お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

長谷寺

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行ってきた↑ 日本三大長谷寺のひとつだそうな。

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物凄く古いお寺さんで、仁王門までの真っ直ぐな参道があって。古そうな杉並木の区間もあり、雰囲気は非常に良かった。仁王門は安永4(1775)年に造られているそうだ。この門の近くに車を置いて、付近を散策するお爺さんも居た。ココだけでも相当雰囲気いいしねー。本来なら仁王門をくぐってゆっくり本堂へ向かうべきなんだろうけど…面倒だから車で上まで行っちゃったよ。

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↑本堂下の階段に来た。

「南無大悲観世音菩薩」と書かれた石柱があるが、このお寺の御本尊は十一面観音。平安時代に造られたとあった。秘仏なので見ることは出来なさそう。

階段を上ると、こんなのがあった↓

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霊場御砂踏場とあった。なんと全国260カ所の観音霊場から小石を持ってきて、この場所に埋めてあるという。踏んでお参りすると、そのまま260カ所の霊場でお参りしたことになってしまう優れもの。

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御砂踏場からまた階段を上っていくと、鐘楼門があった。享和2(1802)年に造営。平成18(2006)年に改修されており、確かに古さをあまり感じない。

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↑こちらは本堂。

 

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観音堂、こちらも平成18(2006)年に改修されており綺麗。元の建物は正徳3(1713)年に再建されたみたい。

 

そもそもこのお寺さんは舒明天皇9(637)年創建と伝わり、なんと善光寺の創建年と伝わる皇極天皇3(644)年より古い。奈良の長谷寺から十一面観音を勧請し、お寺が出来たらしい。ちなみに、奈良の長谷寺は寺伝では朱鳥元(686)年、実際は奈良時代(710~794)の前半に創建と推定されているらしい。勧請先のお寺さんより創建年が古いとか意味不明。

 

創建の経緯として

  • 允恭天皇の子孫で白助という男がいた
  • 彼の祖父の代に信濃に移り住み(流刑?)、以降一族は貧乏暮らし
  • また白助は両親を早くに亡くしている
  • 白助は両親の供養のため、千日間清めの湯を沸かす&卒塔婆を千本造るという誓いを立て、それを達成させた
  • しかし、供養の方法が分からず善光寺に7日間通い祈ると、僧が現れ供養を請け負ってくれた
  • 僧は「奈良の長谷寺に行け、そこで現世と来世の幸福などを祈ってこい」といい、千日沸かし続けた風呂に入ると阿弥陀如来に変化→いい匂いを残して消える
  • 白助は言われた通りに奈良へ行くが、長谷寺がない(まだ出来ていなかった)
  • 仕方なく山の中に入り込むと光を放つ場所があったので、そこに留まり3年間祈りを捧げたりした
  • すると十一面観音が少年を従えて現れる、少年は「この観音様を崇拝すれば願いは叶う、明日山を下りて最初に出会う女を妻にしろ」といって消えた
  • 白助は夢から覚め、すぐ山を下りたところで少年を連れた女と出会う
  • 訳を話して求婚すると、女は二つ返事でOK、そのまま故郷の信濃国更級へ連れ帰る
  • 妻はかなりの美人で性格もよく、土地を治める領主(蘇我氏)が妻の噂を聞き、白助に「勝負に(領主が)勝ったら妻を差し出すように、その代わり白助が勝ったら大金をやる・地位をやる」と持ちかけてきた
  • 二番勝負は白助が2勝、金と地位を手に入れた
  • コレに感謝した白助は両親の供養もあり、十一面観音像を造り、長谷寺を建てた
  • その9年後、妻はいきなり「私は瀧蔵権現である、奈良に帰る、このことは他言無用」と言い左腕を遺して消える
  • 奈良から妻と一緒に連れてきた少年も「私も神様、人に言うな」と言って消えた
  • 白助が造った十一面観音像の左腕が無くなっていたので、妻の左腕をはめたところピッタリだった
  • 白助には5人子供が居り、子はそれぞれ1万石づつ遺産相続した
  • 白助は五万長者と呼ばれた

奈良の長谷寺の十一面観音は創建前にいいことをしていた! というお話らしい。奈良の長谷寺はこの件から100年後に創建、となっていた。また善光寺は存在している設定。奈良の長谷寺の創建縁起については信濃長谷寺は一切関わってこないみたい(日本三長谷の奈良と鎌倉、御本尊が同じ木から出来ていると紹介されていていたが、信濃についてはスルー)。

十一面観音は頭に11つの顔をつけている観音様で、現世利益をもたらすということで奈良時代から人気の観音様なんだそうだ。

 

