GWは、前半からバタバタと家族が体調を崩すという怪異に遭った。私だけ寝込まなかった代わりに、歯の詰め物が取れた。そんなこんなで忙しく、結局何処にも行けず。さすがに苛々して手が震えてきたので強引に出かけた(とはいえ、雨の日だったので近場で終わった)。
領家皇太神社という神社。御祭神は天照大御神だそうな。平安末期から伊勢神宮外宮が領する長田御厨(保科御厨)があったそうで。その関係なのかしら。
村の鎮守という感じがする。
この神社の隣の川田小学校・認定こども園川田の下には昔、川田氏の館があったそうだ。
川田氏は古い時代から住んでいた豪族で、建治元(1275)年の文書に川田次郎という人物の名前が出てくるようだ。この辺りを治めていた井上氏の家来から鎌倉幕府の御家人となり独り立ちを果たしたものの、完全な独立は出来ず井上さんの影響を受け続ける。文明19(1487)年には地域の支配者としての名前が消え、明応・永正年間(1491~1504)には井上氏から村上氏の支配下に。天文22(1553)年に村上さん達と一緒に越後に逃げて、上杉さんの家来になったそうだ。
平成11(1999)年に川田保育園(現・認定こども園川田)の建築に伴い発掘調査が行われたらしく、建物跡が見つかったとか。館跡は小学校の敷地も含まれていて、発掘出来たのはごく僅かな範囲。
残念そうな雰囲気漂う調査報告書を読んだ。建物跡は見つかったものの、今回決定的な証拠が出てこなかったようなのだ。昔、川田小学校の校舎を建てたときにも「何か出てきた」という話が残っていない。ただ、堀跡とか中世の館によくあるタイプのカワラケ(土器)とかあったんで「川田氏館跡」という認定はされている。でもちょっと不安なの。という感じで結ばれていた。
昭和13(1938)年の資料でも「土塁なし・堀跡なし・耕作地で居館跡を示すようなものなし」と書かれているようなので、随分昔に遺構は消滅してしまったようだ。
神社から小学校敷地方面の山には川田氏の居城ではないかと言われている古城(川田城)という山城があるという。しかし古城は天文年間(1532~1555)に武田氏が築いたとも言われている。どっちなんだ。川田氏が地味な存在過ぎて地元の伝承も残されていないのかしら? 調査報告書にはごく短い期間だけ館がおかれたのではないかとも書かれていた。つまり、川田さんは登場してからアッと言う間に衰退した弱小豪族ではないかと。名前が残っているだけマシということなのだろうか。
★☆☆☆☆
何もないです
<川田氏館>
築城年 不明
築城主 川田氏
構造 平城
謎の電車いた。朽ちてぼろぼろ。