昔よく見に来ていた聖博物館がリニューアルした。平成24(2012)年と平成26(2014)に行ったようだ。
昔、雪が降る猿ヶ馬場峠を6人の旅人が歩いていたが、道を踏み外し聖湖にドボンして死んだ。不憫に思った村人は道標兼供養塔として6基の地蔵を建てた。という内容の案内板があった。
外の公園は無料で入り放題。
ここには他にも石仏がいらっしゃる。
↑なんて書いてあるのか分からない石碑。村境碑かなー? なんか埋まっちゃってない?
↑井戸?
馬頭観音とか。
峠にはたくさん石碑がある。多ければ多いほど難所だったんだろうな、思う。元は別の場所にあったようだが、すべて博物館の敷地内に移動させてきているらしい。
外には飛行機さんたちがたくさん!
↑F86セイバー
1944年よりアメリカ空軍が開発を始めたジェット戦闘機。1947年初飛行。1950年代以降世界中の空を飛び(もちろん日本にもいた)、朝鮮戦争で活躍し、その後は空対空ミサイルを配備した機体が成果を上げたので9860機も生産された名機だそうだ。日本では1955年より配備され始め、航空自衛隊主力戦闘機として435機も運用された。愛称は「旭光」。ブルーインパルスとかで使われたらしい。1982年退役。
前は乗れた気がする。さすがに劣化酷すぎてカバーかけたんだな…。
↑T-34 はつかぜ
レシプロ機。Tが示すように練習機、しかも航空学生が初めて乗る飛行機らしい。1948年初飛行。コレをベースに改良していった練習機が国産されている。現役はT-7というタイプで2003年から。今はターボプロップエンジンを積んでいるようだ。
軍艦陸奥(主砲のみ)。
この軍艦、戦時中に謎の爆発で沈んだ後、戦後引き上げられ日本各地で部品が展示されているみたい。こんな山奥にも一部運ばれた。ここまで運ばれたいきさつが書かれていた。
- 戦争で日本国土のすべてが悲惨な不幸に遭ったが、その代表の一つが戦艦陸奥の爆発
- 原因不明(人為的と結論づけられた)で爆発し、乗員1221名が艦と共に瀬戸内海に沈んだ
- 27年後に変わり果てた姿で引き上げられた
- 戦争の犠牲は繰り返してはならぬ、戦争が起きなければ目にすることはない悲惨な事実を「戦争を起こさない平和を願う象徴」としたい
- 戦艦陸奥の主砲を展示すること=悲惨な事実=平和を願う象徴
- また、戦艦陸奥は我が国の造船技術の粋を集めた世界最強の軍艦のひとつ(当時は戦艦ビッグ7のひとつに数えられた)であり、技術の結晶である陸奥の一部を展示することで我々の技術を誇りたい
ということらしい。
陸奥は長門と交代で連合艦隊の旗艦となっていたし、ワシントン海軍軍縮条約で問題視されたとかいう戦艦でもあるため当時は知名度が抜群であったらしい。私のような者ですら長門・陸奥は聞き覚えがあるしねー。
軍事技術が民間転用されたものなんて山ほどあるし(むしろ軍事と一切関わりなく開発されたものは存在しなさそう)、軍事関連排除すると生活出来なさそう。多分、陸奥を造ったときの技術は今もどこかで役立ってるんじゃないかなー。
最後に「平和を欲するならば戦争を理解せよ」というリテルハートという人(バジル・リデル=ハートのことかなー? ナイトの称号を持つイギリスの軍事評論家)の言葉で締めくくられていた。リデルハートは「間接的アプローチ」という戦略を提唱した人として知られるらしい。これは、武力を行使し正面から敵とぶつかるのではなく、経済封鎖したり物資の輸送を邪魔したり兵站や指揮系統を壊したり、武力衝突以外のあらゆる手段で相手を弱体化させ、戦争をせずに勝つ方法のことのようだ。現代的な感覚・考え方に近い感じなのかな?
