昔の東福寺村にあったから「東福寺神社」というみたい。村の中心が東福寺というお寺だったとか? 東福寺なかった。
大昔には存在していたそうで。養和元(1181)年の横田河原の戦いで、東福寺という寺が燃えてしまい以後再建されず。ただ地名として「東福寺」が残っているらしい。
東福寺観音堂に安置されている観音像が東福寺の御本尊だったと言われている。
十一面観音像で池田宮(現在の東福寺神社)にあった樅の木で行基(668~749)が造ったとか書いてあった。
まだ新しいお堂で、物凄く良い匂いを漂わせていた。
東福寺村は千曲川のほとり(横田河原にも近い)にあるため度々氾濫していたようだ。
去年の台風19号(正式名称・令和元年東日本台風)も近隣の小森地区や横田地区、対岸の松代町や千曲市雨宮も氾濫。昔から氾濫しやすい場所は変わらないようだ。
氾濫しやすいので土壌が豊からしく、物凄く昔から人が住んでいる地区でもある。東福寺神社も古いのか? と期待したがこちらは新しい。明治40年の内務省訓令で村社合併しろというお達しがあったようで、明治41年に東福寺村に散らばっていた4つの神社を合祀して新しく「東福寺神社」を創建したそうだ。
現地の案内板には、各地区の村社をまとめたとあり
を合祀したと書いてあった。
訪れた当日、神社の境内に氏子さんたちがいて少し話をした。で、東福寺神社のチラシをいただいた。そこには、
の4神を祀っているとあった。看板の内容とは御祭神が変わっている。明治時代の古地図では東福寺村内に「池田社」「南宮社」「鹿島社」「勘助宮」「伊勢社」の5社があったようだ。伊勢社は現存している。池田社だった場所に新しく東福寺神社を創建。
勘助宮跡地には来歴を示す石碑があり、そこには「北小森集落の氏神・健御名方神を祀る諏訪社があった」「明治期に東福寺神社に合祀された」とあった。
美濃国一宮に南宮大社という大きな神社があり、その神社の御祭神が金山彦神だった。そこから勧請したのが南宮社という説明がいただいたチラシに書かれていた。猿田彦社は…ちょっと探したけどなかったです。勘助宮(諏訪社)の摂社だったのかも? 東福寺神社は4社合祀だけど3/4は健御名方神だしね。
各神社の摂社が集まってる。
御神木もあった。ボロボロだったが、葉っぱを生い茂らせている。
この日はお祭りだったようだ(台風災害除けを願う祭日)。だから氏子さんがいたのね。
★★★★★
長野オリンピックスタジアムの横にあり、南長野運動公園の氏神様であるそうだ
<東福寺神社>
創建年 明治41(1908)年