お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

殿の屋敷(?)

先日、かの有名な「獺祭」の一升瓶をいただいた。どんな味なのやら…とワクワクして飲んでみたところ、「!?」と固まる程甘かった。さっぱりすっきり系だと思い込んでいたわ。

 

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↑の図の「殿の屋敷跡」にも行ってみたよ。地図にも載っているぐらいだから、地元では知られたお城跡なのかしらね?

 

 

地図としてはこの辺り↓なんじゃないかと思うが、それらしき表示がない。 

ここまで来る途中にはあったんだけどな。

この標示分かりづらいよ。

水神様という場所も探した。こちらはすぐ見つかったけど、車で行くと詰む感じ。実際詰んだよ、大変だったよ。

 

地区名は「越戸」といい、東山道(後の保福寺街道)の保福寺峠入り口を意味しているらしい。保福寺峠ってまだまだずっと先、気が早いわねー。ここからずっと山道になるという意味では正しいかもしれないけどさ。

ただ、この「殿の屋敷跡」は別所へ向かう市坂峠という峠道の出入り口にあって、どちらかというと市坂峠監視施設のような気がする。

別所は建治3(1277)年、当時の日本で2番目に偉い人が夜逃げみたいに急にやってきて、こちらに移住したという曰く付きの土地。県内の中世城郭では最大級と言われる塩田城がある場所。お金持ちの世捨て人?が来たので、別所には立派な寺社仏閣とお城・お屋敷ができたが、そのお金持ち一家も元弘3(1333)年に滅亡してしまった。

別所温泉自体も日本武尊が発見したともいわれる、神話時代から存在するような、信州最古(日本最古と盛られていることも…)の温泉地とされている。三名泉(清少納言評)・三御湯(全国3カ所の皇室御料温泉)とも言われるような古くからの有名温泉地で、元々人が住んでいたようだし、土地開発も容易だったかも。

結局、「殿の屋敷跡」はネットで探しても手がかりすらなかったよ。なんなんだろうね。存在してたんだよね…?

 

ウロウロしてたらこんなの↓見つけた。

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掲げられていた扁額には「日向山隧道」の文字。「!?」ですよ、これは…。

隧道と言い張っているから元はトンネルだったんだろうけど、どういう状況なの?

トンネル掘る→崩れた→???

崩れたのは見た目的に確実だと思うんだけど、切り通し化せず落石避けの為に作ったものなのかね? 壁をコンクリで固めて切り通しにしても良かったのではないのかとも思うよ。隧道に対する執着があったのかもね!

 

2006年に撮影されたこのトンネルの写真を電子の海で拾ったが、状況は同じだった。崩れたのは最近じゃないのか。

上田市の資料も拾ったが、それによれば建設年は昭和52(1977)年だそうだ。このくらいの時期になんかあった?

 

これ↑の右側の道がずーっと昔の旧道なのかな、と勝手に考えた。

 

明治前期のものだという越戸の地図には、別所村に向かう峠道が3つあり、そのうちの一つがこの道のようだ。

  • 車道化されたもの=市坂峠道
  • 別所道として遊歩道化されたもの=殿戸峠道
  • 廃道となった=日向山隧道を通過する道(越戸峠道?)

ではないかと思ったけど確証なし。

3つとも別所に向かう。

  • 市坂峠は別所への一番の近道。
  • 別所道は殿戸地区から山越えで別所・沓掛に向かう(越戸地区の山中しか通らない)。
  • 峠が廃道になっているものは、峠の先で別所温泉方面・沓掛温泉方面の二手に分かれ、沓掛温泉方面に行くと遊歩道になっている別所道と合流し…と地図上ではややこしい感じになっている。

廃道は途中の上越戸という地区に文政8(1825)年に建てられたらしい、別所への道を示した石道標があるらしいが、見つけられなかった。それほど便利に使われた道だったろうに廃止かー。

どうも明治時代には、沓掛温泉と別所温泉を結ぶ街道があったらしい。どの道を指しているかはよく分からないがねー(これも恐らく廃道になっているかも?)

