鬼無里神社は鬼無里村の郷社らしい。村の中心部にありながら、そんなに凄い縁起はないらしい。村内には古くて謂れのある神社がいくつかある(天武天皇の遷都計画時に鎮守として建てた白髯神社・賀茂神社・春日神社がある)ので、帰りがけにこちらもどうかな? と思って覗いてみたんだけれども。
鬼無里神社
湖底が地上に現れて魚山が出現し、その頭部館山に神竜の精を祀って諏訪明神を招請したものという。
8世紀末、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定のため、10世紀末に平維茂が紅葉退治のため祈願所にしたと伝えられる。
と、書いてあるだけだった。
ちょっと何言ってるか分かんないと思ったけど、前半部分は「元々鬼無里は湖だった」という伝承のことらしい。
これは鬼無里村全域に伝承が残っているそうで、鬼無里神社の他に証拠となるモノが点在しているらしい。現在の鬼無里村中心部は山に囲まれた小さな盆地で、ここがすべて湖だったので、南北の岸をロープで繋ぎ、それを頼りに船で行き来していたとか(船着き場跡は神社として残っている)。それがあるときに、山崩れのため湖水がすべて流れ出して水が無くなってしまったから、水無瀬村(鬼無里の昔の名前)が誕生した。という筋書き。
魚山は水が干上がったあとに出現したという。名前から、逃げ遅れた魚がピチピチしてたような感じの場所だったんかねー?
大昔は湖だった系の、似たような伝承は日本中にあるけれど。毎回「誰がいつ決壊を見たのか」と気になる。大災害だし。
鬼無里盆地は少なくとも685年には遷都計画で都から調査団が来ているし先住民(鬼)が住んでいたからなー。災害直後ではなさそうだわ。500年頃の出来事だったら口伝もギリ残ってて、大陸から伝わった文字で書き残せる時期だろうか?
御祭神は諏訪明神の二柱と素戔嗚尊と大物主神と明治の終わりに合祀された金比羅さんの五柱だそう。
元々は「従前諏訪大明神」という名称だったそうだ。創建年は不明だけど、平安時代初期にはあったということらしい。
- 慶長9(1604)年、松代藩主松平忠輝の附家老・大久保長安が寄進
- 元和8(1622)年、松代藩主真田信之が家紋(六文銭)入りの高張や幕を寄進(その後も度々寄進)
- 安政3(1856)年、正一位を賜る
- 明治6(1873)年、村社
- 明治11(1878)年、鬼無里神社に改称
- 明治40(1907)年、金比羅社を合祀
- 昭和3(1928)年、郷社
江戸時代を通して鬼無里村の総社だったようだ。お祭りは賑やかに行われていたらしい。小津安二郎の映画に出てきそうな感じの鎮守社っぽいのかな? ちなみに小津作品は1本も見たことないです。あくまでイメージで!
★★☆☆☆
所々が戦前っぽい雰囲気の村だった。
<鬼無里神社>
創建年 不明
御祭神 健御名方神・八坂斗売神