↑Fー104 スターファイター
説明板には「この飛行機はマッハ1.5級の某国爆撃機を迎撃する目的で開発されたマッハ2級の要撃飛行機である」と書いてあった。某国かあ。ちなみに、使用国として「西ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリア、カナダ等」とあった。察して欲しい、というやつか。つまり「マッハ1.5級の某国爆撃機」=MiGー15なのね。
1954年初飛行。F-104を開発したアメリカではあまり使用されずに西側諸国メインで配備されていって、2004年のイタリア軍で退役を迎えた。一方、MiGー15は運用中かも(北朝鮮)というところ。
製造はロッキード社で、展示機体は日本国内でライセンス生産されたものだそう。自衛隊でも1961年から計230機導入したけど事故が起きたりで、1974年には後継機選定作業が始まる。1986年退役。後継機のF-15Jは1981年配備で近代化改修されつつ現役だってさ。
その後はこの機体はアメリカに返還されたり、バラして他の武器にされたり、「標的機」として無人化改造された。「標的機」は1997年に最後の機体が撃墜。これはこれですごい一生だわ。
エンジンは抜かれていた。屋内展示されていた。
↑D51 蒸気機関車
ひっそりとこんな奴までいたよ。
昭和11年、国鉄の技術の粋を集めて誕生したそうで。計1115両の、日本における機関車の形式で最も造られたタイプだそうだ。
このD51ー769は昭和18年生まれ。東北本線→北陸本線→中央西線と走って昭和47年使用停止。当時の金額で400万円余りをかけて、麻績駅(聖高原駅)からこの場所に安置された。麻績駅からは随分離れているが「どうやって持ってきたか」については屋内展示に答えがありました。
この機関車も運転台まで覗けた気がする。この機関車にATS表示灯がついておりドン引きして鉄道マニアに話したところ、昭和40年代なんて普通にあったよATSって返された。どうやら、昭和41年に国鉄全線でATS導入されたようだ。どうやって電源取っているんだ…と思ったら発電機(タービン式)もバッテリーも積んでいるんだそう(前照灯とかでも電気必要みたい)。水と石炭だけで引退まで動いていたような、超アナログなイメージしかなかったので、蒸気機関車に申し訳ないと思った。
麻績駅のある篠ノ井線は昭和45年まで蒸気機関車が走っていたようだ。その年ディーゼル機関車が配備されたらしい。こちらも「科学と技術の変遷を探求する教材として」と書かれていた。
他に何か(Cー46らしい)のコックピットだけあった記憶があるんだけど、なくなっている。
室内展示にも行った。
ミニ博物館になっていた。なんと、中身は「善光寺街道と信仰」みたいなテーマで統一されていた。以前の雑多な雰囲気がなくなってしまい、すっきりした品行方正な優等生風になってしまった。昔はホルマリン漬けのケースや剥製が並び(これはおそらく麻績小学校で使われていたモノだと思われる)、村内の家々から寄付されたであろう昔の生活用品が並び、ごちゃごちゃしていた。航空博物館はパイロット候補生の教科書や細々したグッズが展示される一方、JALの昔のスチュワーデス制服だとかパラシュートとか訳分からんものがたくさんあった。それがないんだけど…あれが良かったんだけど…。
現在は仏像が多い。小さい仏像が凄い数並んでた。仏像を趣味で彫っていた人の作品だそうだ。一部しか展示されていないということだが、それでも大量だった。
あとは「信濃三十三観音霊場」の紹介で、その中のお寺さんをいくつか行ったことがあったね、ぐらいで終わる。さくっと見て回れる程度だった。12月から冬季休館に入るからと折り紙作品を色々とお土産で頂いた。
帰りに受付のお姉さんに話を伺ったところ。
- ホルマリン漬けとかはどこかに仕舞ってあると思う
- 軍関係は自衛隊にお借りしていたので返したと思う
JAL関係は聞かなかったが…こちらも返したのだろうか。軍関係のは充実してたんだよ、そりゃ自衛隊だって欲しいかも。JAL関連も然り。ホルマリン漬けだって欲しい博物館はあると思うわ。
お姉さんはこれ以上詳しく話したくなさそうだったが、昔の展示物の所在は訪問客からよく聞かれているような雰囲気。特にホルマリン漬けは「子供に見せたかった」という人が結構いるんで、と言っていた。昔の小学校にはありがちだったかもしれないが、私の小学生時分は学校で見た記憶が無いわ。
その後はランチですよ。
S660は路駐だが、運転者がインスタ映えを狙ってあらゆる角度から車の写真を撮っていた。我々がその姿を眺めていたことを気付いていない。ここ景色がいいしね。
子供は「そばを寄越せ」しか言わないので、メニューに悩むことがない。ネットで見かけたビーフシチューが食べたかったが現在はメニューになく。オススメのシードルで煮込んだロールキャベツを食べた。
聖湖は物凄く寒かったのに釣り客がいっぱいいたよ。
★★☆☆☆
前が良かった…
<聖博物館>
開館 昭和40(1965)年