の郭は細長い感じ。
奥へ進んでいくと。
最後の堀切きた。この貧弱な堀切を渡ると。
謎の盛り上がりが。
見た感じ、土塁とかではなさそう。自然に出来るものではないので何かの施設?
この盛り上がりはフッと消えてしまった。もうこの先、何もないようなので帰ることにする。
↓本郭より善光寺方面(北側)
↓本郭より出浦城方面(南側)
あっという間に4の郭下まで戻った。お城の規模は小さい。密度が濃い。市の史跡に指定されていることに納得だよ。凄く綺麗な状態だなと思った。
問題はここから。斜面を降りるの嫌だな。うんこ踏みまくったから気分的には「どうにでもなぁれ」なんだけど、転んで雪まみれになったり怪我するのは絶対に避けたい。重要度としては、うんこ<怪我だよ。
怪我せず転びもせず、なんとか降りられた。やったー。
その後は麓まで降りた。
麓には見性寺というお寺さんがある。
扁額が「第一義」だった。仏教用語で究極の真理という意味らしい。なんかで見たなと思い、考えてみたら昔行った新潟の林泉寺の扁額と同じ言葉。高田の老舗和菓子屋さんで「第一義」という名前の羊羹が売っていて、それを買ったんだった。
お城のある山の近くには、路傍にこんな石柱があった。
この辺りは古い道がいくつか交わっている交通の要衝だったようで、入山城は街道監視のお城だったらしい。↑の石柱には
西 松本麻績道
東 坂城道
北 八幡善光寺道
とあった。
更に道を行くと、
↑馬頭観音が立ち並んでいた。
明治という年号が入っているものがあり、そんなに古くないと思うんだけど。いずれ埋もれて自然に還りそう。
★★★★☆
とても良かった、麓の道?から登れば楽勝だったのかな
<入山城>
築城年 不明
築城主 入山氏?
構造 山城