春のパン祭り初参戦して日々をやり過ごしていたよ!
所用で上田行って。時間があったから近くの神社を見てきた。名前は上田天満宮というらしい。
誰も居ない。受験生もお詣りに来なさそう。天満宮なのにね。せっかくなので「頭良くなりますように☆」と祈願してみた。
- 明治27(1894)年、初代上田駅前郵便局長が氏神として祀った
- 元は、旧高田藩主が歴代所有していた天神様
- 昭和25(1950)年、上田駅前広場の拡張に伴い現地に遷座
- 遷座と同時に地元自治会に贈られた
- 御本尊は江戸中期に作られた、学問の神様(菅原道真公)の坐像
- 合格祈願・昇進・昇格商売繁盛・大願成就に御利益有り
高田藩の最後の主が榊原家らしい。多分、榊原さんから来たのかな? 初代上田駅前郵便局長の名前も載っていたが、この人は特に高田藩とは関係なさそうな感じがした。
昭和25年に駅前を整備する際、こちらに移動したということだけど。上田駅前郵便局内で祀っていた天神像がここの住民の手に渡り、自治会で費用を工面して社殿を作ったような雰囲気がある。社殿の土台が古そうじゃないし(昭和40~50年代の道路の擁壁みたいな石組みみたいだわ)。
大正11年の地図を見ると、この場所は人口密集地となっていた。しかし町の名前は「天神町」だった。元になりそうな神社らしき記号はなかった。もしかして町名の由来も郵便局長の氏神様と関係あるのかねー?
隣接する道路は大正時代は県道だったようだった。細い↓
上田停車場(上田駅)からこの道を通り、上田市内最古の橋である上田橋(初代は明治23年開通、現在は3代目)で千曲川を渡って対岸の町に行ける道で、「縣道松本街道」と記載されていた。
松本街道(保福寺街道)は大宝2(702)年開通の東山道の一部だよ、そんな古い道だったんかコレ。
驚いて調べたが、当時の東山道は少し別のルートを通っているみたい。上田橋の隣の「古舟橋」というのが、東山道の千曲川渡河地点だったようだ。長い間渡し船があったけど上田橋が完成した結果採算が取れなくなり、挙げ句に明治29年舟橋流失でトドメを刺されて廃止、そのため松本街道のルートが変わったということのようだ。
大正時代はこの場所「人口密集地」なので、道を拡張出来なかったのかも。この道を通らないルートで一部新しく作ったりして、上田駅と上田橋を繋ぐ広い道を完成させていた。
こちらはいじられずに県道から市道に格下げされてしまったらしい。でも古い道の趣きなんとなく感じたよ。
↑こんなのもあったけど、もしかしたら県道時代の名残りなのかも。
現在は上田駅から某ショッピングモールに徒歩で向かう時に便利だし、新規オープンの店も界隈に多くて賑やか。
★★★☆☆
ここは寂しい神社かと思ってたけど、昔はずっと華やかだったのかも?
<上田天満宮>
創建 昭和25(1950)年
御祭神 菅原道真公