生仁館から5分ほどの場所にある唐崎社まで来た。ここから天城山(天城城)まで行けるらしい。天城城はずっと「あまぎじょう」だと思い込んでいたんだけど、実は「てしろじょう」という読み方だそう。山の方は「てんしろやま」と読むらしい。石川さゆりのせい。また、天城城まで行かない(松代側から登った方が近いだろうなーと思ったよ)。
明聖霊神がよく分からなくてスルーしちゃったんだけど、なんか明聖砦とかいう小さい砦だったみたいー。明聖霊神って地域の神様なのかしら? 千曲市の文化財一覧にも名前がなく。御嶽山と彫られた石碑がいくつかあるようなので、山岳信仰とか修験道に関係しているのかしらね? 唐崎城から20分くらいだし、知ってたら行ったのになー残念。
現在地から70分の「分岐点」は鷲尾城方面に向かうハイキングコースとの分岐点らしい。天城山の先は多分、松代(妻女山)に向かうと思われる。
山の最奥には鞍骨城というお城があり、唐崎城(+明聖砦)・天城城・鷲尾城・竹山城は鞍骨城の支城とされている。鞍骨城の主が清野氏という一族らしい。この辺りの有力豪族で、川を挟んだ向こうの領主・寺尾氏と戦った一族。清野氏は、鞍骨城とその支城群を見る限り「寺尾w」って言えちゃうような規模の豪族と思える。弱小豪族(寺尾)が神の加護を得て清野に勝利したことが物凄く嬉しかったんだろう、と思った。本当にあの話は躍動感あって面白く印象に残っているわ。
登山口に唐崎城の由来という説明板があった。
- 唐崎城、または朝日城、藤崎城とも呼ばれる
- 生仁館の本城
- 雨宮摂津守または生身大和守の居城といわれる
- 一説には宇藤摂津守安時がここにいたとのことで、麓を宇藤坂ともいう
- 城の本郭は東西24間(約44m)・南北14間(約25m)
- 二の郭は東西37間(約67m)・南北19間(約35m)
- 六の郭まである
- 腰郭など、東西三方に段郭を三重に設けている
- 自然の地形を利用して堀・枡形・馬出も作っている(一部崩壊?で見られない)
- 城内には井泉跡も2カ所ある(雨宮氏が作ったと伝わる)
- 築城年代は南北朝の末から応永時代、約600年前と推定される
ちなみに、wikiには「生仁城」という名前でページがあった。
ところで、宇藤摂津守安時って誰? この人のことは結局分からなかった。宇藤という苗字の発祥は熊本県(宇土氏後裔)・静岡県(藤原氏後裔)で、どちらもココとの関連性をあまり感じないような? 善知鳥峠っていうのが長野県内にあるが、そっち関係かなー? と思ったが善知鳥峠はココからだいぶ距離があるしなー? 善知鳥峠名の由来見たら、猟師に雛を奪われた善知鳥の呪い的な話だった。捕まえた珍しい鳥(善知鳥)の雛を売るために京へ向かう猟師とその息子を善知鳥の親鳥は追う。彼らが峠を越えていたところ、峠で酷い吹雪に遭い、猟師と親鳥はそれぞれの子を庇って凍死するという内容(この話の続きが能の演目になっているようで、猟師は地獄落ち後も善知鳥に責め苦を受け続ける内容だった。善知鳥は執念深い鳥らしい。どういう鳥か知らないが、むやみに捕まえない方が良いな)。
登山口近くには鳥の巣が密集していた。善知鳥は海鳥なので山に巣は作らないよ。
宇藤さんは善知鳥峠とも関係ないような気がする。何者なんだよ?
整備された道だった。なんか、猫車を押していったような轍が残っている。工事でもやってるんだろうか。
周辺は崩れている?ようなんだけども、今日昨日崩れたような雰囲気ではない。登山道はしっかりしているし。急坂であっという間に登り口が下になってしまった。
更に上がると。
怪しげな何かを見つけた。奥の方の小山っぽいやつ。頂上で木が伐採されている。コレに関しては↓
何かで完全に崩れて数年たっているっぽい。
古い石碑が埋まっちゃっている。埋まっている石碑の文字を想像すると。庚申塔・御嶽参徳心○・奉納百番観世音かな? すぐ近くに唐崎社という神社があり、雨宮の神事では山踊りという行事が行われる場所らしい。
↑この通り、管理をしているのが雨宮坐日吉神社のようだ。御嶽参(御嶽山?)の文字があるし、「山踊り」という行事が行われるし、山岳信仰の何かがあったのかなー? と思った。じゃあ明聖霊神の関係かな。里宮だったとか?