現在、上田市街地は別所と離れているし、青木峠・保福寺峠とも幹線ではなくなってしまっている。3つの道筋は全く重要ではない様子。

 

旧道らしき所に建つ石碑は梵字が書いてあるようで、道の来歴はなさそうな予感よ。道が狭いので、迂闊に車を駐める気分にならなかったのよ。

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トンネルの向こう側にも馬頭観音みたいな石仏があった。それなりの難所だったかも。

ちなみにこのトンネルは越戸地区と当郷や岡を結んでいる。こちら側にも物流の動脈があったはず。昔の人が頑張って掘ったんだろうよ。

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こんな感じになっても、今後(優先度は低いようだが)市で日向山隧道の修繕をしていく予定だそうだ。

 

例の峠カードのプレミアムカードのコレ↓には負けるだろうが

日向山隧道も大概よ…。

 

 

 

★★★☆☆

探してた「殿の屋敷跡」は分からなかったが、異様なトンネルを見つけて気分上がる

 

 

<殿の屋敷>

築城年 不明

築城主 不明

浦野駅

村松殿屋敷跡がある村は、律令制東山道の駅が置かれていたほど、昔から栄えていたらしい。ちなみに、一番最初の東山道のルートは伊那から諏訪、佐久へ向かい、軽井沢を経て群馬県に入る道筋なため、この地域は通らない。

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何で大幅なルート変更したんだろう。

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今はただの公園になっている。

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四阿がぽつんとあるだけだった。

 

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近くには古そうな神社があった。

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飯縄神社というらしい。登らなかった。

 

これ↓によれば、案外昔の駅は少ないらしい。支道(北陸道連絡路)と合わせても、信濃国内には14駅しかない。寂しい。

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各駅間、それなりに離れている気がするけど…ちなみに、

浦野(青木村)→亘理(上田市)→清水(小諸市)→長倉(軽井沢町

だそうだ。浦野~亘理はともかくも、他は離れてないー? 現代人なら絶対途中で生き倒れるわ。 

東山道」としてはこのルートを一番長く使っていたらしく、以前の佐久を経由するルートは検索しても情報があんまり出てこなかったよー。若干、中山道と似たような感じの道筋な気がするよ。国府を置いちゃった上田を経由したくて、変えちゃったのかな。

ここにあった案内板には

  • 浦野駅(推定)
  • 東山道研究の権威、故一志茂樹博士が当地を浦野駅があった場所と推定した
  • 昭和50(1975)年の春と秋に緊急発掘調査を行った
  • 縄文時代鎌倉時代の土器や土師器・須恵器は出土したが、「浦野駅」と確認できる遺構・遺物は発見できず
  • 国の幹線道路(七道)の区分は、大路・中路・小路の三種類で、それぞれ駅の規模(置く馬の頭数)も決められていた
  • 大路=山陽道太宰府へ向かう道だから)、馬30頭
  • 中路=東海道東山道、馬10頭
  • 小路=北陸道南海道山陰道西海道、馬5頭
  • ただし、難所がある駅間については例外規定がある
  • 例えば、錦織~浦野間は保福寺峠(1340m)があるので、二つの駅は馬15頭置かれた

つまり、東山道の中でも規模が大きい方の駅だったらしい。

現在の地名は「当郷」で、笹洞城・原畑城があった室賀地区の道標石柱にもその名前が出ていた程賑わってた場所だったらしい。

その賑わいの名残として、大宝寺という凄く古いお寺さんがあるそうだ。創建は大宝年間(701~704)で、藤原鎌足のお子さんの定恵という人が開基だとか。東山道の開通とほぼ同時じゃないのかな? この辺りは交通の要衝とはいえ、あまり戦乱の地にならなかったらしく、国宝の三重塔(1333年製)と国重文の仏像(平安時代中期の作らしい)、厨子が残っている。三重塔はわざわざ上方から職人を招いて作らせたもので、何の目的で高名な大工を呼びつけたのか謎とか書いてあった。ココにはお金持ちがいっぱいいたからじゃないの? と思いましたよ。

 

 

★☆☆☆☆

取り残された風がした

 

 

<浦野駅>

大宝年間(701~704)?

 

 

村松殿屋敷

長野県が発行している「信州の土木カード」の第2弾が先日発行された。ちなみに第1弾(というかプレで作ったっぽい)カードは久米路橋4種だったらしい。こちらの方は食指が動かなかったが。第2弾のカードは眺めていたら欲しくなってしまったという…先行配布イベ行けば良かったと後悔中よ。

 

第2弾、北信・東信・中信・南信の4ブロックに分け、各4枚(4カ所)という構成。さらに各ブロック4枚を集めるとプレミアムカードがもらえるという。

北信:毛無峠

中信:釜トンネル

東信:碓氷峠

南信:大平トンネル

釜トンネルか毛無峠欲しい…。ただ、長野県は広すぎる。最南配布場所は遠山郷、一体どうやって行けばいいのよ? こんなのを自力で集めるのは無理だろ、どう考えても。まぁ大人の力でズルするかもなw

大平トンネルがよく分からなかったんだが、パンフレットに見本載ってた。なんかアレな奴だった。あんなトンネル?あるんだねえ。世界は広い。

 

配布カードで一番欲しいのは「明通トンネル」、ここは簡単に配布場所まで行けそうだから早速もらってきた。

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やったね!

