
砥石城のある山の麓にある。
この城が砥石城より古いのか、関連施設(例えば館とか)なのかも不明。長野縣町村誌にも記載なし。位置的に砥石城の館とは考えられないので、多分大昔の城なのかも。
ちなみに飯綱城のある地区は伊勢山地区と呼ばれ、サマーウォーズの聖地だという(貞本の絵好きだし、一度見たいんだけど何故か見たことない。去年のリバイバル上映も上田でやるだろうから映画館で見ようかなって思ってたら長野県内は松本でしかやらなかった。なんでよ…)。地区名は伊勢宮を祀っていたことが由来となっているらしい。

砥石健城神社は砥石城のある山の中腹辺りにある。
個人的にはこの砥石健城神社(または伊勢宮)か陽泰寺あたりに砥石城の館があるのが自然かな? とは思った。館はどこにあったか不明のようだ。
飯綱城に関しては、現地にあった案内版が全てである。
誰が建てたとかいつ頃使われていたのかとか不明。
伊勢山集会所は明治23(1890)年に建てられたという。伊勢山集会所が城跡みたいな書き方にも思えるが、正確にいうと伊勢山集会所の裏手にある畑が城跡だそうな。

集落(城下町)は大きな古い御屋敷が建ち並んでおり、風格がある。中でも旧伊勢山集会所は立派な石垣の上にあり、他の建物より豪華そう。道が狭すぎて、写真撮れないよ。

↑これは陽泰寺にあった郷蔵を移築してきたものらしいよ。
豪農の屋敷門みたいな重厚さ。
実際の城跡は現在も耕作地。

奥の小高い丘がそうらしいぞ。

他の場所よりぐんと高くなっている。今は周りを民家で囲まれてしまっており、全体も見づらい。



畑の向こう側に石垣が見える。小高い丘の上に向かう道があるのだろうか。
伊勢山集落のメインストリートは古い街道だったので、道祖神がいくつか祀られていた。

明治時代までは坂城町(その先の長野市)と上田市を結ぶ街道のひとつとして存在していたらしい。傍陽からは一本道になり、現在の国道18号線と鉄路は明治時代に完成しているので坂城も千曲川に沿って向かう道はなかったらしい。今じゃ地蔵峠なんて大回りになるから通らないが、昔は坂城・松代への「最短ルート」として使われていたそうで。大変な時代である。現代でも「(昭和40年代開通でも)あんな曲がりくねった峠道」って扱いなので、旧道なんて相当不愉快な道だろうな…。
試しに「旧地蔵峠 上田市」で検索したところ、結構面倒臭そうな道のレポートだらけだったわ。廃道扱い(林道化されていない)なので地図にも載っていないらしいぞ。

少し高いところから見た飯綱城。
さて、個人的に砥石城の館跡じゃないかと思っている砥石健城神社ですが。

集落を見下ろす高台にある。

道っぽいものもある。ひょっとしたら古道跡かも? とも思ったが、裏手には地区名由来の伊勢宮があるという話もあるし(砥石健城神社に合祀されているという説もある)、謎が多いものの。伊勢山地区の村社は砥石健城神社であり、伊勢宮は雑社という扱いだったので、砥石健城神社の方が格式が高い。

何か凄い石垣あるよ。

ひっそりと祠もあるよ。この神社は元々「十二大明神」という名前だったが、明治2(1869)年に現在のお名前に改称している。創建年は文安(1448)年とされ、健御名方命と八坂斗女命を祀る諏訪系の神社である。元のお名前「十二大明神」から察するに神様が12柱いたんじゃないかと思うが、その辺りは不明です。
古い形態の神社だったようで、岩窟に上社・下社を祀っていたが寛文(1666)年に岩窟を壊して社殿をまとめたそうだ。

現在の社殿は寛政6(1794)年再建。

わりと普通の…?

ここからは集落が丸見えである。館としては良い立地じゃないかなと思うが、大手道入り口にある陽泰寺も捨てがたい(場所は奥まっており、見通しは悪い)。





拝殿の奥には本殿もあったし、石垣もなんかあった。



灯籠は宝暦の年号が刻まれていた。

神社の前には道祖神も。やはり道があるのか。


石積みもある。古そう。
文書に残らないド田舎の歴史は謎が多いよ…。
★☆☆☆☆
そもそも近づけない
<飯綱城>
築城年 不明
築城主 不明