運動不足を感じたので、久しぶりに山へ行ったよ。集落に極近い山だけど。熊とか本当に勘弁だからな。
まずはこういう感じの。現役の民家だよ。
寛文9(1669)年、上田藩主仙石政俊が幕府に隠居を願い出た序でに、政俊の弟・政勝が上田藩領約六万石のうち二千石を分知されて出来た矢沢領の陣屋である。仙石氏の分家ということになる。独立して旗本になっている。
上田藩主の仙石氏は宝永3(1706)年に但馬出石藩へ移封されたそうだが、この分家は当地に留まり明治維新を迎えるまで矢沢領を治めたという。この他にも飛び地で730石ほどの領地があるらしい。
二千石くらいだと旗本でも上級の家格になるらしく、陣屋とはいえ城みたいな石垣を作っている。調べたら現在でいうと年収5~6000万円ほどの家になるようだ。
でかくて近代的なお城だと、こういう感じの石垣あるよね!
↑祠っぽいが、とにかくここ民家なのでじっくり観察してない。
航空写真だと民家が3軒はあるみたい。御子孫なのかしら? ちなみに陣屋の主は江戸定府なのでここにはほとんど来ていないようだ。代わりに代官を派遣していたみたい。
石垣の周りは綺麗に整備されており、ちょっと歩いてみた。桜の木が並んでいるので春は美しいかもしれないね。
裏側はこんな感じだった。崖。そして川も流れている。
道路に面している豪奢な蔵も良かったが、こっちも古そうだわ。
戻るよ。
保存されているのか分からんが、蔵だけバンッと現れてびっくりする。ちなみに城内にある民家は現代的な建物だった。蔵は人目を引くものの、江戸時代の建物かは怪しい気もする…?
石垣は続くが、蔵周辺の鋭角な石垣じゃなくなってきている。
入り口と門があった。ここが陣屋の正門跡じゃないかと思う。
しかしながら、案内板などはない。さっきの石垣周辺にも仙石氏館とか矢沢陣屋とかそういった名前が分かる看板はなかったな。グーグルマップにはガッツリ載っているんだけど。
現地にあった看板はこれだけ↓
近くに「矢沢城」というお城があり、こっちを推しているようだ。
石仏?が並んでいる。陣屋があるぐらいだし、街道が通ってる地区だったんだろうなと思う。
矢沢陣屋近くの町並みはこんな感じだった↓
狭い道だが、閉店した古い構造の商店が並んでいた。多分、長野県道176号線の旧道じゃないかな? 旧真田町と大屋駅を結んでいる。古地図ではこの道が主要道として太線で描かれていた。この道には矢沢村の道路元標もあったらしい。
周辺、石積みが多かったよ。一応城下町だしね、とても立派だった。
ここまでが陣屋かな?
左側は崖。一応堀的なもの?
耕作放棄地のような場所にも石垣。
道路の向こう側にも石垣がある。お城跡ではないと思うけど。
ここの見所はこれよね! ってことで、蔵を最後によく見た。
おしまい。
★★★☆☆
陣屋にしては大変立派なものだった。
<仙石氏館>
築城年 寛文9(1669)年
築城主 仙石政勝