明通トンネルは長野県が誇る心霊スポットとして有名だけど、日本国道で最も古いトンネルとしても有名で、明治23(1890)年開通、昭和32(1957)年改良というトンネルだよー。青木峠自体が不気味だけど、このトンネルも華を添える感じで本当に心地悪いの。

 

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配布場所にはこういうの↑があるので子供にもちょうど良かった。

 

現在地は古代の東山道時代から昭和51(1976)年の三才山トンネル開通まで賑わっていたらしい。麻績や松本から上田に行く人がここで合流するという交通の要衝だったみたい。山を越えれば別所にも行けるようだ。

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お城も「殿の屋敷跡」「村松殿屋敷跡」の表示がある。地図には載ってないけど、岡城もすぐそば。

 

で、村松殿屋敷跡。

目印は「村松の宝篋印塔」とかいう奴で。

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これがソレらしいぞ。

案内板には↓と説明していた。

  • 宝篋印塔は宝篋印陀羅尼の経文を納めた塔
  • 鎌倉時代以降は宗派を超えて建立された
  • 東側の塔には「貞治4(1365)年」の銘がある、西側の塔も同時期の作品か
  • この二つの塔で、大日如来の教えである「慈悲」「真理」を表す

 

宝篋印陀羅尼とは、正式には「一切如来心秘密全身舎利宝筺印陀羅尼経」というらしく、これを写経すれば現世利益があるそうな。この塔は鎌倉時代から作られ始めた様式で、中国の王様の銭弘俶(929~988)が延命を願って立てた塔が起源だという。王様が作るぐらいなので華美。元ネタの中国では宝塔として建てられているが、日本では供養塔や墓碑塔としても建てられたそうだ。五輪塔も同じ用途の塔だが、それに比べると派手なので、貴人用の傾向が強いらしい。

 

東側の塔には碑文もあり、

 奉寄進

 善福寺

 田畠事

 右寄進田地

 者浦野庄内

 村松滕次郎入道

 在家三分二田

 三畝寄進如件

  貞治四年一二月

   沙弥朝阿

と彫られているとのこと。

善福寺という寺に浦野庄の住人・村松滕次郎入道が土地を寄進したという内容だそうな。善福寺はすでに廃されている。

西側の塔は村松滕次郎入道の身内(妻か子)と言われているらしい。

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善福寺がどこにあったのか分からないが、この遺物は移されてきた雰囲気。県宝に指定されているとかで仰々しい。

 

この塔のすぐそばにはお目当ての村松殿屋敷跡の案内板があった。

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小山田茂誠夫人かつ真田信繁の長姉の村松殿のお屋敷跡だってさ。

宝篋印塔のある場所より少し上にあるそうだ。

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↓上らへん。

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旦那さんが武田氏→後北条氏→真田氏(真田昌幸真田信之)と主を代えていったが、舅の真田昌幸の家来になったのは天正18(1590)年の後北条氏が滅んだ後で、同年この村松郷を与えられた(ちなみに結婚したのは天正10年より前の武田氏家臣時代だとか)。旦那さん、きちんと主家が滅んだのを見届けてから別の家に仕官してて、なんか律儀な人だなと思った。

元和8(1622)年、真田家が松代に引っ越したときに、当然だけど付いていったから、ここは破棄されたようだ。30年くらい住んでいたのかなー。

お引っ越ししてから400年。普通の宅地に戻ってしまっているようだ。

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屋敷跡の上まで登ってきたが。

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藪が深くて下見えなくなっちゃったー。

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藪が無ければ、景色良さそうだよ。

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峠もあるし、見晴らしが良い屋敷つまり監視小屋、という感じかね。と思ってしまう。松代町に移住後は松代城のすぐ近くに屋敷を構え、次席家老とか要職を代々世襲する重臣になってた。峠監視の仕事?から出世してたわ。

村松殿小山田茂誠夫人を指すみたいなんだけど。この屋敷に住んでいる時分には夫婦で暮らしていたのに。小山田氏館跡と呼ばれないの、ちょっと気になるー。どうやら小山田茂誠家は真田姓を許され一門衆扱いだったらしい(この夫婦の跡取り息子は真田姓を名乗っていた)。むしろ分かりやすく「村松殿屋敷跡」と呼んでいるだけだったのかー。

 

★☆☆☆☆

宝篋印塔の案内板に出てくる村松滕次郎は何者なんだろう?

