お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

松代城の総構え+寺社

松代城は総構えというカッコイイ防御システムを持っていた、ということを最近知った。今まではちんまりとしたお城というイメージしかなかったの。

総構えとは、お城と城下町の周囲を土塁と堀で防御して町ごと全部守っちゃおう、というもの。ヨーロッパだと石造りの高い城壁で取り囲み、お城や街を守る。中国はそれより凄い、万里の長城という壮大な防御壁がある。しかし日本だと土塁と空堀で防御、海外と比べたら見た目の印象がちょっとイマイチ。なんか原始的というかね…。

「総構え」で一番有名なお城は小田原城だと思う。とにかくでかい。小田原市すべてを守ってくれる規模だそう。総延長9キロ。

最古の総構えは南北朝時代に築城された伊丹城有岡城)というが、総構えの歴史はそこまで古くないようだ。天正2年に織田さんの家来やってた荒木村重さんが改修したときに総構えを作ったみたい。このとき、日本初の天守閣も作ったそうだ。

 

今、松代城の総構えが残っている場所は2か所。

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ひとつめは「寺町」。文字通り、お寺密集地。

慶長年間は1596年~1615年で、このあたりの支配者は上杉景勝豊臣秀吉→森忠政(蘭丸の弟)→松平忠輝(家康6男)と代わっており、このあたりの皆様でゆっくりと城下町を作り上げていったのかもしれない。

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こんな感じの場所。まずは證蓮寺。

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 ここの墓地の南側に、土塁が残されている。通り過ぎる。證蓮寺のお隣には大林寺というお寺さんがある。

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ここは、元和(1622)年、真田信之が上田から松代へ移封したときに、母・山手殿のお墓がある大輪寺から母の霊を分霊してもらい、松代に建てたお寺。家人に上記を説明したら「はぁ?」と言われてしまったが、「大泉洋が建てた、高畑淳子を供養するための寺」って言ったらすんなり理解してもらえた…。

ここの北側に松代城の総構えの土塁がある。それが證蓮寺と大林寺の境界かと思ったら。なんと證蓮寺と大林寺の墓地は境界を示す柵がなく、行き来できちゃうのだぁ。

↓左に見える白っぽい屋根:證蓮寺、右の林の合間に見える黒っぽい屋根:大林寺。

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さすがに墓地の写真は無理なので。おうちに帰り、5分で描いた絵↓

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石垣が総構え跡と思われます…。ブロック塀は総構え跡の上のお墓を囲ってるやつです。この周りもすべて墓地なので、何が何だか分かりません。墓地をうろついていると門が。

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進んでいくと、證蓮寺の本堂がありました。ちょっと最初戸惑いました。

 

元々の松代城は、この辺一帯の領主様の清野さんの館だったそうで。清野さんは村上さんの家来だったのが、武田家の信濃侵攻で武田さんにつくことにした。そのときに屋敷を武田軍に接収されてしまったそうです。武田さんは奪った館を改造し、出来上がったのが松代城。屋敷を取られた清野さんは現在の大英寺あたりに新しく館を作ったとか。ちなみに大英寺は小松姫菩提寺です。

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大英寺は現在改修中。

大林寺と證蓮寺と同じく、大英寺とお隣の本誓寺も墓地がつながってた。

 

寺町は地蔵峠という松代と昔の真田町をつなぐ峠道の入り口に当たる。城下町のお寺さんは有事の際は砦みたいな機能を果たすので、墓地を地続きにしちゃうとか、こんな変わった構造にしたのかも? 大林寺、大英寺ともに松代藩から手厚い保護を受けていたそうです。しかし総構えは城下町の人口増で邪魔になったとのことで、あっさり壊されてしまったようです。 

 

松代は城下町の各屋敷の庭に水路(水道)を作ったという、ちょっと変わった特徴がある。泉水路という名前のその水道は隣の家からまた隣りへと、個人宅の敷地内を流れてずっとつながっている。上流域の屋敷の庭で水路を詰まらせると、水が流れてこない下流域の住人たちが当該住人を吊し上げる、ということもあっただろう…みんな自分の家を流れる泉水路を一生懸命掃除して綺麗にしただろうね。そんなこんなで、今でも松代は水がとてもきれい。

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沢蟹まで住んでいる(この子はうっかり水路から出てしまい、夏の暑さにやられてあの世に行ってしまったようだ)。泉水路は現在でも稼働中。去年だったか、その前の年か、泉水路を初めて一般公開(普段は個人宅の庭先を流れているものなので、もちろん非公開)したとか聞いた気がする。小学生のころ、城下町から歩いて10分くらい離れた住宅地で蛍を見たが…今でも見られるのかしら?

 

総構え、もうひとつは長国寺にあるという。

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ここは真田家歴代藩主のお墓がある。あと、城下町の端っこにもあたる。長国寺の裏側に残っているらしい。奥の方は(大人の事情で)見に行かなかった。

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↑こんなバスがあったよーイラストの人物は誰なのかしらー?

 

★★☆☆☆

気づくとお寺めぐりしてた!!

 

松代城 総構え>

設置年 江戸初期

 

 

その他見た場所。

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佐久間象山が蟄居した聚遠楼跡。安政元(1854)年にお弟子さんの吉田松陰さんがアメリカへ密入国をしようとした事件のとばっちりで蟄居。

 

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蓮乗寺。お祭り(8/8,9の二日間)があったらしい。七面さんこと七面大明神さんの縁日。ちなみに七面大明神七面天女)は日蓮宗の神様。法華経を守護する女神様だそう。

 

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↑祝神社

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↑宗像社

祝神社、通称・お諏訪さん。その名前の通り健御名方さんを祀り、御柱やってる神社。が、主祭神は生魂命さん。元は東条の山の上にあった(その旧跡は「祝畑」と呼ばれているようだ)。

歴史はとても古く、延喜式内神社であるという。実は延喜式に載ってた「祝神社」とは屋代の須々岐水神社のことだという話もある(この神社もけっこうでかい)。須々岐水神社は中世に別の名前を名乗っており、松代にあった諏訪大明神の神社(現・祝神社)に「名乗っていいよ」と許可を与えたという。名の件はともかく、東条にあった旧宮も創建年代が伝わらないほどの古さであった。

慶長3(1598)年に東条から生魂命を、海津城松代城)の二の丸から健御名方さんと奥様の八坂斗売さんを、現在の神社に合祀したんだそうな。この当時は「諏訪大明神」と呼ばれていた。宝暦元(1751)年に祝神社に改称。

諏訪の神様たちは、天文22(1553)年に武田さんが改修した松代城内に勧請したもの、と伝わる。清野さんの館を接収したのは、この年なのかしら?