また新潟に行かされた。お目当ては↑これ。コラボやってて、レストランもすみっコぐらし限定メニュー出していた。ねこのカフェオレ、異常に美味かった(これは限定メニューにすべきじゃないだろ…その辺のファミレスとかで飲むカフェオレよりずっと美味いと思った)。
上越市は相変わらず長野県内ナンバーだらけだった。お目当てが水族館のすみっコぐらしのみだったため、水族館の仲間達には見向きもせず。
ペンギンの子供が寝ていても興味なし。
何しに来ているんだろう…と思ったが、考えてみたら「すみっコぐらし目当てで来ているので、すみっコぐらしの展示物以外は見ない」が子供の正義なのかもしれない。正しいか別にしても筋は通っているな。
夏休み期間中は私の修行期間にもなっている。撮りだめしたアニメが見られない(今なら逃げ若など。異世界スーサイドスクワッドとか一緒に見ることはあっても、途中なのに推しの子を急に見始めてイラッとすることもある)、YouTubeを見るために私のスマホを持って逃げる(下ネタしか言わなくなった時期があって私はどぶろっく観賞を自粛)等、気持ちを強く持って誇り高い人生を送らなければならない! みたいな僧侶気分で過ごしている。アニメとかYouTubeとか、贅沢は敵なんだよ。と言い聞かせる毎日。
すみっコぐらしの為にここまでやってきたが、すみっコぐらしを楽しんで終わりとなると時間が短すぎる。「海は臭い」というので海水浴の用意はしていないし、とりあえず直江津のレールパーク行く(レールパークは元旦の大地震の影響で営業日が極端に少なくなっていた)か港へ行く(直江津港は何もない)か…などとマップを見ていたが。
実は御館公園が水族館のすぐ近くだったことに気付いてしまった。
御館は高校生ぐらいの頃に「一度見に行きたいなー」と思っていた場所。どの辺か探した事あったけど、まさか水族館と近い場所にあったとは…30分で戻るから行ってもいいよね!! と家族に強引に承諾させて、御館まで走った。
水族館から御館まで徒歩なら15分くらいだった。
住宅街の真ん中にある。
「五智」という地区には五智国分寺があるし、隣接している「国府」地区は大昔に越後国府があった場所だろうし、日本最古の城とされる渟足柵と次に置かれた磐舟柵はここから先の新潟市や村上市にそれぞれあったとされる。最前線に近いがちょっと後方なで安全かなという絶妙な位置であり、敵に邪魔されずに都とやりとり出来る。後に建てられた越後国分寺も上越市内でないかと推定されているし(後継の五智国分寺は上越市内にある)、越後国一ノ宮を称する居多神社も上越市だしな。越後国の中心地であったことは推測されている。
そんな上越市に御館が出来たのは、戦国時代だった。
公園整備されている部分はごく僅かで、本当はもっと広かったらしい。
そりゃそうよね、越後国の政庁だった建物だし。
土塁のような盛り上がりもあるが、関係ないと思う。なんだろうね、水捌けのためかしら?
海から近いしね。
どこにでもあるような住宅地の公園。真夏で暑かったため公園内もおじさんが一人いたぐらい。
この場所は地元民でも特別感がある場所? 観光名所にしたい場所? のようで、いくつも先に挙げた案内板たちの他にも石碑や説明板が建てられていた。
この場所はどちらかというと私のような某小説のファンだった人達が聖地巡礼でふらっと立ち寄る場合が多いんじゃないかと思う。城好きなら春日山行くだろうしな。案内板に「JR線路」とあることから、平成27(2015)年より前に設置されたものだろうか。
これらの石碑・案内板たちの話を総合すると、
- 天文21(1552)年、関東管領上杉憲政が北条氏康との戦いで敗れ、平井城も落城。越後へ上杉謙信を頼って落ち延びる
- 上杉謙信は受け入れ、ここに上杉憲政の館を建てた
- 「関東管領職」「山内上杉」を謙信に譲り、謙信はこの場所を政庁として使用する
- 御館は古地図から、二重堀に囲まれた東西250m・南北300mの大きさと推定される。中心の郭は東西120m・南北150mの規模で御館公園の六倍の広さ
- 発掘調査が40数年前に行われた
- 天正6(1578)年に上杉謙信が亡くなった後、有力な養子(後継者)である景勝・景虎2人がおり争った御館の乱が起こる
- 景勝は春日山城、景虎様は御館を拠点として戦うが、天正7(1579)年に御館が落城し、妙高市の鮫ヶ尾城で景虎様が自殺。ちなみに上杉憲政は御館の乱初期に死んでいる
- 発掘調査では、武具など見つかる。歪んだ銃弾も発見され、これは実際に御館の乱で使用されたものだとされている
発掘調査が行われた40数年前というのは、具体的には昭和39年から3年間行われた調査のことらしい。調査では戦争の跡っぽい遺物の他、かんざしなども発掘されたようだ。一番多かったのが陶磁器類で、中でも越前焼と珠洲焼が最も多く、日本海を渡って船で交易していたからだという。
越前焼は福井県で焼かれた焼き物。平安時代末期に窯元が出来たらしい。常滑焼の流れを汲んでいる。明治時代に一旦途絶える。
珠洲焼も石川県で平安時代末期に窯が作られたそうで、こちらは戦国時代に突然途絶えた真っ黒な焼き物群らしい。近年復興されたが、元旦の地震で壊滅的な打撃を受けたという。
御館は弘治年間(1555~1558)に上杉謙信が建てたとされている。
御館も明治時代までは土塁と堀が残されていたそうだが、北陸本線建設用土砂として使われたらしく、序でに堀も埋められてしまったようだ。太平洋戦争後には住宅地となってしまったそうな。
この周辺には御館の他にも越後守護の上杉氏館(至徳寺館)や小規模な館が点在する地域らしいが、同様に住宅地の下に埋もれている。ちなみに至徳寺館は越後国衙があった場所とも言われている。
本当にただの公園だったよね。
戻ってきて、家族に「どうだった?」と聞かれたので「いや実は茂みの中でこんなことが…」こんな写真↓を見せた。
爆笑してた。そりゃ私の子供も下ネタだらけになるよね!
★★☆☆☆
面影ないが、公園としては良い感じ。整備も行き届いているし。
<御館>
築城年 弘治年間(1555~1558)?
築城主 上杉謙信
すんごい自慢したい。ここでご飯食べた。
ぼーっと夜景見ているだけで時間が過ぎちゃったよ。遠くで花火上がっているしさあ。
もう二度と来られないわね。
正面の亀甲模様の飾り?みたいなのが室内のテーブルにもあった。