 

 

村松殿屋敷>

築城年 天正18(1590)年

築城主 小山田茂誠

 

 

 

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帰り道の配布施設で2枚目ゲット。そこではマンホールカードも配ってた(マンホールカードもダムカードも膨大すぎて集めるの、躊躇するよ)。翌日には布引トンネルも手に入れ、もう3枚集まったよw

笹洞城

原畑城と対のお城である笹洞城に行った。

麓に某温泉施設があるので、そこに車置いて荷物を整理していたところ。見ず知らずのおばさんが寄ってきて、

  • 昨日、この場所に気持ち悪い虫が大量に湧いた
  • 多分、土の中からボコボコ出てきたと思う
  • 山のように湧いて、本当に気持ち悪いので施設の人に頼んで消毒してもらった
  • そうしたら、虫の山は一つではなく2個3個といっぱいあった
  • 本当に気持ち悪かったので、今日はどうなっているのか探しに来た
  • 今気持ち悪い虫が居たように見えたが、ちょっと分からなくなった

という内容の話をしてきて、一緒に気持ち悪い虫を探す羽目になった。結局見つからなかったが、非常にテンションが下がってしまい困ったよ。気持ち悪い虫というのは黒い毛虫だか芋虫だからしい。

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施設の隅にいらっしゃった厄除け地蔵に今後の平安を祈った。

 

以前、館の方の原畑城には行ったけど、山の詰めのお城には行かなかった。室賀城とは原畑城と笹洞城を総称した言い方だそうで。これで片参りが解消できるぞー!

 

前回室賀氷上神社の脇から伸びる登山道に赤い旗が立ち並んでいたが。

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だいぶ朽ちているものの、まだ旗は存在していた。

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室賀氷上神社の鳥居をくぐり。

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参道を進まずに横の道を、赤い旗を探して進むよ。

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登山道の左側は放棄された水田。

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今年だけが休耕田になっているのか、きちんと手入れされている。来年は米作れそうな雰囲気だよ。

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初っぱなから倒木出たよ! 道は大丈夫なのかしら?

台風19号の爪痕なのか、ちょっと荒れている?

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この地点だけかな?

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入り口の倒木だけで、他はなんともないみたい。

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綺麗だぞ。

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ふと右を見ると、大きな竪堀があった。

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竪堀と平行して登山道が付けられているみたい。先が見えないほど長いよ。

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しばらく竪堀と一緒に登っていたが、突如前方にこんなの↓が現れた。

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虎口?

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少し登ってみてから振り返ると、ちょっとクランクっぽくなっている。この数年前に整備されたという登山道、実は大手道だったりして…?

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この辺りは目印の旗がなく、代わりに虎ロープが案内してくれている。なんという親切さ。

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↑郭っぽい。

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郭がまたあった。

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段になっている。

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今までは虎ロープ=ガイド役だったけど。

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道が急峻になってきて、虎ロープに手助けして貰わないと登るのキツくなってきた。この虎ロープさ。

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優しいの。ところどころ玉結びしてあって、滑り止めになっているの。

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久しぶりに赤い旗が現れた。

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この先にも郭。

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この先に堀切が。

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なんかよく分かんない!

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堀の先、また急な斜面を登るよ。 

この虎ロープ大丈夫かしら? ちょっと心配。とか考えていたら。

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めっちゃ木の幹に食い込んで、安全だった。

また郭のようだった。

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堀切もあったよ。

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更にその先に行く。

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何か見えてきた。

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祠だ。

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祠の上に、すんごい石垣あった。やばい。

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ちなみに祠は空っぽだった。どういう神様がいらっしゃったのか、手がかりもない。麓の室賀氷上神社に摂社がいくつもあったから、もしかしたらそっちに引っ越しているのかも?

祠には10円玉が3枚置いてあった。空っぽとはいえ、勝手に漁るのは気が引けるから手を合わせた後に10円玉を検分した。一番新しいものが平成21年だった。10年前か。その当時は神様がいらっしゃったのだろうか。

祠があるぐらいだから、この辺りが中心部なんだろう。ふと下を見れば。

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↓あの石辺りも、人工的な石積みの雰囲気あるわ。

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祠上の石垣の上に、目印の赤い旗。

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本郭に到着したよ!

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↑怪しい石の並び方と、堀切。

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気のせいか、3方向見晴らし悪くて。唯一開けていたのが上田市街地方面。

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管理している人も分かっているのか、看板を開けている場所に立てていた。これピカピカしてる。つい最近作ったばっかりのような?

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土塁もある?

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上田市街地から侵入してくる敵が丸見えだな!

坂城方面からも入り込めるけど、主家筋の村上氏領だからかさほど気にしていない様子?