鐘楼門から観音堂の間は庭園・芝生になっていて、広い。

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さっそくお参りに。

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観音堂から見下ろすと、とても綺麗だった。

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十一面観音というか、観音菩薩観音菩薩は色んな姿に変化するらしく、33種類の姿を持っているらしい。十一面観音はそのひとつで、頭につけている11つの顔のうち一番目立つ正面には阿弥陀如来がついている。基本形は聖観音)は阿弥陀如来善光寺の御本尊)のお付きの菩薩らしく。それでこちらのお寺さんの縁起に善光寺が絡んでいるようだ。阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩勢至菩薩で、この二尊の前世は無人島に捨てられた兄弟だったという。ちなみに阿弥陀如来の前世が兄弟の実母で、その関係で阿弥陀如来に従っているらしい。兄弟の父親は生まれ変わって釈迦如来になったとかで、つまり阿弥陀如来と釈迦如来は元夫婦になるようだ。凄い世界ね。

 

観音様にお参りの後は、観音堂の後ろ側にある霊場や長谷神社の方へ行ってみた。

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裏手は急斜面で、なかなか厳しい。

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↑長谷神社(上社)

長谷神社は延喜式内社だそうで、やはり古い神社。

長谷神社下社は長谷寺境内ではなく、麓の集落にあるらしい。また、上社と下社では御祭神が違い、上社は聖大神、下社は健御名方神事代主神だった。上社の八聖大神は「はせのおおかみ」とも読むらしい。この神様は神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛(事代主神の娘ともされる)の子で、初代科野国造の神八井耳命だという。また、この神様はこの地を治めていた「五万長者」の祖であるという。

寺伝に出てきた白助こと五万長者がこんなところにも出てきた。寺伝とは内容がだいぶ異なるものの。

 

延喜式内社の「長谷神社」とは現在の下社を指すらしい。長谷郷の産土神諏訪大明神だったそうで。上社が統治者の氏神・下社が産土神ということらしい。元は別の神社だったが天保7(1836)年に吉田家から上社・下社あわせて「長谷神社」と称するよう命じられたそうだ。

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↓境内案内図

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全部は回れないなー。この他にも康楽寺の開基の西仏のお墓がある。自分のお寺に墓がないとか何故なのか。西仏が軍師をつとめていた木曽義仲軍が横田河原の戦いの時、長谷寺も戦火に巻き込まれ焼失したと言われている。

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あとはこんなものも↑

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30分登ればあるらしい…また今度。

山門の方へ下りていくと、「開基殿」という建物があった。白壁の蔵のような造り。壁は落書きだらけ。

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酷いことするよねーなんて話していたが。

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明治6年だとー? 

 

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↑蛇杉

子供がこの蛇杉の前で太極拳みたいなのを急にやり始めた。何を感じ取ったのだろう、怖い。

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長谷寺を後にした。

 

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近くの古墳も見てきたよ。鶴萩古墳という名前の古墳らしい。

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入り口開いてるから盗掘済みなんだろうねー。この古墳、非常に古墳らしい綺麗な形をしている。

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出かけたのは二月下旬だったのに、花が咲いている。春が来るのかー。

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いかにもな見事な古墳なので、つい嬉しくなり写真を撮りまくってしまった。

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さすがに、この中に入る勇気はなかった。昔読んでいたマンガで、古墳に閉じ込められその内部に蔓延していた古代ウイルスに感染した双子が超能力で云々というのを思い出しちゃった。アレとにかく登場人物が殺されまくって面白かったんだけど、とりあえず閉じ込められる嫌だしなー。

6世紀後半築造と推定される円墳らしい。古墳時代後期にありがちな横穴式だそうで、この鶴萩古墳は横穴式石室(玄室・羨道)と墳丘がほぼ完全に残っている素晴らしいものみたい。墳丘はこの地方独特のもの(地元の石材と土砂を使っている)、分類としては土砂混合墳というらしい。入り口にもかなり大きな石が積み重なっている様子が見えるが、内部もこんな感じの石で構成され、最奥には一番大きい石(2.3m×2.7m)が置かれているらしい。天井も五枚の巨石が載せられているそうで…絶対古墳って宇宙人が関わっていると思う。地球人が宇宙人に教えてもらった技術で造られていると信じてるわ。とにかくシュメール人は宇宙から来たと頑なに信じています。

 

古墳でウッキウキになったの、私だけだった。満足したので帰った。

 

★★★★☆

古墳が最高だった。

 

 

長谷寺

創建年 舒明天皇9(637)年?

