年が明けた。
せめて正月ぐらいは読書しようと思い、いつも年末に本を借りてくる。今年は「ポイズンドーター・ホーリーマザー」「禁足地巡礼」「君たちはどう生きるか」を借りた。どれもこれも暗い。去年は「白ゆき姫殺人事件」「地面師たち」「イギリス・アイルランド留学」だった。元旦に読む湊かなえは読後感の悪さで何故かスッキリする。来年の元旦も生きてたら湊かなえ読もうと決意した。

群馬と長野の県境にある。日本三大熊野神社のひとつとされるそうだ。

勝新のまらそん侍でお馴染み「安政遠足」のゴール地点もここ。境内の真ん中が国境となっており、この「決勝点」の場所も群馬県側にある。

江戸時代には安中藩の管轄地であったようだ。
元は長野県側に置かれた神社だが新田義貞(1301?~1338)の寄進により群馬県側にも境内が広がったということらしい。
長野県側の部分は明治時代には「峠町」と称する地区だった。村ではなく町と称したところがこの辺りの繁栄を感じる。ただし町の面積は小さい。東西5町(0.55km)・南北60町(6.55km)で細長いのは神社の境内と門前町以外は山だからである。恐らく山の部分は熊野皇大神社の修験場だと思う。
隣接する軽井沢村(軽井沢宿)の大きさは東西1里17町(5.78km)・南北2里5町(8.4km)なので、比べても異様に小さい。峠町の居住スペースは1k㎡もないのではないかと思う。
日本三大熊野と称するだけあって、格式は高い。峠町の部分は寺社領であって猥雑な宿場町と一緒にされたくないというプライドも感じる(明治5(1872)年に軽井沢村と峠町は合併するが、明治11(1878)年に再び分かれた)。

wikiによると軽井沢宿は中山道で最も栄えた宿場で、本陣と脇本陣が合わせて5軒、旅籠が最盛期で100軒近く、飯盛女も数百人いたとかいう歓楽街だったようだ。中山道では、群馬県の坂本宿を出て碓氷峠を越え長野県に入ると軽井沢宿・沓掛宿・追分宿と3つの宿場町を経由していくが、この3宿の売りが飯盛女で当時どうやら全国的に有名だったらしい。軽井沢宿は現在の旧軽井沢エリアに相当するが、そんな歓楽街だった面影が全くないリゾート地なのに。この日通った旧軽では神戸ナンバーの(多分)ケンメリとすれ違いギョッとしたぐらいの、お金持ちが闊歩する非日常エリアなのよ…。
今はほぼ一体化している感じで、旧軽井沢の突き当たりが熊野皇大神社みたいな印象。ショー記念礼拝堂から車で5分だし。群馬県側から登って来る人はいないんじゃないかな? 後で調べたら、熊野皇大神社から東京方面への中山道は江戸時代のまま残されており徒歩道。車では不可能だ。廃道になってる明治天皇御巡幸道もこの辺なのかな。
神社はすごく賑わっていた。

鳥居の近くにお手水舎があり、清めてきた。

よく分からん聖徳太子の碑。



とても変わった狛犬がいる。

室町時代の作品のようだ。長年の風雨と苔により原形を留めていないのではないか。蛙に見えた。
そんな狛犬の近くに由緒が書かれた古い看板があった。それによると、
- 主祭神
- 当社は県境にある
- 日本武尊が東国平定の帰路、碓氷峠にて濃霧にまかれてしまったが八咫烏の先導で無事に山頂まで辿り着くことができたことにより熊野の神様を祀ったとされる
- 碓氷峠で日本武尊は命を落とした妻の弟橘比売命を思い、「あずまはや」と嘆いた
とあった。
「あずまはや」が語源となり、あずま(現在の関東地方)というエリアが出来たという。日本武尊は静岡県と神奈川県の県境にある足柄峠でも同じように「あずまはや」と嘆いているそうで、この足柄峠は古代では東国との境だったようだ。同じように「あずまはや」と言ったから碓氷峠も東国との境として見做されていたらしい。
つまり、この神社は関東地方発祥の地のひとつということなのか。