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小さい郭が下にある。

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数年前は麓からも見えた赤い旗がボロボロに。

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帰途についた。

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下界が見えてきた。降りるときはあっという間よね。

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↑この写真の右側はまだ森の中を進むような獣道があり、恐らくそこを通り抜けると原畑城辺りに出るのでは無いかと思う。

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分岐点には↑この標識があり、こいつが指し示す方向とは逆に行けば原畑城に辿り着けると思う(方向的には合っている)。先は藪だったがねー。

 

 

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あまり日が当たらない場所だったせいか、綺麗な状態で残っている幟。マジマジ見れば「2016年大河ドラマ 真田丸」とあり、3,4年前かーもっと前やってたと思ってたわーと驚いた。

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室賀氷上神社まで戻ってきた。神社にもお参りしたよ。

 

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変な虫の話をいきなり聞かされたせいで、山の中大丈夫かなー? とか思ったけど全然平気だった。

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麓の温泉施設では、菊のお祭り開催中だった。

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中学の時、こんなようなの育てさせられた気がするよ!

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またお前か、と呆れるぐらいこの人↑関連の何かが多いよね、上田って…。

 

 

★★★★☆

良い天気で良かった。

 

 

<笹洞城>

築城年 不明

築城主 室賀氏

 

 

 

室賀峠を越える街道の説明板を見つけた。

  • 室賀の道(室賀峠を越える道)は「善光寺道」と古くから呼ばれた
  • 岩鼻を通るルートに危険を感じる人々により愛用された
  • 下室賀岳之鼻遺跡という遺跡から、平安時代のお寺跡が見つかった
  • 上室賀の熊野神社(室賀氷上神社)で峠越えの無事を祈ってから山道に入る
  • 神社から先の道には道しるべや馬頭観音がたくさん残されている

と書いてあった。

道しるべは2個あるみたいで、ここから善光寺の他、麻績、当郷(青木村当郷)、奈良本(青木村奈良本)という場所に行けるらしい。

 

道しるべ①

左 おみみち

右 ぜんこうじみち

 

左に行くと県道12号にぶち当たり、青木村(突き当たりを左へ)か麻績村(突き当たりを右へ)に行ける。

 

道しるべ②

左 山みち

右 ぜんこうじみち

 

左へ行くと山道(昔、麻績に抜ける近道だったと思われる、大林山を越えて行く険しそうな感じで、多分県道55号にあたりに出るのかな? と思われる)

 

室賀峠を越える道(ぜんこうじみち)は上田市内の分が昭和っぽい道。坂城町に入るとドリフト痕が残る広い道だった。

 

 

 

琵琶島城

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初夏に野尻湖行って遊覧船乗ろうとしたが、↑天気が悪すぎて船欠航。素人目で見ても無理だろうという天気だったので仕方ない。大人しく帰ったよ。

しかしどうしても今年中に行きたく(来年は諏訪湖の新しい遊覧船に乗りたいから)、冬季運休に入る前になんとしても! ということで、ちょうど時間が出来たので行ってみた。

 

我々の日頃の行いが悪いために、この日も天気が怪しい。チケット売り場で「あのー今日船出てます?」と聞いたが「天気が悪いので今のところ出せない、微妙すぎて今後も無理かも?」との返答。とりあえず、次の便(5分後出航予定だった)は駄目だから、次の次の便が出る1時間後に来てくれ。とのこと。しかし、その返答なら1時間後も駄目かもなぁ…また子供が面倒臭い。

トイレなどの用を済ませるため、たまたまチケット売り場付近を10分ほどウロついていたら。「船出られます! 乗る方来て下さい!」と叫ぶ売り子のお姉さんが現れた。おおーっと人が数人チケ売り場に行き、我々も慌てて列に並んだ。

多分、他にも諦めてその場を離れた人達がいただろうと思う。トイレに行って良かったよ。今回乗り合わせることになった人間は全部で7人。

船は200人以上収容出来るデカい船では無く、20人くらい収容の小型船だった。しかも古い感じの。

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↑こんなだよ。

屋根に登っても良いらしい。

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すぐに出航した。

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船内では野尻湖の案内放送がかかっているけど、どちらかというと乗り合わせた老夫婦がはしゃいでいたことのほうが印象深かった。「船はイイネー」とずーっと言ってた。 

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天気のせいなのか、妙に寂れた雰囲気が良かった。この辺りは外国人も結構多くやってくるらしく、外人向け別荘群があるという。軽井沢が有名になりすぎて「閑かな場所を」ということで探し当てたのがココだったらしい。最初に探した人の故郷・カナダの風景に似ているとか? そういう理由なら、寂れた雰囲気でいいのかも。大学の合宿所も点在しているみたい。意外とレストランも周りにあったしな。もうちょっと天気が良い日なら人出も多いかもしれない。

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↑屋形船いた

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お目当ての島が見えてきたよ!