康楽寺

家に物凄く大きな蜘蛛が出て、家族中がパニックに陥った。大きさは30cm近い。生まれて初めてあんなデカい蜘蛛に出くわした。絶対やばい生物(毒持ってる・噛む)だと思ったけど、後で調べたら毒など持っておらず、むしろゴキブリを食べ尽くしてくれる益虫として人気がある蜘蛛だったようだ…駆除してごめんなさい。

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天気が良い日に出かけた。かなり目立つ大きなお寺があり、ちょうど近くまで来たので寄ってみた。康楽寺という寺号らしい。

ぱっと見、地域のお寺さんの雰囲気。けれど、敷地が異様に広い。

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↑山門

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↑本堂

この本堂の屋根が周りの家々より突出して高い。存在感がある。京都の市街地外れの山にある由緒正しいお寺さんみたいな堂々たる感じ。

この寺怪しい。

 

山門に「康楽寺略縁起」という説明板が立っていた。それによると、

  • 開基は木曽大夫房覚明円通院浄寛西仏坊
  • 創立は建暦2(1212)年
  • 開基の西仏坊は海野幸親の子の幸長(通広)
  • 天養元(1144)年海野庄(上田市)生まれ
  • 南都(奈良)で勉学に励み、興福寺勧学院文章博士になる
  • 上手い文章を書く人で有名だった
  • 源平盛衰記吾妻鏡徒然草にも登場した
  • 若い頃は軍師、右筆として木曽義仲に仕えた
  • 義仲滅亡後に出家し、比叡山で修行し親鸞と知り合う
  • 建仁元(1201)年、親鸞と一緒に法然の弟子になった
  • 承元元(1207)年、承元の法難で親鸞と一緒に越後国へ赴く
  • その後、赦免された親鸞と共に布教活動をし始めたが、その途中で法然が入滅した事を知る
  • 地元の海野庄に親鸞一行と行き、同地に庵を結び報恩の経を上げ、この庵を親鸞が「報恩院」と名付けた(建暦2(1212)年、これをもって創建とする)
  • その後、塩崎長谷に寺を移転
  • また弘治年間(1555~1558)に現在地へ移転(移転後も地籍は塩崎長谷)
  • 信越、東国、北陸の真宗布教の中枢となり、江戸期には門徒戸数3600人あまり、信州門跡と尊ばれた

 

つまり浄土真宗草創期からの拠点だったらしい。

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西仏というお坊さんの経歴がやけに激しすぎる。法然の弟子になった年齢も書かれていた、57歳の時だという。なんか元気だね。

木曽義仲は久寿元(1154)年生まれで西仏の10コ下だったみたい。死んだのが寿永3(1184)年で、西仏は41歳になるのかなー? で、16年ほど修行して法然の弟子? 承元の法難の時には63歳。親鸞は34歳だったらしい。34歳の男に同行して越後国へ行き、5年後許されて68歳時点で布教の旅に出る、ということになる。越後国信濃国だけなんだけど、これが事実なら死期を迎えそうだから地元に帰っただけとも取れるわ。

木曽義仲の軍師だった時代にはすでに出家していて(説明板では木曽義仲滅亡後出家とあるが、wikiとか色々見ると覚明は治承4(1180)年以前で仏門に入っているみたい)覚明と名乗っていたらしいけど、何故か子供もいて長野市内にある別の真宗のお寺さんの開基になってるー。承元の法難で僧籍剥奪?→一般人になる→結婚して子をもうける、なのかなー? 説明板通りなら当時63歳だよ、元気だねー。

 

説明板には書いていなかったけれど、西仏=平家物語作者説があるらしい。そもそも木曽義仲軍師の覚明という僧も謎の人物で、出自が分からないらしい。藤原氏菩提寺である興福寺で学んだとあるため、藤原一族の誰かということになっているらしい。

平家物語の作者は「信濃前司行長」なる人物とされ、本命は「藤原行長」になっていた。ただし、この人は信濃守になったことがない。生年月日が分からないけど、藤原行長のパパの人生は大治5(1130)年~文治3(1187)年で、藤原行長海野幸長とは同世代だと思われる。

藤原行長の父親が仕えていた九条兼実という人は、法然に帰依していたらしい。承元の法難でも法然を匿ったりしている。承元の法難の原因は上皇お留守の御所に無断で法然の弟子達がお泊まりし、そこの女官達と戯れてしまい、上皇を怒らせたことらしい。法難=宗教弾圧とのことだけれども。最高権力者の屋敷に入り込んで女達と遊んじゃったせいとか宗教関係ないし。そして実家浄土宗なんだよ、なんかショックだわ。

 

説明板に出てくる「海野幸長」は、平家物語にも本人が出ているらしい。なんか、お父様の海野幸親木曽義仲の侍大将やっており、そのご子息として名前が登場するそうな。海野幸親木曽義仲と一緒に討ち死にしたらしい。海野幸長説は、藤原一族ではないために興福寺で勉強出来ないから違うと否定されている。