入り口は一カ所のみ。


両脇に変な車輪のオブジェあると思ったら、風車だという。見えないわ!
説明書きには「峠の石の風車」とあるが、よく読めば「神社の石段を奉納した佐藤一族が記念に佐藤家の家紋「源氏車」を刻んだ石も奉納した」ということなので、車輪で間違っていなかった。源氏車は藤原秀郷傍流である佐藤氏が主に使用したそうなので奥州藤原氏の後裔が寄進したのかな! とちょっとワクワクした。

拝殿。真ん中の建物の中心が県境であり、建物内部で「長野県側のお社と賽銭箱」「群馬県側のお社と賽銭箱」がそれぞれ置かれている。規模が大きく賑わっている(手広く商売している)のは長野県側の神社だった。本殿のお賽銭箱ですら2~3倍の大きさだ。
どちらが主なのか、成り立ちも考えると長野県側の神社がメインだと思うが、江戸時代も群馬の衆・長野の衆でちょくちょく喧嘩していたようだし現在では二つの神社は同格ということで。両方にお参りすることになっているようだ。
拝殿の両隣にも社殿があった。

↑群馬側。
↑長野側。
群馬県出身の新田氏が群馬側の土地も寄進したせいで揉め事が増え、長野と群馬で「うちの神社」と取り合って揉めていたのかなという感じ。山奥だし現在は行き止まり線のどん詰まりにあるのに参拝客がかなりいる、幹線道路沿いだった昔はもっと参拝客が多かったかもしれない。こういうドル箱神社を「うちのもの」と取り合いするのも分かる気がするなあ。寄進した新田氏は祈願以外のことは何も考えてなかったんだろうし、金を稼げる神社に成長するとも思わなかったんだろうが、罪なヤツだ。



さすが。摂社がずらり。源頼朝所縁の社もあるし。


軍事訓練の一環として巻き狩りをしようとしたけど天気が悪かったから晴れるように祈願したそうだ。
奥の石造りの五重塔の方が新しいようで。

斜めになっているが江戸時代の物。倒れそうじゃない。

群馬県側の境内から先に道があるようだが立ち入り禁止になっている。

日本武尊が「あずまはや」と騒いだのがここらしい。

群馬県側は「安政遠足」の幟で賑やかしている。源頼朝とか日本武尊より安永遠足推しのようだ。毎年「安政遠足侍マラソン」という大会を開いているそうで、今年は51回目だと。この大会は「仮装をしても走れる健康な人」が参加条件で、基本仮装するらしい。今年は1500人が走ったという。記事の写真では白血球さん・赤血球さんから、ロケット団のムサシ、ミャクミャク様など、みんな完走前提で動きやすい格好をしている様子が見て取れる。


長野県側に戻る。
こちらは御神木のシナノキがあった。シナノキは信濃国の由来になったとされる植物だ。御神木は樹齢1000年ぐらいというが、それにしては若々しい木だった。

普段住んでるが、こんな木見かけないけどな。気がつかないだけで山に行けばたくさん生えているのかもしれない。広葉樹で、この木から繊維を取って昔はロープを編んだり普段着用の布を織ったりしたようだ。繊維としては丈夫だが、木材としては耐久性が劣る。確かに古代の信濃国は麻布をはじめとした布の一大産地で、税として布を納めていたって聞いたことがある。シナノキの繊維から取った布(しな布というそうだ)も納めていたのかもね。
しな布は日本三大古代布(他の2つは沖縄の芭蕉布と静岡の葛布)のひとつで、縄文時代から存在している織物だそうだ。縄文人も着ていた苧麻、赤麻などの麻の仲間から作る布が日本三大古布に数えられていないのは、一般人に普及しすぎていたからじゃないかという。芭蕉布なんか今でも驚くべきお値段だしね…この三種類の布は手間暇もかかるし特別な布だったのかも。
御神木のシナノキの幹には穴が開いており、そこに光が射し込むとハート型に見えるそうだ。パワースポットだそうだ。最近売り出し中なのか、御神木の周りには人だかりでだった。私も穴を探したが、思ったより小さい穴だった。
御神木の奥にもまだお社がある。