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弁天島というそうだ。

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上陸だよ。

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↑昔の船着き場はこちらだったようだ。

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↑今はこういう場所に船着き場がある。

 

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宇賀神社。

創建は天平2(730)年、行基御神体を安置したとか言われている古い神社。

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お城跡でもある。野尻城または琵琶島城といい、築城時期は定かではないらしい。

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階段を登ったあとの平地。

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先がおかしい。

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堀切だった。デカいヤツですぐ分かる。堀切の先は神社の本殿が見えてくる。

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この辺が主郭ということでしょうか?

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主祭神倉稲魂命なのかな? 「うがのみたまのみこと」と読むそうで、絶対この名前の「うが」から社号を取ってるよね?感あった。弁天島というぐらいだから、弁財天(市杵島姫命)も祀っているし、全部で13柱の神様をお祀りしているそうな。式年大祭が6年ごとにあり、直近だと2016年にあったそうだ。

 

何しろ上陸時間は15分しかなく、後続の船は多分出ないからココに留まれない(後続があれば40分の散策可らしい)。島をくまなく見ることは出来なさそうだ、残念。

パワースポットとして弁天島を売り出しているようなので、実はここにお城あったよ的な看板は一切なかったが。

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宇佐美定行さんという人の墓があった。かわいい名前よね、うさみさんて。

看板には、

  • 長尾政景上杉景勝の父、上杉謙信の義兄)という人の紹介
  • 宇佐美定行という人の悩みというか憂いというか、困り事
  • 上杉家の将来を考えて、宇佐美定行は長尾政景と心中した内容の事件
  • 上杉謙信はこの地で宇佐美定行の菩提を弔った

という感じの話が書いてあった。

南北朝時代にはあったとも言われている。交通の要衝だったそうなので。

戦国時代だと、上杉氏の前線を守る城だったようだ。一応戦いが起こっていたようで、武田氏に取られる→上杉氏が取り返す などとやっていたようだ。

宇賀神社本殿の裏側には段郭もあったようだが、そんな場所に回り込めない。時間に追われている。

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↑土塁

写真も撮る時間ないの。

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船着き場に戻るとすぐ出航しちゃった。

 

 

琵琶島城の他に、野尻新城とか土橋城とかあるらしい。f:id:henrilesidaner:20200212123219j:plain

↑野尻新城はこの山の上なのかな? 

登山道があるという場所の手前にはピザのお店があったよ。

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★★★☆☆

何故かいつも天気が悪くなってしまう、野尻湖とは相性が悪いのかな

 

 

<琵琶島城>

築城年 不明

築城主 不明

中俣城

先の台風では、まぁまぁ厄介な目に遭った。結果論でいえば、避難指示が出ようとも家にいるのが一番安全だった。が、将来同じ状況に遭ったとしても、家にいるという選択肢はないと思う…かといって、冷静に考えれば絶対確実な避難先なんてない。近くの避難所数カ所はどこか壊されたし、山のそばも川のそばも危険。だいたい自分の命だけ助かっても家も車もない状態になったら、生き続けないかも。なら、平時のうちに死んどいた方がいいのか、いっそ生まれてこない方が一番安全なのかもしれない、という気がする。とはいえ、あんなに間近でチヌーク飛んでいるの初めて見たから、やっぱりちょっと嬉しかった(第4通信大隊と書いたトラックも数台見かけた、遠い福岡から有り難いことだ)。

ちなみに決壊箇所はココで、リンク先の画像はもう…。お空きれい状態だよ。

 

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中俣城に行ってみた。

ここは住宅地で、お城の雰囲気0だった。

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名残として、看板があるだけ。その内容は

  • 朝日将軍・木曽義仲(1154~1184)が生きた時代、築城されたと伝わる
  • 応永31(1424)年に井上氏が築城した平城(天守閣や石垣はない)
  • 砦として使われており、代々井上氏が住んでいた
  • 現在、この場所には城山稲荷明神社が鎮座している
  • ここは本丸の辰巳(南東)の位置にあたる
  • 築城主の井上氏をはじめ、応永年間(1394~1428)の井上左馬之助光頼の舎弟・遠江守、弘治永禄年間(1555~1570)の武田氏家臣・保科氏、井上氏、栗田氏など、天正年間(1573~1592)の織田氏家臣・森長可の舎弟・森忠政、上杉氏家臣の本多安房守等が崇拝していた
  • 上杉氏の会津移封に伴い、廃城
  • しかし霊験あらたかだったため、お参りにくる者が絶えない
  • 大正13(1924)年、社殿再建
  • 昭和5(1930)年、社殿再々建

 

