お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

波閇科神社

読めないやつ。

ハベシナと読み、意味は「クネクネした坂道」らしい。この神社はハベシナ峠に鎮座していたが、室町時代に現在地へ遷された。お名前が大和言葉っぽいことから分かるように、古い神社であり、延喜式内社である。

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↑神社の参道。何番目の鳥居か分からないが、一の鳥居はコレである↓

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残念なことになっている。数年前の写真だが、多分今でもこんな感じになっているはず。

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字を書いた人は従四位伏原宣足さん(1845~1930)で、お公家さん→子爵となった人らしい。伏原家は正二位少納言まで出世できる家柄のようだが、具体的には

  • 公卿(上級貴族として国政の中枢を担えて昇殿も許される)
  • 半家(上級貴族の中で最下位の格)

という家格らしい。伏原家は清原家の傍流であり代々儒学を研究するおうちだそうだ。江戸時代の家禄が230石とあったので上級貴族としては収入イマイチだなと思った。230石は江戸幕府でいえば旗本(将軍に直に会える家格)だけど末席の家格で、同じ感じなのかなー?

下位の旗本(石高200~500)は蔵奉行・書物奉行畳奉行といった管理者系から祐筆(秘書みたいな役職だそうだ)や勘定奉行吟味物調役(裁判関係の仕事)といった機密に触れる仕事まで色々あるらしい。

 

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入り口にはこんな石碑もあった。字が消えかけており、判別難しい。

「追懐碑」というタイトルで、波閇科神社の神官家に生まれた若林光政という人の顕彰碑らしい。この人は幕末の慶応3(1867)年に37歳で亡くなっているそうだが、建てられたのが明治21(1888)年。近隣の人々に学問を教えていた人で、教え子達が建てたようだ。

 

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鳥居を潜った。

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なかなか趣のある参道。

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こんな綺麗な参道に危険箇所が! ぱっと見危険そうじゃないが、なんと枯れ枝が襲ってくるらしい!

境内入り口には御神木?があって。

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灯籠には茸みたいな石が入っていた。

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境内は思いの外、広かった。

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手水?がかっこいい。

狛犬もいた。

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狛犬は上山田温泉郵便局の寄贈のようだ。温泉街に郵便局あったと思ったけど、その郵便局の前身だろうか。他にも旅館やホテルの名前が彫られていた。多分どこだか分かる名前もあれば、恐らく失われてしまった施設かもという名前もあった(10年以上前に廃業した旅館の名前があったし、現在も営業中のホテルの名前もあった)。皇紀2600年記念に寄贈されたものらしい。当時の代表的な宿泊施設だったんだろうが…。

御祭神は天照大御神で、相殿神として豊受大神伊勢神宮外宮の神様)日本武尊も祀られている。日本武尊がハベシナ坂を通ったときに、天照大御神を祀ったことが始まりだそうだ。

この近辺の峠道といえば、四十八曲峠がある。この峠道は世間でもまぁまぁ知られた道で。

 

四十八曲峠はこんな感じ↑

wikiによれば「急傾斜に葛篭折れの道が続く難所」だそうで。この道も車道とは思えないが、主要地方道「県道55号大町麻績インター戸倉線」だったはず。

 

冠着山←」という看板が主要地方道らしく立派で、看板の先には現在通行不可の四十八曲隧道がある。昭和38(1963)年竣工、平成17(2005)年廃止なので、往時の写真はそこそこ残っていた。

この付近に四十八曲峠旧々道があると思われるが、ちょっと分からず。

千曲市の史跡として「四十八曲峠古道」が指定されている。先達のブログなどを読む限り獣道に近い山道だった。祠がいくつも残っており、江戸時代には使われていた道らしい。

しかし「四十八曲峠古道」の公式説明でも「四十八曲峠が古来ハベシナ坂と呼ばれていた峠道かはハッキリしない」と書かれてしまっている。

ハベシナ坂は現在所在不明となっている。

 

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年季の入った案内図。

これによると、摂社として

  • 宇佐八幡社
  • 住吉社
  • 金比羅
  • 稲荷社

があり、それぞれ立派なお社があるようだ。城泉山観音寺という善光寺別院というお寺さんまで行けるらしい。このお寺は昭和42(1967)年創建で、一帯の観光開発に合わせて建てられた善光寺大本願別院だそうだ。毎年大本願の御上人様が来て法要を行っているらしい(いつも隣の澳津神社や向かいの秘宝館?トンデモ館?が気になってしまっていたが…ちゃんとしたお寺さんだったのね)。

この案内図や観音寺までの道も、昭和42年前後に作られたのかな?

 

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右の山道を登っていくと、最初に見えてくるのが宇佐八幡社。全国にある八幡宮の総本社の宇佐八幡宮から分霊されたのかな?

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宇佐八幡に向かう途中で上にあったのが、住吉社。住吉の神様にはあまり馴染みがない。住吉大神底筒男命中筒男命表筒男命の三柱を総称した神様で、黄泉から帰ってきた伊弉諾尊が川で禊ぎをしたときに川の深いところから底筒男命、中程では中筒男命、川の表面辺りで表筒男命、それぞれ生まれたそうだ。航海の神様らしい。海のない長野県では縁が薄い神様なのかも? でも摂社の中では一番立派なお社をお持ちだった。

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次に蚕神社が見えた。この辺りも養蚕が盛んだったのかも。

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←蚕神社 宇佐八幡社→

ここから道を外れて、摂社をそれぞれお参りしていった。

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左手前の鳥居がある社が天神社。学問の神様。

右奥に見える社が金比羅社。こちらも航海の神様であるが、山岳信仰と結びついた神様なので住吉社よりは馴染みあるよ。

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金比羅

 

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住吉社からは波閇科神社の裏手辺りになんとなく向かうと、小さな祠がたくさんあった。

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小さな祠はあちこちにあった(青い瓦の家は廃屋のようだ)。

 

道はもうないが、更に奥へ進んでみる。

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廃棄された瓦。

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窪み。川が流れた跡のように見えた。

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道に戻った。

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山に登ると観音寺に出られるはずだが、実際はどうなのか謎(荒れ果ててるのかもしれないし)。下っていくと。

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またお社が見えた。
そういえば、お稲荷さんまだお参りしていなかった。

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笠石が落ちている。

お稲荷さんのお社も立派だった。住吉社は比較的新しそうだったが、こちらは古くても大事に手入れされている様子だった。なので笠石も戻してあげて欲しい。

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稲荷社は一番高い、眺めの良い場所に鎮座していた。
山道を下りた。

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宇佐八幡社まで戻った。この宇佐八幡社は山道と崖の間にいらっしゃったが、崖の下には。

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下にも祠が。廃屋の屋敷神なのかなー? 一般の参詣者が立ち入れない(気付かない)ような場所にあるよ。

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波閇科神社を後にし、参道を戻る。

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参道の脇から別の場所に向かう小道があった。方向的には廃屋に続いているように思えた。あの廃屋は波閇科神社の神官家のお屋敷で、屋敷神の祠ではなく神官家のお墓かもしれないなとちょっと思った。

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★★★★☆

昭和のハイカー用に開発されているようだが、神社自体はとても静謐で綺麗で良い雰囲気だった。

 

 

 

<波閇科神社>

創建年 不明

 

 

 

 

 

 

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この日はケーキも食べたよ。美味しかった!