浄土宗と平家物語は関係が深いみたい。全体的に浄土思想が色濃く反映されているとかで、それに詳しい人が書いたのではないかと言われているようだ。中学時代の国語の教科書に載っていた「敦盛の最期」は当時どうとも思わなかったのに、最近ETVで内容を見てしまい恥ずかしながら少し泣きそうになったと家族に話したら、肩をぽんと叩かれ「年取ったんだなぁ」と馬鹿にされる悔しい経験をした。その敦盛を討ったおじさんは後年、法然の高弟になっていた。じゃあ、そのおじさんが書いたんじゃないのか(当事者だし浄土思想にも詳しそう)と思ったけど、おじさん(建永2(1207)年死去)は無関係らしい。平家物語は建暦2(1212)年以降に成立したことは確実だそうな。

 

西仏について、ちょっと詳しい解説を見つけた。それによれば、

康楽寺の説明板の海野道広の生年とは多少ズレがあり、この記事だと義仲より年下になってしまった。まぁ有名人のことでも「アレこの人、年上だと思ってたけど年下だった???」と混乱する時があるから、昔の人の生年なんかもっと緩い感じになっちゃってそうよねー。

とりあえず色々と深い寺だった。

 

★★☆☆☆

信州門跡、確かに門跡寺院っぽい雰囲気だったわ。

 

 

<康楽寺>

創建年 建暦2(1212)年

地図にない神社

ちょっと時間が出来たので、以前から行きたかったお店へ出かけた。しかしお店しまってたよ。

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お店の向かいのコレ↑は去年夏から解体作業が始まったらしいが、ゆっくりゆっくり壊しているらしく。まだ時間かかりそうだねえ。この手の廃墟は嫌いじゃないんだけど、お金の話だとか色々考えてしまって暗澹とした気分になるわ。

 

仕方ないのでウロウロしてみると、ひっそりした神社を見つけた。

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グーグルマップにも載っていない。鳥居の社号も分からない。

地域の産土神のようで、しめ縄も綺麗だし植樹したばかりの木などもあって、境内はきちんと手入れされている。

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この間見に行った、山の上の廃神社↓がこちらに移転したのかな?

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などと考えるも狛犬の台座に「国威発揚」なんて書いてあるから、きっと戦中にはここにあったんじゃないかなー?

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狛犬やらはこの年月↑に造られたという気がする。ちなみに神社にはもう一本石柱があったが、そちらは随分と朽ちており彫られた文字は全く見えない状態に。

 

この辺りの昔の名前、上山田村や若宮村の明治時代の地図を見たけど現在地に神社の記載がないようだった。

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祠には読めない漢字で神様の名前が書いてある。天登神なのかなー? 天の次の文字の読み方が想像できない。コレっぽい名前の神様も見つけられなかったよ。

文政11(1828)年に再建なのかな? もう分かんない。

 

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目的は達せられず、神社でモヤモヤしただけの1日だった。

 

 

☆☆☆☆☆

この神社がなんなのか分からない、誰か教えて欲しい

 

 

<????神社>

創建年 不明

御祭神 不明

入山城

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入山城に行ってみた。数年前にも一度来たことがある。

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前回来たときにはこういう張り紙↑があったが、今回はなくなっていた。ポケストップなどがあったわけではないし、多分ここまで探しに来るような人もいないのにーと思ったよ。やっぱり誰も来なかったんだな。

前回来たときと同様、今日も人っ子1人居ない。

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山の麓には↑こんな感じで道らしきものがあった。しかし、よく分からんので前回と同じように給水施設から登ってみた。こっちの方が車を駐めるスペースもあるしねー。

 

↓前回

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↓今回

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季節がだいぶ違うねー。

お城は正面左に見える、こんもりした山の中にあるらしい。一応、千曲市が史跡指定しているが、登山道なしとのこと。ここから普通に道っぽいのあるじゃん。などと安易に考え、前回は途中で脱落したのよね。そんな経験がある為今回は1人で来た。

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↑北側は急斜面。

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目印のピンクのテープがあるものの、途中で消える。この辺りはまだ人の手が入っている雰囲気。

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適当に歩を進めて行く。徐々に獣の足跡ばかりが目立つようになってきた。

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最早人間が手入れしている気配がない。前回はこの辺りで断念。子供は歩けないだろ、こんな場所。

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↑登ってきた後ろ

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もうちょいでお城に着きそうなので、なんとか頑張る。獣の足跡すら消えてしまった。山の生き物ですら敬遠しちゃうような斜面なのかー? 意地でも登ってやるー。

