いつの間にか7月になっており、夏アニメで見ようと思っていた作品の初回放送が終わっていて戦慄した。見逃し配信あって良かった…令和バンザイ!
松代IC近くにある頥気神社とそこから千曲川の対岸の小島田地区にある頤気神社。こんな読めない字を当てるの、どうして…?
読み方は松代→いけ神社。小島田→いき神社。漢字表記1字違う。この二つの神社は、式内社「頤気神社」の論社。延喜式では「頤気(イケノ)神社」と載っていたようだ。
御祭神は両社とも池生命と健御名方命、事代主命。江戸時代の中頃に「頤気神社」と改称する動きがある前は諏訪大明神と呼ばれていたらしい。当時、国学が流行しており、村の鎮守社の名前を昔の名前に戻したり、「延喜式神名帳に載っている」というような格を求める運動が起こっていたようだ。
国学とは、契沖という妙法寺の住職が延宝7(1679)年以降に始めた古典研究が礎となり起こった学問らしい。契沖は万葉集の研究を知人の紹介で水戸徳川家から請け負っていたような著名な学者だったようだ。その業績の中でも「歴史的仮名遣い」が有名で、これは平安時代中期の文字の発音の仕方を研究しまとめたものらしい。
例えば平安時代の表記である「てふ」を今日では「ちょう」と読むとか、そういう昔の仮名遣いのルールを発見して、現代(江戸時代当時)の発音に当てはめて読んでみようという感覚の研究なのかなー? 江戸時代と20世紀~21世紀現在の話し方、発音はほぼ同一で我々が江戸時代へタイムスリップしても会話が出来るというが、それより前になってくると少し難しくなってくるという話を聞いたことがある。室町時代の話し言葉は狂言の台詞として今も伝わっていて、台詞回しも完璧に言えれば室町時代の人々と会話が出来るかもしれないとか。それ以前となると現代では消えてしまった発音があったそうで無理らしい。確かにタイムスクープハンターでも防人が出てくる回は字幕ないと難しかったな(それでもアレは完璧な古代日本語じゃないだろうが)。そして今よりゆっくりしゃべっていたらしい。
契沖が研究する前は、平安時代末期の藤原定家が作ったとされる定家仮名遣いが古い文献を読む時の教科書であったそうで。藤原定家も仮名遣い・表記揺れその他諸々に腹を立てていたらしく、「マイルールを定めました! これはぼくの師匠から教わったものではなく、ぼくが決めたルールです」と宣言して、下官集という写本を作る・和歌を作る・仮名の綴り方のルール本を作ったそうで、この本を元に和歌とか古い本を読んでいたらしい。
万葉集では定家ルールでも説明できない読み方があったりして、契沖が研究し直して作ったのが契沖仮名遣いだという。読み方ルールも定家派と契沖派で争いがあったらしく、そういう仮名遣いの争いから国学が流行ったのかもしれない。争い事ってよその他人から見たら非常に愉快なものだしねえ。
2つの神社も諏訪明神から「頤気神社」の旧称に戻そうとした際に争ったようだ。西寺尾村では寛政元(1789)年に頤気神社と改称しようとしたので、小島田村が「うちじゃ明和の頃からやろうと思ってた」と主張し、揉め事となってしまった。それを豊栄村の桑根井の神主が仲裁した。小島田村にあった頤気神社が西寺尾村に「頤気神社」の名称を分けた、ということで決着。これはおそらく、小島田村の「頤気」という地籍に神社があるからだと思う。しかしこの字は現在「いき」と読み、本来の読み方である「いけ」を西寺尾村だけが名乗れるような取り決めもしたかもしれない。
天保12(1841)年に二つの神社が無事に頤気神社と名乗ることが出来た。しかしこの時も揉めたらしい。西寺尾村側が先に神社名を書いて「ウチが先だろう」と激昂する小島田村側。活気ある昔話である。
西寺尾地区にある神社に比べると、若いイメージだ。一時期衰退・消滅してしまったとされている。
扁額の字は読めない。読めない字を当てることで箔を付けたかったのかな! って邪推してしまうわ。
ここの用水路に青鷺君がいて、急にバサバサと飛び出していったから肝を冷やした。
木々は若いとは言え、古い神社の体裁が整えられているようにも思える。
一番立派そうに見えたのがこの木だった。まだ若いようにも思えるが、多分この神社のリーダー格の木だと思うよ。
如何にも「村の鎮守」といった趣のお社である。昼下がりの微妙な時間に行ったにも関わらす、犬の散歩しているお姉さんが居たぐらい地域に馴染んじゃっている雰囲気ある。
住宅地でもなく、すぐ川の近くなので集落の外れみたい。
こちらも立派な社だが、何の神様か不明。健御名方命か事代主命あたりかな? この神社に一緒に祀られているらしい(というか、以前は諏訪大明神と呼ばれていたぐらいだから、このこじんまりとした社にいるのが池生神かもしれないとも思った)。
装飾は素朴。
一度消滅したとされるだけあって、摂社が少ない。
屋根には「梶の葉」が掲げられていた。諏訪の神様だね。池生神も諏訪系の神様なので間違ってない。ただ、印象が「諏訪社」となってしまうので残念な気持ちになる。
川の近くだけあって虫が凄い。
個人的には延喜式の「イケノ神社」は松代の方かなって思った。摂社の数もこことは比較出来ない程、松代の方が多い。小島田にも松代にも同名の神社があって、訪れた人さえ色々混乱しているから統一して欲しいなーとは思うが、昔の経緯を読めばそれも出来なさそうだ。
★★★☆☆
散歩には良い感じ。
<頤気神社>
創建年 不明
7月に入り、ようやく少し明るい兆しが見えてきた。
新車→生産再開され、契約出来そう
遺産相続→親戚身内が見捨て始めたので、10年かかったが母親と疎遠になれそう
仕事→(下っ端だから出来ること少ないけど)忙しいが、多分7月半ばで落ち着きそう
お参りした甲斐があったかもしれない!!