去年の秋ごろ、松代城に行った。ここは今放送中の大河ドラマでもおなじみ、松代藩主真田家の居城である。
太鼓門は数年前復元された。ちょっとづつ整備されている感じ。修復された石垣ともともとの石垣の色が違う。
昔、穴太衆の棟梁のインタビューを見たことがあった。棟梁によると、石の声を聞いて積み上げていくとか。どこにどの石を置くかは、石が教えてくれるそうです。いかにも職人ぽくてかっこいいインタビューだった。
鉄砲狭間も。石とかもこの小窓から投げちゃうらしい。
門をくぐると、建物はない。今のところ公園として整備しているようだ。本丸を囲む石垣は一部のぼることができた。
木が植えてある部分は部屋の跡地? 四角く囲ってある。多分なにか意味があるんだろう。
本丸を囲んでいるのは石垣だが、その石垣を囲んでいるのは土塁である。土塁ももちろん遺されている。
復元したのかもしれないけど、個人的には土塁のほうがいい感じでした。どうやら本丸石垣と土塁の間にも建物があったようだ(ここ昔プールとかあったらしいし、今も二の丸跡?にはグラウンドがありサッカーに興じる高校生たちがいた)。
築城主は武田信玄。川中島支配の拠点として、対上杉の最前線の基地として作られている。甲州流築城術という、武田家独特のお城の特徴があるという。敵が攻めてくる所を限定させる構造らしい。この図でいうと北側から攻めさせる感じかなぁ?
甲州流築城術の特徴として、丸馬出しという半円状の曲輪を敵に攻めさせる正面に設けている(丸馬出し、昔目が滑って馬鹿丸出しって一瞬読んでしまったのは内緒)。その丸馬出しの奥に唯一の出入り口を設ける。半円状にすると防御力が高まるのかもしれないけど、その辺はなんとなく、うっすらと分かるような。でも上手く説明できないから深く理解できてないかも。
丸馬出しがあるために敵が攻めあぐねると、敵は城の側面に散らばり堀を乗り越えて攻めようとする。そこへ城から矢を射かけて倒すんだという。
この地図の北側の入り口の先の広場が半円状っぽいし、他三方は堀に囲まれている。典型的な甲州流築城術と言える、ということらしい。
★★★★★
石垣を赤子連れで登るのは心許ない。その他は問題なし。夕方5時に閉門してしまう。
<松代城>
築城年 永禄3(1560)年
築城主 武田信玄
構造 平城