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斜面を登り切ると、急に明るくなった。着いたらしい。

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石積み? 石が並んでいるように見える。ただの石がゴロゴロ積み重なっただけかなー? 少し不自然な感じ。

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見えてきた場所が4の郭。ここには祠があった。

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祠には神様がもういらっしゃらないのか、誰かお参りに来ている様子もない。荒れている。ただ、先ほどの急斜面と違ってこの平場は動物達の憩いの場になっているらしく、コロコロうんこがたくさん落ちていた。なるべくならうんこ踏みたくない。そんな願いもむなしく、そこら中にうんこが落ちていた。諦めた。私はこの日、一生分のうんこを踏んだと思ったよー。

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4の郭とお隣の本郭との間には堀切があった。意外と深い堀切で、これだけで満足したわ。

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どちらかというと、北側(恐らく館があったと思われる方向)の方がしっかりとした造りで、南側は防御が甘い感じ? 郭の連絡路は南側にあったのかな。 

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祠は「蚕」「稲荷」の文字だけ分かった。蚕という文字があるところを見ると、祠は明治以降の新しいものかもしれない。どちらにしろ、祠があるぐらいだからどこかに道があるはずだよね? 私が侵入した経路が間違っているんだけども、最初に見た道らしきものがココまで繋がっているか確信持てず。

昔の地図を見ると、城山(この場所を指しており、地図上には4つの郭が描かれていた)という表記、「越道」という文字と細い道も描かれていた。道があったことは確からしい。生活道だか隣の集落へ向かう近道のようだった。

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お隣の本郭に移動しようと思う。

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南側から移動。

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堀切の中から。

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本郭に到着。

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さっきよりもずっと広い。

腰郭のようなものが↓

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北側には土塁↓

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仮想敵は北側に住んでいたんかね? 南側は誰も攻めてこないの? 大丈夫なのかねー?

↓本郭から見た4の郭

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高いねー。

 

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次の郭へ移動しよう。

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ところが次の堀切が異様に深い。これどうすんだよ、登りにくいな、などと考えてとにかく南側に目をやると。

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土橋というやつなのかね? 道らしきものがある。

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2の郭に到着↓

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特に何も残っていないようなので、次へ。

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ここの堀切も中々深い。

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3の郭に到着↓

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後ろを振り返ると、それぞれの郭が駱駝の瘤のようにヒョコヒョコと見えていた。それだけ堀切が深いということなのかもしれない。感激してしまった。

でも、このお城目立った活躍はしていなさそう。標高は低い、城主もよく分からない。すんごい堀切深くしてるのにさ、何か勿体ないね。

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3の郭は細長い感じ。

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奥へ進んでいくと。

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最後の堀切きた。この貧弱な堀切を渡ると。

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謎の盛り上がりが。

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見た感じ、土塁とかではなさそう。自然に出来るものではないので何かの施設?

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この盛り上がりはフッと消えてしまった。もうこの先、何もないようなので帰ることにする。

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↓本郭より善光寺方面(北側)

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↓本郭より出浦城方面(南側)

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あっという間に4の郭下まで戻った。お城の規模は小さい。密度が濃い。市の史跡に指定されていることに納得だよ。凄く綺麗な状態だなと思った。

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問題はここから。斜面を降りるの嫌だな。うんこ踏みまくったから気分的には「どうにでもなぁれ」なんだけど、転んで雪まみれになったり怪我するのは絶対に避けたい。重要度としては、うんこ<怪我だよ。

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怪我せず転びもせず、なんとか降りられた。やったー。

その後は麓まで降りた。

麓には見性寺というお寺さんがある。

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扁額が「第一義」だった。仏教用語で究極の真理という意味らしい。なんかで見たなと思い、考えてみたら昔行った新潟の林泉寺の扁額と同じ言葉。高田の老舗和菓子屋さんで「第一義」という名前の羊羹が売っていて、それを買ったんだった。

 

お城のある山の近くには、路傍にこんな石柱があった。

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この辺りは古い道がいくつか交わっている交通の要衝だったようで、入山城は街道監視のお城だったらしい。↑の石柱には

西 松本麻績道

東 坂城道

北 八幡善光寺

とあった。

 

更に道を行くと、

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馬頭観音が立ち並んでいた。

明治という年号が入っているものがあり、そんなに古くないと思うんだけど。いずれ埋もれて自然に還りそう。

 

 

★★★★☆

とても良かった、麓の道?から登れば楽勝だったのかな



<入山城>

築城年 不明

築城主 入山氏?

