お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

横田城

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住宅地の真ん中にある。ぽつん、と盛り上がっている場所だけ。今はお稲荷さんの社が建っている。

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f:id:henrilesidaner:20160416121431j:plain ←盛り土の上のプレハブっぽいのがお社。

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古殿稲荷社というお名前、場所の狭さのわりにやけにぶっとい木(と切り株)が古くからあるっぽい雰囲気を出している。ここの部分は土塁のあととされていて、北側には昭和7(1932)年ごろまで堀のあとが見られたと伝えられているそうだ。元の堀は6~8m位らしく、それが二重三重とめぐらせてあったとのこと。

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説明板にあった地図だが、水色線が堀の跡か何か? ちょっとたどってみたが、水路になっていた(地図上では赤い○部分)。

f:id:henrilesidaner:20160416121438j:plain 元は堀だったかもしれないけど…? 

外堀は南北約180m、東西約230mという大きさ。この内側に集落があったという。その中に「殿屋敷」と呼ばれる場所がある。「殿屋敷」が本郭跡である。本郭の規模は55m×55m(=3025㎡)。本郭は南北10m、東西12m、高さ3mの土塁で囲まれており、土塁の西北隅が現在の古殿稲荷社とされる。

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本来はもっと大きな城であったようだ。説明板には環濠集落と書いてあったが、それだと私としては縄文時代のムラのイメージになってしまう…。

築城時期は平安時代末とされる。そのころ源平合戦があった。何気に、このお城も治承・寿永の乱(治承4(1180)年~宝暦2(1185)年)に登場する。合戦のひとつ、横田河原の戦いの舞台がこの場所。ここで平家に勝った木曽義仲は勢いに乗って倶利伽羅峠の戦いにも勝利する、という。不勉強なので、横田河原の戦いは知らなかったが、さすがに倶利伽羅峠の戦いは知ってる(火牛の計のインパクトすごかったので)。

治承5(1181)年、平家から木曽義仲追討の命を受けた越後の実力者・城長茂が1万の軍勢を率いて横田城に入った。木曽軍は佐久のほうから3000騎ほどで進軍し、この地で激突した合戦を横田河原の戦いと呼ぶそうだ。で、負けた城さんが越後へ逃げ帰ったときには300騎ほどにまで減っていた。越後にいられなくなって会津に行ったが、会津も追われて越後に逃げ帰った城さん。これ以後もずいぶんドラマチックな人生を歩んだらしい。

木曽さんは空白地帯になった越後に行き、北陸道から都を目指す。加賀と越中の国境の峠・倶利伽羅峠で平家軍に勝利し、都入りした。

 

応永7(1400)年の大塔合戦では、守護の小笠原さんが善光寺横山城かも?)から横田城に入り、国人衆との合戦に備える。が、味方が少なく(敵がかなり多く)横田城を捨て塩崎城へ移動した。途中で敵に察知され、二ツ柳城には塩崎城にたどり着けなかった大部分の兵が立てこもり、全員戦死した。

 

横田城最後の戦いは川中島の合戦。横田城は武田さんの家臣、原虎吉さんが入った。どうもこの地で亡くなったらしく、近くのお寺にお墓が残されていた。

f:id:henrilesidaner:20160416121439j:plain ←この向かい側に立派なお墓がありました。

原虎吉さんは永禄4(1561)年の第四次川中島合戦で上杉謙信武田信玄の一騎打ちの場面に居合わせ、信玄を救ったという話が残っている。なので、討死したとすれば永禄7(1564)年の第五次川中島合戦だろうか。これは「塩崎の対陣」とも呼ばれているそうで(信玄は塩崎城に布陣した)、横田城に武田軍がいて小競り合いしてもおかしくはない…。第五次川中島合戦は二か月くらいの間にらみ合いしただけで終わったため、戦闘があり戦死者がいたかどうかも分からず。ちなみに川中島合戦は第五次が最後。

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原さんが眠っている地蔵寺は、近代の軍人さんも多く眠っているようでした。

 

 

★★☆☆☆

住宅地になってしまい、お城の面影はわずか。重要な位置のお城だったようで、何度も合戦があったのかと思うと不思議な気分になった。今の町並みからは想像つかない。

 

 

<横田城>

築城年 平安時代末期

築城主 不明

構造 平城

 

 

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この近くに、去年できたばかりの広い公園が。子連れがたくさんいた。しかし広いから他の家族と接触することも少なそうで良かった。

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