築城時期が

木曽義仲が生きていた頃

②応永31年

の2つ書かれている。二つの時期は250年程の開きがある。城主だった井上氏は木曽義仲方として源平の合戦に参加しているので、①井上氏が木曽義仲と共に戦う為に簡単な砦を用意した→②大塔合戦後の混乱で砦を改めて整備した、というのもあるかもしれない。

 

資料によると、お城の規模と郭の位置関係は以下の通り。

主郭 東西32間ほど(約58m)、南北33間ほど(約60m)

二の郭 主郭の東

    東西27間ほど(約50m)、南北55間ほど(約100m)

三の郭 北西

    東西38間ほど(約70m)、南北33間ほど(約60m)

 

主郭の周りの堀は既に埋め立てられている。主郭は周囲より30センチほど高いままを維持しているので見つけやすいとのこと。

中俣氏という氏族も存在しており、この一族は応永7(1400)年の大塔合戦に井上光頼とその弟・遠江守(名前は伝わらない)に従い出陣しているとも言われている。

 

記述からすると城山稲荷明神はお城の守護神だったようだ。

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本丸内なんだろうけど、目の前の道路と高さが変わらない。強いて言えば↓

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稲荷社のお隣の家の方が、地面が高い?

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歴代の城主もさりげなく書かれており、

井上氏

 →武田氏統治時代は保科氏・井上氏・栗田氏

  →織田氏統治時代は森長可の弟・忠政(後に松代藩主として戻ってくる)

   →上杉氏統治時代は本多政重(この人は徳川家康重臣本多正信という人の息子さんで、直江兼続の養嗣子だったために上杉家の家臣と書かれているみたい)

    →廃城(井上氏も会津へ)

という歴史を歩んでいるらしい。

 

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★☆☆☆☆

何もないよー。

 

 

<中俣城>

築城年 応永31(1424)年?

築城主 井上氏

 

 

中條宮(中條埴志那神社)が元あった場所を探した。

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現在の中條埴志那神社の場所に昔、寺尾氏の館があった。江戸時代に入る前後で館は廃止されて、今の神社がお引っ越ししてきたのだろうと思う。

信濃国埴科郡檞原庄中条宮弁財天由来記】にはやけに具体的な地名・人名が登場したことが非常に気になり。これもしかして場所特定できるんじゃね? と色々考えてしまった。

 

文書中では中條の地は7~8町ほどの藪だとあった。中條のヒントとして「小鮒沢・鰐沢という二つの川に挟まれる」があった。鰐沢はぐぐったところ、「関屋川」と呼ばれた川が昔は鰐沢という名前だったようだ。

現在の関屋川↓

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川筋を付け替えて流れを変えられてしまった。今は一部残された(松代町内の泉水路の維持の為らしい)ものの、川としては死んでしまっている。上流の方で藤沢川という川と合流させられてしまった。グーグルマップを航空写真で眺めたところ、皆神山の麓にある某日帰り温泉施設の辺りで流路が切り替えられていた。関屋川(鰐沢)跡地は現在は道を作っている。

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道は途中で、工事はまだまだ何年もかかるらしい。松代という場所は湿地帯だか沼地だかで、とにかく地盤が緩いそうだ。特にこの道の先は水が溜まりやすい場所だとかで中々進めることが出来ないとか聞いた。

道筋=本来の関屋川の川筋。関屋川がどこへ向かっていたのかというと。

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中條埴志那神社付近である。この辺りが蛭川との合流地点だったようだ。地区によっては関屋川を蛭川とも呼ぶそうだが、基本は藤沢川と関屋川が合流してから蛭川と名前を変えるらしい。

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関屋川跡地にはお移りになったばかり? の石碑達が。

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養蚕の神様。

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道祖神

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????

↑この石碑の裏は「文化7年3月」という文字に寄進者らしき人々の苗字が彫られていた。何の石碑なのやら? 文化7年=1810年。

 

もう一つの川「小鮒沢」はわりと簡単に見つかった。現在も小鮒川という名前だったからだ。

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↑小鮒川

これも「関屋川」とも呼んでいたらしい。

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このしょぼい川に材木流すとか大変そう。

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この辺りで電話の実験をしていたらしいよ!