構造 山城 

 

姨捨孝子観音

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なんとなくドライブしていたら、辿り着いた。観音像があるらしい。

階段は嫌だったので坂道を上がっていくと、何かの施設があった。

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初神社かと思ったんだけどー。建物の周りには古そうな石碑群。何が書いてあるのか分からない。読む気もしないねー。場所柄、俳句とか和歌の石碑なんじゃないかと思うわ。

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この建物から更に高台へ上がっていくと、またもや石碑群に出くわした。

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大きな碑は「招魂碑」とあった。ほぼ字が薄れかけていて読みにくいが、更級郡出身の小河原小五郎さんの来歴、徴兵に応じて従軍したものの上陸した先で風土病に罹り死亡、彼の友人達が招魂碑を造りたいと願い建立されたものらしい。明治30年代に建てられたもののようだ。石碑の記述によると明治29年12月に徴兵されたようだ。一番近い戦争だと義和団の乱? 戦争に征き異国の地で亡くなった為にこういう碑を建てて供養するの、昔流行ったのかな。長閑な田舎に行くとけっこう残っていたりする。

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もう少し先があるらしい。この上は坂の下で見かけた「姨捨孝子観音」というのがあると思う。

登り切ると。

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御嶽神社の石碑。

 

で、これ↓が姨捨孝子観音らしい。

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この観音像は比較的最近出来た物らしい。来歴が彫られた石碑があった。タイトルは「姨捨孝子観音由来之碑」。

冠着山の地元を領有したる郷士あり 或時此領主の若殿が怪我を受け姥の責任なりとして殿の怒に触れ 姥を冠着山に放逐せしむべく 姥の倅に厳命下され 倅に一応深山に背負い行きたれど捨て切れず 窃かに我家に連れ戻り孝養を尽し居たりき 此の時付近に地辷り起こり食糧飢饉に至り難民○出せる為 殿様は隣郷の領主に食糧を求めたり 領主は答えて二つの難問題を出し之を解くならば食糧を送るべしと返答せり 殿様は之を解けず我領地内に解くものあらば過分の褒美を取らす可く布令を出したり 姥は之を聞き直に解き倅に教えければ倅は殿に言上効せり致せり 殿は非常に喜び過分の褒美を与え尚姥の罪をも許されしと言ふ 孝子美談の伝説なり 依て姥捨山と称えらろふに至れり 世に言ふ非道の伝説は誤にして之を是正せんが為め姨捨孝子観音を樹立して孝子の誉を永く残さんとする所以なり

昭和36年4月

 

内容にある物語は聞いたことあるよー。日本昔話的な奴で。ただ、若殿に怪我させた罪で山に捨てるという感じじゃなかったような? 老人全部捨ててこい! だったような?

調べると、姥捨山の話は2パターンあり。

  • 70歳以上の老人は国を追い出されるという掟のある国の住人で大層親思いの息子がいた、規則通り70過ぎの親を国の外に捨てることが出来ずこっそり匿う。そして難しい問題を出された殿様が云々
  • 実の親を早くに亡くした男は自分を育ててくれた姨を大事にしていた。しかし男の嫁は姨を憎み山に捨ててくるよう男に命じた。男は姨を背負い山に登り一旦は捨てて来たが、後悔してまた山から連れ戻した

上しか知らないわ。「長野県の昔話」みたいな本に老人を憎む殿様が命じて国中の老人を捨てさせたが…という内容があり、多分私これ読んだんだわー。一番有名なのは捨てたはずの老人が密かに連れ戻され、難題を解いて息子に教えるパターン。これは昔から有名なものらしく、今昔物語集・打聞集などに見られるらしい。出題されるクイズがいくつかあり、収録された書物や地元伝承で内容のバリエーションも豊富という。元ネタは雑宝蔵経という仏教の経典(説話集)の中にあるそうで、つまり外国が舞台の話だったようだ。

下のパターンは大和物語に収録されている話らしい。信濃という具体的な地名が出てくる棄老の話はコレが初のようだ。信濃の姥捨という地名の由来を記したものらしい。

下と上と「老人を捨てようとした」以外共通点がない、下は物語としては面白みに欠ける(嫁姑問題など争いごとの話は大好きですがね)し、普通の人ならクイズを年の功で解いちゃう方がスカッとするかなー? どちらも「世に言ふ非道の伝説」ではなさそう。婆連れ帰ってるしさ。

 

どうやら昭和30年に「楢山節考」という小説がベストセラーになり、映画化もされたせいで姥捨山とその周辺に関わりある人達が風評被害に遭ったらしい(小説の設定は信州だが、モデルは他の県だと作者が書き残していた)。東京に出て行った更科出身者達が「親不孝の里から出て来た」みたいなことを言われて怒り、この石碑を建立してマイナスイメージを払拭しようとしたらしい。

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そのせいか、石碑のタイトルは旧皇族東久邇稔彦、撰文は貴族院勅選議員・日大名誉総長等の多く肩書きを持つ山岡万之助、筆は日新流という華道の家元の新井日新、と立派な人達にお願いしているみたい。さすがに東久邇宮だけは私も知ってる。結局これでマイナスイメージは消えたのかしら?