↑唐崎社
春ですよ。
猫車の轍が微妙にある。この道は結構な急なんだけど、奥でどんな作業をしているんだろうな。伐採した木を運ぶとかかな、大変そう。
この辺りから城域かもしれない。道は左に大きく曲がっているけど、真っ直ぐいっても何かある雰囲気(ただし、倒木が折り重なっていて進入出来ない)。多分、今日初めて見つけたちゃんとした郭かなー? 郭らしき平場は荒れていて足の踏み場がなさそうな様子だよ。
竪堀に見えなくもないような…と思ったので、ちょっと見やすい位置まで移動したけどよく分からなかった。
↑郭っぽい? 郭だろうけど、何が何やら…? 唐崎城の内部に入り込んでいると思うんだよ。
ふと見ると、明らかに人の手が入ったと言えるような平場があったよ。
先は怪しい。倒木で行けなさそう。
ちなみに、まだ猫車の轍がある。ここから木か何かを猫車で下ろしていくの大変そう。
鉄塔管理用道も兼ねているようだ。
伐採した木が置いてある場所、郭跡の利用だろうか。最初に見た荒れた郭っぽいもの、段郭に見えなくもないが微妙なもの、そういうのがたくさんある。お城の規模としては大きいような感じよ。
坂を登り切ると、土塁があった。
先ほど横目で「伐採した材木が置かれている、郭っぽいな」と思いながら通り過ぎた平場を見下ろすような格好になった。上から見ると明らかね。
土塁も。
中央の盛り土とそれを回り込むように続く道は二股に分かれている(ように思う)。そろそろ本郭が現れるかもしれない。
尾根伝いに続く道。土塁もずっと続いている。
大きめの郭も倒木で遮られている。
野生の水仙の脇を通っていくと、小高い丘のようなものが見えてきた。
登山道はこの小山を避けるように続いているようだが。
当然、この小山に登るよね!
登った先は平場だった。
端っこには土塁盛っている。
見下ろせば、郭がいくつか見えた。
本郭には水場があるという。
あったー水場だよ!
どういう仕組みなのか分からないんだけど、ここには常に水があるらしい。最初の説明板にあった「井戸」というのはコレのことだと思う。井戸っていうから色々想像しちゃったのに、ただの溜め池じゃないか。
本郭から先にも郭がいくつも見える。先へ行ってみる。道は急な下り坂となっていた。
本郭をスルーして進んでいた道は、ここだったらしい。郭を利用した登山道。
本郭を見上げる。
堀っぽい?
ここから先、道は急激に下っていた。さっきの本郭との出入りの坂道より長く、下って行っている。
ところどころで荷物置き場みたいな、ちょっとした郭っぽいものがあった。
最後まで下っていって、本郭方向を見上げると、こんな感じに↓
本日最大の見所である。
えーと土橋なのかなー?
深めの堀。
そういえば、最初の説明板に一部崩壊?みたいなこと書いてあったなー。
<原文:東西三方に広狭不同の三重の段郭を廻している。地勢に依って堀・枡形・馬出と自然の要害をなしている。(一部は見られない。)又城内に井泉の跡も二ヶ所あり。>
一部っていうか、年月が過ぎていって山の手入れも微妙で伐採と放棄のせいにより、かなり崩れているのかもしれない。この場所だって、本郭から急激に下っている割には堀がイマイチ、浅い。もっとダイナミックでもいいんじゃないー?
この先の明聖霊神の件は知らなかったので、普通に引き返した(絶対そのうち行こう)。
唐崎城は戦乱の舞台になっている。元中4/嘉慶元(1387)年に信濃の国人衆が平柴の守護所や横山城を襲い、守護の軍勢を敗走させた。守護方はこの唐崎城に逃げ込み戦いに。室町時代の応永10(1402)年にも横山城に入城した室町幕府軍に対して信濃国人衆が反旗を翻して、幕府軍がやっぱり負けて、同じように唐崎城に逃げ込んで戦いになった。記録が付けられていないような小競り合いもいくつかあったかもしれない。
このお城が古くからあるのは、すぐ近くに雨宮の渡しという交通の要衝があるせいだとか。昔からある上に戦乱の舞台になりやすい、という特徴があるので拠点として整備しようにもボロボロになってたんじゃないかな、とちょっと思った。400年前の放棄された山のお城でもある程度の防御力を保っているのだってあるしさ。武田信玄さんとかが生きている時代基準でも築城から200年ほど経っている古城扱いだったのかも?
また、天城城と鞍骨城の間に二本松峠という峠道があるらしい。いつ出来たか分からないが、倉科(鷲尾城のある集落、峠へは鷲尾城背後から登るようだ)から松代・清野(清野氏の本拠)へ抜ける道。メインのお城である鞍骨城に向かう場合も二本松峠経由が一番近いようだ。戦略上こちらの峠道の方が重要になったので、そのルートにない唐崎城の価値が落ちてしまい、そんなに手入れしなかったのかもしれない。
本郭の下まで戻ってきた。本来の登山道を歩いてみようと思う。
ここから先、郭が続いているようだ。
大袈裟にいうとL字というのか、本郭が角で2方向に郭群が伸びている感じ(先ほどの明聖砦方向は高低差が激しいだけで距離はごく僅かな長さ)。L字の長い方は雨宮の渡し方向、短い方は鷲尾城方向へ伸びている。
すぐ正面に見える山に鷲尾城がある。
気のせいなのか、鷲尾城方向に伸びる郭達はしっかりしているような? 雨宮の渡し方向の郭達よりキチッとしている風。こちら側には伐採した材木が転がっていないので、雑然・荒廃した雰囲気がないからかもしれない。
右手は本郭がある。
だいぶ高い。
この辺りの雰囲気は悪くなかった(というか、雨宮の渡し方向の郭達がしょぼすぎただけかもしれない)。
また何かの花が咲いてる。
そんな訳で帰りますーバイバイ本郭。
だいぶ下界に近づいてきた。
到着!
★★☆☆☆
本郭の井戸の仕組みが知りたい、湧いている様子はなかったが溜め池のように水が涸れない風だった
<唐崎城>
築城主 生仁氏・雨宮氏
築城年 不明
そのうち明聖砦に行こうと思う…。