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この小鮒川もたまに悪さをしたらしく、何十年か前に荒ぶったとかで治水対策され、現在は暗渠となってしまった。しかも、地下に大きな排水溝みたいなのを埋め込んでおり、鉄砲水とか出ても地上の家々を壊さない仕組みがあるそうだ。東京・渋谷の地下貯留槽や放水路みたいなのが埋まってるのかねー?(当然、松代町の方がずっと規模が小さいだろうが)。

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現在地↑から小鮒川を追いかけてみた。

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↑この辺りから、小鮒川は道を離れて、家と家の間を縫うように進んでいくらしい。追いかけられなかったよ。グーグルマップでそれらしい川筋を追いかけていくと、長野IC辺りで蛭川と合流しているみたい。蛭川はその先で千曲川にぶつかる。

 

なので、「中條」という場所は松代町の東エリアだと思われる。

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左の青線:小鮒沢 右の青線:鰐沢

江戸時代以前のものはなさそうだったが、古い地図はこんな感じだった↑

(実は伊勢社もあったけど、祭神からしてあり得ないので描いていない)

梅観音は神社というよりこの当時から史跡の扱いをされていたらしく、神社の記号すら描かれていなかった。

地図を眺めていて、その間にある神社を探す。怪しいのがいたよ、祝神社だ。

 

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祝神社は慶長3(1598)年、海津城の二の丸に祀られていた健御名方神・八坂斗売神の2神と、松代町東条の古い神社(創建年不明、祝神社であるということになっているが、式内社の「祝神社」は現在の須須岐水神社であるともされ、いつもよく分からなくなってくる)から生魂命を勧請し、創建。現在地に祝神社?の里宮があったとも言われる。当初は諏訪大明神と呼んでいた(今もお諏訪さんと呼ばれている)が、宝暦元(1751)年に祝神社と改称。

中条宮弁財天由来記は慶長4(1598)年に作成されている。祝神社の創建と関係あるのかしら?

 

祝神社はこんな感じだった↓

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左:諏訪社(本殿) 右:宗形社(弁財天)

中条宮弁財天由来記の御祭神と一緒である。一緒に祀られている神様も多々いらっしゃるが、池の中に造営されているのはこれだけ。あと、主祭神のはずの生魂命がいなくなっている。どこ行った!?

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諏訪の神様と弁天様は池の中にあり、他のお社は境内に散らばっている。

拝殿は文化9~12(1812~1815)年に再建されており、弁天社の覆屋は比較的新しいものらしい。

弁天社だけが何故池の中にあるのか聞いたが、さぁ?と返されてしまい、色々探したけど理由は分からなかった。弁天様は水の神様だから?

この池は錦鯉も泳ぐ立派なものだった。

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本殿と宗形社の並び的に、弁天様はこの神社でかなり重要な地位の神様じゃないかと思うのだが…境内の案内看板でもサラッと紹介されているだけで、何か残念よ。

この神社が出来た当時は例の文書の内容も偉い人みんな知っていただろうし、霊験豊かな神様を城下に招いて(この場所に元からいたかもだけど)守護神になってもらいたいよねえ?

 

地図上の、諏訪大明神と同じ敷地内の「練光寺」というお寺さんは慶長13(1608)年、祝神社の別当寺(神社に付属して建てられた寺院)となり松代町東条より移築された。

元は蓮光寺という名前で平安時代からあったらしく、

海津城を築いた武田信玄がお城の守護祈願寺として保護

 →慶長13(1598)年移築、このときお寺の名前を練光寺に変える

  →明治24(1891)年火事で焼失(廃寺)

   →蓮光寺跡地に建てられた等覚院が練光寺の色々を継ぎ、等覚院から東光寺に改名

    →現在

という流れらしい。

東光寺は蓮光寺~練光寺時代の文書や仏像を受け継いでおり、中には長野市の指定文化財になっているものもある。そして、このお寺さんには「中条宮 弁財天坐像」という仏像が伝わっている。

この仏像は文化財の指定を受けていないものの、大変古いものらしい。室町時代に遡る佳品で、東光寺への伝来は不明と紹介されていた。底には上田別所などと書かれているそうな。

ちょっと! 名前がまんまじゃないの。

ますます、祝神社が文書のありがたい弁財天様がいらっしゃる(いらっしゃった?)神社じゃないかと疑惑を深めたが。

 

残念なことに、古地図上にいた。

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2つの川の間といえば、間よね…。

↑このあたりが 「中條 諏訪大明神」と地図上に描かれていた場所で、今は何も無かった。お墓があった(中には神道式のようなお墓も)が、そのお墓は文書を書いた宮司?と同じ苗字が彫られていた。

 

地蔵峠に向かう旧道っぽい。

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ちなみに、文中で弁財天が現れたという「多田山」がよく分からなかったのだが、松代町には多田越えという場所があり、現在の象山配水池あたりを言うらしい。離山か象山を「多田山」と呼んでいたのだろうか。ちょっと探せなかったわ。象山には清野氏配下の西条氏のお城がある。

 

やっぱり個人的には中條宮=祝神社だと思うわ。誰か教えて下さい。

 

 

<祝神社>

創建年 慶長3(1598)年

御祭神 生魂命

    健御名方神

    八坂斗売神