 

この他には祠↓

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観音像建立にあたり寄付をした人達↓

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近衛篤麿さんお手植え?↓

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公爵近衛篤麿(1863~1904)さんが植えたにしては貧弱な木よね。2代目の木かしら?

 

ボロボロで何かよく分からない碑↓

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大田定治さんの慰霊碑らしい。

来歴が書いてある。彼は明治6年4月5日生まれで性格は温厚、明治26年に徴兵され陸軍近衛師団第2連隊に所属、輜重輸卒として兵站を担当した。そして台湾に渡り、その地で没した。享年23歳。ということらしい。内容的に、日清戦争後の日本統治時代のようだ。明治27年に近衛師団第2連隊は日清戦争に従軍、明治28年台湾を平定したとかwikiに書いてあったわ。最初見た小河原小五郎さんの碑より古い。当然、観音像よりも古い。オンボロ具合から移設してきたとも考えられず。

探すと、ここは姨捨孝子観音の建立のため整備された広場ではなく、元々は冠着山山頂の冠着神社の遙拝殿とお月見するための観月殿(さっき見た奴)が置かれていたようだ。

 

 

★★☆☆☆

境内には土俵があり、子供はその中で「相撲だよー」と言いながらひとり四股を踏んでいた

 

 

姨捨孝子観音>

建立日 昭和36(1961)年

 

 

 

 

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随分前に姨捨駅が改修終わったらしいので、近くなのでついでに見に行ってみた。

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ここは全国でも珍しいスイッチバックという施設があるそうで。↑この看板にもスイッチバックを示しているのかな? という感じの変な描き方してるわ。

小学校の遠足でも電車に乗る練習ついでに、これを見に来た覚えがある。電車が変な動きするんだよねー。

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棚田も見えた。

 

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↑私この建物の内部が見たかったんだけど、かなり厳重にブラインドが下ろされて覗くことが出来なかった。残念。1泊2日、この施設を使用するJR主催の鉄道旅のコースは32万~で、その高額さにマジで顎が外れかけたわ。私の憧れ船旅だと、1泊2日クルーズの一番安いプランでにっぽん丸、飛鳥Ⅱ共にそれより1桁程少ない料金で行ける。2日間の旅行で30万以上払わされたらさ、少しでも不満を感じたら自分の負けみたいな貧乏根性出しそう、意地でも旅行内容を褒めちぎりそうだわ私。

荒砥小城②

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冬になった。

 

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ちょっと時間が出来たので、以前たどり着けなかった荒砥城の先の城を目指してみることにした。

正式には「荒砥城跡群」というらしい。千曲市文化財一覧を見ると

  1. 荒砥城    本郭から五の郭までの連郭式(史跡公園として整備)
  2. 荒砥證城   2つの郭と土塁残る、複郭式
  3. 若宮入山城  4つの郭、複郭式
  4. 證(正)城  2つの郭と土塁残る、連郭式、狼煙台

の4つのお城から成り立っている、とあった。ちなみに千曲市のみ「荒砥證城」と記しているが、他の資料だと「荒砥小城」の表記ばかり。どちらが正確なんだろ?

 

前回道を塞いでいた軽トラがいない!

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オフシーズンで人もまばらなので、すすっと入った。

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落ち葉酷い。

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前回は気付かなかったが、電灯のようなものがそこかしこにあった。電線はない。朽ちている。目印は廃神社なので、神社参道用の電灯だと思う。

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段郭も健在。

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あっさりと分岐点に到達。写真右上が目印の廃神社のようだ。ここから西に向かうとあるらしい。この分岐点も少し開けた平場になっている。お城の一部なんだろうか。ちなみに、荒砥城跡公園が整備される前は遊園地だった、とテレビか何かで聞いた。開発されていて原形は…?

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お城はまだ先。何か倒木が見えますわ。

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前回より酷くなってそう。廃神社までは管理者(または廃墟好き)が来ているのか綺麗だったけど、ここから先は誰も来ないのかねー?

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言葉になりません。

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↑段郭かな?

