初夏に野尻湖行って遊覧船乗ろうとしたが、↑天気が悪すぎて船欠航。素人目で見ても無理だろうという天気だったので仕方ない。大人しく帰ったよ。
しかしどうしても今年中に行きたく(来年は諏訪湖の新しい遊覧船に乗りたいから)、冬季運休に入る前になんとしても! ということで、ちょうど時間が出来たので行ってみた。
我々の日頃の行いが悪いために、この日も天気が怪しい。チケット売り場で「あのー今日船出てます?」と聞いたが「天気が悪いので今のところ出せない、微妙すぎて今後も無理かも?」との返答。とりあえず、次の便(5分後出航予定だった)は駄目だから、次の次の便が出る1時間後に来てくれ。とのこと。しかし、その返答なら1時間後も駄目かもなぁ…また子供が面倒臭い。
トイレなどの用を済ませるため、たまたまチケット売り場付近を10分ほどウロついていたら。「船出られます! 乗る方来て下さい!」と叫ぶ売り子のお姉さんが現れた。おおーっと人が数人チケ売り場に行き、我々も慌てて列に並んだ。
多分、他にも諦めてその場を離れた人達がいただろうと思う。トイレに行って良かったよ。今回乗り合わせることになった人間は全部で7人。
船は200人以上収容出来るデカい船では無く、20人くらい収容の小型船だった。しかも古い感じの。
↑こんなだよ。
屋根に登っても良いらしい。
すぐに出航した。
船内では野尻湖の案内放送がかかっているけど、どちらかというと乗り合わせた老夫婦がはしゃいでいたことのほうが印象深かった。「船はイイネー」とずーっと言ってた。
天気のせいなのか、妙に寂れた雰囲気が良かった。この辺りは外国人も結構多くやってくるらしく、外人向け別荘群があるという。軽井沢が有名になりすぎて「閑かな場所を」ということで探し当てたのがココだったらしい。最初に探した人の故郷・カナダの風景に似ているとか? そういう理由なら、寂れた雰囲気でいいのかも。大学の合宿所も点在しているみたい。意外とレストランも周りにあったしな。もうちょっと天気が良い日なら人出も多いかもしれない。
↑屋形船いた
お目当ての島が見えてきたよ!
弁天島というそうだ。
上陸だよ。
↑昔の船着き場はこちらだったようだ。
↑今はこういう場所に船着き場がある。
宇賀神社。
創建は天平2(730)年、行基が御神体を安置したとか言われている古い神社。
お城跡でもある。野尻城または琵琶島城といい、築城時期は定かではないらしい。
階段を登ったあとの平地。
先がおかしい。
堀切だった。デカいヤツですぐ分かる。堀切の先は神社の本殿が見えてくる。
この辺が主郭ということでしょうか?
主祭神は倉稲魂命なのかな? 「うがのみたまのみこと」と読むそうで、絶対この名前の「うが」から社号を取ってるよね?感あった。弁天島というぐらいだから、弁財天(市杵島姫命)も祀っているし、全部で13柱の神様をお祀りしているそうな。式年大祭が6年ごとにあり、直近だと2016年にあったそうだ。
何しろ上陸時間は15分しかなく、後続の船は多分出ないからココに留まれない(後続があれば40分の散策可らしい)。島をくまなく見ることは出来なさそうだ、残念。
パワースポットとして弁天島を売り出しているようなので、実はここにお城あったよ的な看板は一切なかったが。
宇佐美定行さんという人の墓があった。かわいい名前よね、うさみさんて。
看板には、
- 長尾政景(上杉景勝の父、上杉謙信の義兄)という人の紹介
- 宇佐美定行という人の悩みというか憂いというか、困り事
- 上杉家の将来を考えて、宇佐美定行は長尾政景と心中した内容の事件
- 上杉謙信はこの地で宇佐美定行の菩提を弔った
という感じの話が書いてあった。
南北朝時代にはあったとも言われている。交通の要衝だったそうなので。
戦国時代だと、上杉氏の前線を守る城だったようだ。一応戦いが起こっていたようで、武田氏に取られる→上杉氏が取り返す などとやっていたようだ。
宇賀神社本殿の裏側には段郭もあったようだが、そんな場所に回り込めない。時間に追われている。
↑土塁
写真も撮る時間ないの。
船着き場に戻るとすぐ出航しちゃった。
琵琶島城の他に、野尻新城とか土橋城とかあるらしい。
↑野尻新城はこの山の上なのかな?
登山道があるという場所の手前にはピザのお店があったよ。
★★★☆☆
何故かいつも天気が悪くなってしまう、野尻湖とは相性が悪いのかな
<琵琶島城>
築城年 不明
築城主 不明