奥に見える祠は打ち棄てられているようにも見えるが、そうではなく。お稲荷さんと十二社だった。
十二社はその名前の通り、十二柱の神様を祀った神社。熊野信仰に深く関わっている。熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に祀られる神様が全部で十二柱いて、その神々を勧請した祠だった。扱いが雑だと思ってしまった。

で何故か「どこでもドア」があって(急にある上に何の紹介もない。なにこれ)、他の神様のいるエリアに着く。

奥のお参りされているお社が星乃道神社だ。御神体はロードスターの原形。いつも仕事で行けない軽井沢ミーティングの関係者によりこちらにお祀りされているそうだ。まあどうせ休みも取れないよな、と思って参加申し込みもしてないんだけど(事前申し込みしなければエリアにも入れない)、いつかはあの壮大なイベントに参加したいんだよなー。NAだけでも全体の20~30%いるそうで、それだけでもむちゃくちゃ興味あるんだが。

更に奥へ進むと鐘があった。ここから修験道の道場エリアになるのかと思う。

先ほどまでは人もたくさんいたが、鐘を越えてしまうと誰も居なくなった。奥宮まで行ってみることにした。


獣道である。

喧噪がどんどん遠ざかっていくが、多分熊は出ないだろう。寒かったので蛇も出ないと思った。

案外簡単に奥宮まで行けたぞ。

鐘を鳴らして下山した。

改めて周りを見ると気持ちの良い緑が広がっている。その辺の山より華やかな気がするのは軽井沢だからなのか。

時間がそれほど経ってない獣の跡もある。

茸も生えてるし!

下山途中で真田社という神社があった。真田幸村が初陣の時に必勝祈願した場所なんだという。他のお社と違い道場エリアにあるので、ひょっとしたらここで修行したのかもしれないな。

怪しい洞とか。

栗とか。

なんかの実があったり。
そうこうしているうちに、人里に下りてくることが出来た。


結局どこでもドアがなんなのか分からず、どこでもドアの周りをウロついたけど分からず仕舞い。あとで調べたらSNS用の映えスポット用として置いただけだそうだ。

肌寒くなってきており、さっきまでたくさんいたはずの人間がまばらになっていた。御神木の周りも人が居ない。
自分の御朱印帳を持ってこなかったということもあるが、熊野皇大神社の御朱印帳が大変格好良かったので購入し、御朱印を書いてもらうことにした。待っている間、またしてもウロウロした。

犬を連れている人がやけに多かったが、犬用の施設もあるからだったらしい。今はどこの寺社仏閣も犬連れが当たり前になってしまったが、一昔前は動物を境内に入れることが禁止されていた。ペット霊園が誕生したあたりから神社も犬連れOKの場所が増えたのかなー? こうやって常識が変わっていくのかな、と年寄りじみたことを考えた。

明治天皇も参拝したようだ。やはり、明治の御巡幸道がこの近くにあるんだな。

長野県側の熊野皇大神社・群馬県側の熊野神社双方の御朱印をいただき、神社を後にした。
★★★★★
歴史ある古い神社なのに映えを意識したり犬OKだったり、私もこういう柔軟な考え方をする人間になりたい。ちなみに熊野皇大神社のHPはドラクエ風だった。宮司の趣味なのか…突き抜けてていいね。
創建年 景行天皇40(110)年
少し前にネトフリ解約したのに、今月下旬にTAKE THATの新作ドキュメンタリーが配信されることを解約直後に知った。マジか。また金払うかー。