今年度に入ってからロクな目に遭っていない。
色々あるけど、一番最近は「車がボロボロだし車検も間近だし思い切って新車に買い換え♡」ってお店に試乗だの商談だのやっていたんだけど。先日販売店から謝罪の電話来て生産中止と再開未定を告知されてしまったです。ちなみに現在乗っている車も今回の型式認証不正の対象。
こうなったら神頼みだよ!
頥気神社。読めない字の式内社に来た。「いけじんじゃ」と読むらしい。こんな漢字あるのかよ、と思っていたがPCで変換が出来た。あるらしい。神社の場所は松代ICの近く(松代町西寺尾)だが、この地は古く「池郷」「池村」と称していた。長野縣町村誌には「池清水という池があり、そこから池村と称していた。しかし現在は池清水の場所も分からず、恐らく千曲川の中か下河原地区あたりにあったかなー?」と記されていた。
「池村」から改称して「西寺尾村」となったが、村域が変で千曲川を横断した先にも飛び地(篠ノ井西寺尾)がある。池清水はその辺りにあったかもとされている。
池郷及び池村の産土神様なので、主祭神は池生命という池の字が入った神様。健御名方命と事代主命も一緒に祀られている。池(イケ)から読みは変わらずに頥気という表記に代わったが、「頥」は顎という意味の字だそうで、それじゃますます意味の分からない神社になってしまっている。
境内は広い。この周辺は古くからの住宅密集地らしい。集落内の道がとにかく狭い。そして余所者を排除するかのように入り組んでいた。
なんて書いてあるか分からない石碑。道路標識的なもののようにも見える。
こっちは句碑かなー? 地元の俳人「月院社丿左(丸山丿左)」が天保13(1842)年に建てた松尾芭蕉の「顔に似ぬ発句も出でよはつ桜」という句碑らしい。内容は「我が弟子達も皆老いてしまった、あの初桜のような初々しい俳句を詠めれば良いのだが」というもので、凄く有名な句らしい。俳句よく分からないので感想も「えっどういうこと?」しか出てこないが、初心に帰れという戒め的な俳句なのかな?
丿左はこの句碑を建てた記念に俳句集も刊行しちゃったそうだ。この句が余程気に入っているらしい。
古い鳥居の跡。
厳重な雰囲気の祠。古そう。祠は他にもあって。
他の祠は鉄柵に守られていない。
厳重に管理されている祠は何か曰く付きなのかな…? それとも神職のお墓とかかな?
庚申塔とか。江戸時代のもの。
石仏。整然と並んでいるが、この辺りの高速道路やインターチェンジの設置で西寺尾村にあった神様達がこの神社に集められている風にも思えた。近くには「梓水神社」という猿田彦神を祀る神社があったようだが、跡形もない。
この辺りにあったようだが、今は松代インターの建物や周辺の道路で随分地形が変わってしまったようだ。
千曲川の向こう側、現在の篠ノ井西寺尾の旧西寺尾村内にあった赤川神社も同様。
ここ跡地だよって表示があるだけマシかもしれない。同じ村内の頥気神社に集められているだろうなと思うけど…そんな話を載せたような案内板は現地になかった。
松代文化財ボランティアの会HPによると
- 雄略天皇3(459)年に創建(地名の由来となった池清水の近く)
- 主祭神は池生神で、健御名方神・事代主神、後に猿田彦神も祀られている
- 大同元(806)年に坂上田村麻呂が再建(清水畑)
- 承和5(838)年、当時の信濃国司だった源弘が訪れた際に改修する
- 養和元(1181)年、木曽義仲が古川沿いに移転、再建
- 建武元(1334)年、新田義貞が社殿を現在地に移転
- 永禄4(1561)年、川中島合戦により焼失
- 慶長元(1596)年、再建
- 寛保2(1742)年、洪水(戌の満水)により流出
- 寛保3(1743)年、再建
- 文化12(1815)年、火災により焼失
- 文政2(1820)年、再建
という流れだそうで。「清水畑」とか「古川」とか今は残っていない地名のようで、どこだか分からなかった。ただ「古川」に関しては、神田川の隣に2つ小さい川が流れているから「ひょっとしてコレ?」と思っている。
まあ、千曲川のせいで何度も移転していることは確かであるようだ。
主祭神の池生命は健御名方命と八坂刀売命の子と伝わる。なので、お父さんの健御名方命とおじさんの事代主神も祀っているのかな。池生命は諏訪大社の権祝も務めた矢島氏の祖先に当たるし、信濃国開拓の神様としてあちこちで祀られている(池生神社とか)。池生命とその子孫の矢島氏は主に東信で勢力を広げており、真田家や海野氏にも関係していると言われている。
こちらは古峯神社。松代町清野に同名の神社があるが、関係あるのかな?
古社だけあって、ぶっとい木があるぞ!
こちらにも小さいお社があった。畜産神社という。
新しめの神社かな?
本殿に到着。工事をしている。
どうやら神社に隣接している民家の解体工事中で境内に働く車がたくさん来ているようだった。アスベスト置き場が設置されていたり、古い家を強引に壊しているらしい解体現場だった。
こんなところに御神木と水神様。
諏訪系の神様だけあって御柱もあるよ。江戸時代は諏訪大明神と名乗っていたようだ。
拝殿には古代人っぽい人を描いた扁額が掲げられていた。誰? 順当に考えたら池生命さんかな? 何をしようとしているのかな? 説明なしなので謎ですよ。
開拓神の池生命さんに祈りを捧げました。この後、すごーく良いことがありますように。頼みますよ…。
拝殿脇には鳥居があった。
猿田彦神を祀る梓水神社かな?
くぐっていくと本殿も見えた。
昔からあります!! という雰囲気ある。
奥はお社や祠があった。こちらが移転してきた梓水神社なのかな。御祭神が猿田彦神なら赤川神社みたいに本殿に吸収合併出来ないなあ。まあ、厳密に言えば敵だしな。
扁額は掲げられていなかった。
排他的な感じがする。さすが松代、相変わらずだなって思っちゃうわ(観光地になってきたので昔より排他的じゃなくなったというが)。
たくさんの祠があったが、こちらも詳細不明。
あー良いことあるといいな…。
★★★☆☆
境内の太い欅に癒やされたが、解体工事が気になっちゃって長居出来なかった。神様も落ち着かなかったに違いない。
<頥気神社>
創建年 雄略天皇3(459)年?
身内が亡くなり遺産相続で揉めた。疲れたので相続放棄した。「多く寄越せ」と暴れる人が出たなどという良く聞くような話ではなく、もっと特殊な話なのでヨソ様には理解されない。
「ここに実印押して印鑑証明を渡せ! 書類の内容? 遺産の残高? 私も知らん、とにかく早く押せ」と張り切っている人がいる。以前から親と仲が良くないため、余計に拗れている。まずはどこから始めるか話し合いをしよう、手続きを分担しようと言っても「すべて私の仕事である」と取り合わず、「私は忙しいし遺産も大した額じゃないから。ハンコ押せ」しか言わず。そして何故か参戦してくるご近所さん。そのうち私の家族を敵視し始めたので切ったよ。
スッキリした!! しかし今後もヒステリー起こして面倒事ばかり押しつけてくるんだろうなと気持ちが晴れない。ストレス酷かったわ。黙って実印押せば良かったのかと愚痴ったが、「それやっちゃ絶対駄目なやつだから」と家族に慰められた。