お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

常楽寺

天台宗の別格本山だそうだ。格式が高い。

 

北向観音堂と同じ、天長2(825)年に創建。何度も再建され、現在の本堂は江戸時代中期・享保年間(1716~1736)の建築と言われている。御本尊は(多分)阿弥陀如来。正式には「妙観察智阿弥陀如来」というそうで、どんな仏様なのかなー? と調べてみたけど阿弥陀如来の話しか出てこなかったから。「妙観察智」とは仏教用語で、客観的に物事を見るとかいう意味のようだ。

五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)という密教智慧(物事をありのままに把握し、そこから真理を見極める力?)があり、そのうち妙観察智を司る仏が阿弥陀如来という関係のようだった。

正直、何の話なのかサッパリだわ。

 

御本尊・阿弥陀如来像には「享保十年」という文字が残されていると説明板にあった。

階段の向こう、見えているのが本堂のようだ。

格式が高いわりには、非常に素朴と思った。鄙びた印象のお寺さんだが、屋根が丸っこい。葺くの、難易度高そう。

本堂にお参りした後、裏手にある北向観音が出現したという場所を目指した。

六地蔵がいらっしゃる。

 

 

石仏はたくさん奉納されていた。六地蔵は新しめに思えたが、他の石仏は古いモノが多そうだ。

どんどん奥へ進む。

中国仏教協会会長の趙樸初さんという人の詩碑。中国の仏教指導者・政治家だという。

 

古そうな供養塔が建ち並んでいる。僧侶の墓だと思う。参道両脇にお墓というのは、今まで経験したことがないかもしれない。無縁仏と思われる石塔もたくさん残されていた。この場所が心の拠り所だったり、非常に大事にされていたことが分かる。

奥のフェンスの向こう側にある多宝塔が目指す場所である。こちらの石造多宝塔は国の重要文化財に指定されている。

よく見かけるような気がするが、古いから重文指定? と思ったら違うらしい。石造りの多宝塔で残っているものが少ないからだそうだ。どうやら、私がよく見かける石造りの塔は宝篋印塔というものらしい。

 

↑これが構造図

 

傍らの説明板には、

  • 天長2(825)年、炎に包まれた北向観音がこの場所に出現
  • 初め木造の宝塔を建立したが、寿永年間(1182~1184)に焼失
  • 弘長2(1262)年、現在の宝塔を建立した、この時に金銀泥(金銀を泥状にしたもの)で書いた一切経(仏教経典)の一部を奉納した
  • 石造りの宝塔は全国的にも少なく、特に重要文化財となればこちらを含めて二基(もう一つは滋賀県の少菩提寺
  • 本塔は鎌倉時代の典型的な多宝塔の様式である

とあった。

 

滋賀県の少菩提寺は既に廃寺となっている。

聖武天皇の勅願により、天平3(731)年に建立されたお寺さんである。元亀元(1570)年に戦火に遭い、そのまま復興されなかった。少菩提寺には焼け残った多くの石仏も残されているらしい。

説明板にある少菩提寺の石造りの宝塔はこちらの塔(3m弱)より大きく、高さが4m以上あるようだ。宝塔に「仁治2(1241)年」の銘があり、常楽寺の塔より20年程早く造られているようだ。

鎌倉時代は石造りのものが流行した印象がある。

 

宝塔の左右に置かれた石塔は後付けだそうだ。

大正13(1924)年に近く(北向観音堂・長楽寺の西側山麓かな?と思った)で水道工事をしていたら、地中からたくさんの多宝塔・五輪塔・宝篋印塔などがバラバラの状態で地中から見つかったそうで。石塔の遺物は残されなかったが、地元の人が行方を捜し続け、関西にあることが分かった。持ち主に懇願し昭和56(1981)年に地元に戻り再建された。もちろんこの塔も鎌倉時代のものらしい。五輪塔はお墓のイメージだし、その他の塔も多分供養塔。その水道工事した場所って旧墓地だったのかな?

 

 

★★★☆☆

ちょっとした美術館もあって、落ち着く場所だった。

 

 

常楽寺

創建年 天長2(825)年

開基 慈覚大師