先に見える小高い丘のようなものが「宴の城」という場所だという。
入り口?の案内板には、
- 左手前方上部が城
- 篠ノ城の出城か砦、岡田氏の要害、大塔合戦に(兵士の休息所として)使用した、と色々伝わる
- 色々伝わっているものの、詳しいことは不明
- 展望がよく、水利もあり、手頃な広さで、とにかく昔から「城跡」だと言われている
という、かなりざっくりした内容だった。
「篠ノ城」はここから動物園・恐竜公園を抜けた奥の山に残されている。直線距離で500m離れている。布施御厨を治めていた布施氏の初代・布施三郎(布施惟俊)が土着し、その子孫の布施頼直という人が篠ノ城を造ったという。布施氏初代の父親は平正弘といい、伊勢平氏の傍流だが保元の乱で崇徳院側として戦った結果、領地没収の上、流刑・斬首でほぼ滅亡しているらしい(信濃土着組は名乗りも変えているし、いち地方豪族として中央との関わりと絶ったからとか、兵力がないとか、そんな感じで見逃されたのかな?)。
岡田氏はなんか地元の土豪か何かじゃないかな…? その一族のことは謎だけど、「宴の城」がある場所は古くは岡田村という名前だった。
まあ、見晴らしも良いし、出城・砦(要害)の類いが置かれそうな場所だよ。
大塔合戦では、名前の通り宴で使われたと言われている。
とにかく上ってみよう。
整備されているのに、右側は葛が繁っている。
まさか葛畑? 葛を育てている農家なのかな。葛粉は長野でも生産されているのだろうか?
ネギ植えられてないか? あらら人の家の畑なのか。
見晴らしは良かった。肝心の眺望の写真がないが、こんな感じ↓
周りの民家に比べても、ここだけ小高い。
人が集まって宴会する場所としても優れているかも。
「宴の城」自体は口伝として残されていたのか、本当に資料がないらしい。ふざけた名前を付けられているが、見た感じただのひょっこりした丘だし遺構もなし。「中曽根という場所に家臣の館があった」という話が長野縣町村誌「岡田村」に載っているものの、中曽根がどの辺りを指しているのか分からなかった。
ちなみに、字中曽根は岡田村の酉戌の方(西北西の方)と書かれており、動物園・恐竜公園がある辺りのように思えた。ひょっとしたら家臣の館跡=宴の城かなとか思ったけど…中曽根の家臣館跡地が残っていない可能性の方が高いかー。
小高い丘ではあるが、防御を固めるための土塁とか必要じゃなかったのかな。そういうものがなさそうだよ。
葛畑なのか、単にここだけ荒れているのか分からなかったよ!
★☆☆☆☆
見張り台を兼ねて、兵士がたまにキャンプしてた場所なんだろうな、という感じ。
<宴の城>
築城主 不明
築城年 不明
今回の目的は茶臼山動物園でした。
混雑してたよ。人間がたくさんいた。
ご飯。