栗の季節。小布施は物凄く混んでいた。
元禄14(1701)年から15年間、小布施陣屋という代官所が置かれたそうだ。
この祠(稲荷社)がある場所が陣屋の入り口らしい。
この小道の先が谷街道(現国道403号線)で、昔からのメインストリートである。小道は陣屋小路と呼ばれていたそうだ。
小布施陣屋があった場所は↓
現在は駐車場となっている。
説明板には、代官「市川孫右衛門」なる人物の名前しか出てこないが、この人が15年間面倒みたということなのかな? 全く同時期に佐久郡の前山陣屋・高野町陣屋も支配していたようで、あちこちの天領の代官を兼務しているっぽい。
陣屋の規模は46坪、支配地域は「高井郡の六川・清水・中子塚・松村新田・雁田・福原新田・大島・小布施(以上、現・小布施町)、駒場・中山田・奥山田・牧・黒部(以上、現・高山村)、桜沢(現・中野市)、塩野・亀倉・栃倉・村山・米子・中島・井上・相之島(以上、現・須坂市)、そのほか水内郡の16ヶ村(現・長野市)」で石高1万9千石余りだそう。
↑左側が駐車場。
江戸時代の家は間口(玄関)の 広さに応じて税金をかけていた(天明6年、間口税)そうで、小布施陣屋周辺の住宅地図も細長い家が建ち並んでいる。よく見ると元陣屋って書いてあった。さすがに代官所だった土地には税金かからないのかな、敷地が細長くないねー。
陣屋跡に隣接する建物↓
古そうに見えるけど、新しいのかも。某栗菓子店の団体客が専用で使えるものらしい。
↑旧小布施陣屋。長野ナンバー車なんて私ぐらいだった。
ちなみに、旧小布施陣屋は周りより低い?ようだ。
古いのか新しいのかよく分からない建物が混在。ここは妻籠宿や奈良井宿みたいな「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されておらず、景観に溶け込めるなら新しい建物でも何でもOKみたいな世界観らしい。
谷街道を渡っていくと、
左側の市村家(小布施を統べるだいじんこ)は古いだろうが、右側の各種土産物屋は古くなさそう。
「朱雀」期間中は通れません。と書いてあった。じゃあ、朱雀期間終わったら通れるのかね?
入り口はココだった。朱雀、今年度分はすべて終了だと。今年は新型コロナのせいで席はすべて前売りで整理券配布方式ではなかったようだ。
アレ一度食べてみたいけど…並ぶとかがね…。
市神という神様。元は延暦14(795)年、京都の官設の市場である東市・西市に建てられた宗像三女神らしい。要は市場の神様で、小布施にも市があったから建てられたのかも? というニュアンスの説明板が傍らにあった。谷街道と谷脇街道の交差点という人通りの多い場所に鎮座。
谷脇街道は長野市と小布施を繋ぐ道で、谷街道をショートカットする(須坂を経由しない)道だったようだ。
★★☆☆☆
目当ての飲食店は軒並み1~2時間待ち。こんな時期に行っちゃいけないわね。
<小布施陣屋>
築城年 元禄14(1701)年
初めて入った近所のレストランにて。
デザートのボリュームが凄かった。やっと1人で外食出来るようになった嬉しい。