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↑下の段郭みたいなのを辿って来た方が楽なんじゃね? と思う。見た感じ、とても綺麗なのよね。

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何か急に開けた。なんとここは。

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人が入ってきている。それもごく最近。さっきまでの倒木だらけ、荒れ果てた道は何だったんだよ。

で、この開けた感じの場所が、目指していた荒砥小城だったようだ。

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千曲川方面 見晴らしは良さそう。

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この付近だけはやけに人の手入れがされている。きちんとした作業道が存在しているらしい。段郭かと思っていたアレは、もしかしたら作業道の一部なのかも。地図見ると、私が歩いてきた道の他にも道があり、ちょうどこの地点でぶつかるようだった。管理事務所付近に入り口が二カ所あるようだが…そんなのあったっけ?

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小屋を壊した? ような物まであったよ。

この先は↓

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また道が分かれている。

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右↑と

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左↑と

この道も結局は合流する。左は作業道のようで、非常に歩きやすそう。正解は左と思いきや、実は右の道の先に堀切が存在するらしい。どっち行っても同じだから、倒木覚悟で右の道へ進む方がいいんだろうか。その先に若宮入山城があるという。

今日はもう薄暗くなってきているので、行かない。

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なんか変わった地形よね、これ↑も何かあるのかしら?

やって来た方向へ振り返ると。

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土塁がよく見えた。

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土塁の向こう、崖だったんだけどね。

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うんざりするほど荒れている。

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↑二ノ入館側

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土塁以外は何もないとのことで、帰ることにした。

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どうやって乗り越えてきたのか分からなくなってるー。

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再び廃神社に到着。左側の高台?も多分、お城の一部だったんじゃないかと思う。連郭式とあったから、左上は郭跡かもしれない。登るの面倒臭そうだから確認していない。

 

せっかくだから廃神社も見に行くことにした。

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何の神社か、ココでは分からなかったけど。後で調べたら天満宮だったようだ。建物自体は古さを感じず。遊園地があった時代(昭和40年代くらいなのかな?)に勧請されたのだろうか。そのぐらいに建てられた感じのお社ではある。

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廃神社周辺はやはり、さほど荒れていない様子。

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ここまでは舗装されていたけど…自動車は来れられない雰囲気の道だったよ。

神社の境内はこんな感じ↓

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奥の建物は天満宮と思われる。左の建物は「三天神社」とあった。三天神社の詳細がよく分からないのでざっくりぐぐったけど、何も分からなかった。

左の建物は何故か境内の外、道側に建物が向いていたので↓この神社の社号が「三天神社」だったかもしれない、とも思う。

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そういえば鳥居はなかったな。

振り返ると、荒砥城だった。

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柵の向こう↑

 

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この場所も非常に見晴らしが良かった。

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ちょっと不気味になってきたので、退散ー。帰りました。

 

 

 

★★☆☆☆

途中の道は大人じゃないと無理?

 

 

<荒砥小城>

築城年 不明

築城主 不明

 

 

 

荒砥小城①

これは数年前に荒砥城より先にあるというお城跡を探しにいった記録である。

ちなみに、荒砥城→荒砥小城→若宮入山城→證城と進めるらしい。あんまり調べていない。

 

 

ようやく荒砥城から先のお城群に行ける道を見つけたのでやってきた。

↓これである。

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道だとは気付かなかった。何度か荒砥城を見に来ているが、いつも軽バンに道を隠されていて分からなかった。地図にも載っている細い道だが、うっかり迷い込まないようにわざと駐車しているのだろう。

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御覧の通りの有様。軽自動車が通行できそうな道幅、コンクリ敷いてあるものの、荒れている感じである。誰か通っている様子はあるので、徒歩なら支障なし。

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隠してある道なのでちょっと緊張するが、進んでみよう。

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どこからか来た道とぶつかった。荒砥城跡のほうから来ている道っぽい?

交差点には建物がある。人気なし。ここまで順調。

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倒木がー。

比較的最近になって倒れた雰囲気。おおどうするかなこれは、と少々悩む。何故かというと跨げない潜れない、中途半端な高さの倒木だったから。結局、潜っちゃいました。

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良い眺めだなー。

この辺りには段郭なるものがあるらしく、探すとすぐに見つかった。

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こっち側の下、領主の館がある方向。

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↑この図的には、すぐに荒砥小城に着きそうな感じするね。しかし、世の中はそう甘くない。

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派手な倒木見つけた。これは子供無理ですね、撤収。

 

また改めて荒砥城に行ってみる。なんか観光客で賑わってたわ、平日なのに。

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荒砥城から進める道があるのか、もう一回探したけど分からなかった。管理者用道路っぽいのはあったので、そこから進入できるのかしら?

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↑正面の木の陰にある建物が、先ほど交差点にあった無人の建物のようだ。目指した山はその奥、こんもりしてるやつかな?

 

 

★☆☆☆☆

倒木危険。

 

 

<荒砥小城>

築城年 不明

築城主 山田氏?

構造 山城