お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

今井神社

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気付くと外は晩秋の景色になってました。ここ最近の記憶がないぞ。

今井神社に行ってきました。

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今井兼平という男を祀る神社です。ところが長野県神社庁のサイトでは天照大御神が御祭神になっている。ちなみに勧請は白鳳元年9月とされている。「白鳳元年」は600年代後半に当たるので、平安時代後期の武将である今井兼平( 1152~1184)と全く関係なさそう。

 

しかし、今井神社という名称は今井兼平に由来する。この神社が白鳳元年に創建されたなら、兼平以前はなんて名前だったのか残っていなさそうなので、本当にそんな大昔からあるのか疑問が残る。

①元々伊勢神社だったが、今井兼平も祀り始めてこっちがメインになってしまった

②兼平を祀ったが物足りない気持ちがあり天照大御神も祀った、創建年は盛った

今井神社によそから伊勢神社がお移りになったが、創建年は伊勢神社のほうが古いのでこちらのデータを神社庁に報告

ぱっと思いついた3つの説。当たっているかなー?

 

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鳥居から社殿まで、参道の両側には民家が立ち並んでいる。その辺の神社にはなさそうな特徴だと思った。

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本殿到着。ここにも神社らしからぬものが。

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土塁があるらしいです。

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本殿周りを土塁がぐるっと。ここは「今井兼平館跡」という説もあるようだ。その跡地に兼平を祀る神社を建てたというのは妥当と思える。じゃ②③のどちらかの説が正解なのか?

ごく近くにも「兼平山切勝寺」という縁のお寺さんがある。名前の通り兼平開基のお寺だそうな。神社の隣には兼平のお墓もあった。

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お墓は人の背丈ほどもある五輪塔。兼平という人は近江国で戦死しているのでこちらで葬られているわけではない。滋賀の戦死した場所にもお墓がある。兼平の菩提を弔う目的で建立されたようだ。案内板の内容は以下の通り。

平安時代木曽義仲以仁王の令旨を受け挙兵する

・諸々あり兵を集めて、横田河原で平家軍と対峙した

・義仲は平家軍を挟み打ちにするため、家臣の今井兼平に平家軍の背後に布陣するよう命じる、そのとき兼平が布陣した場所がココ

・戦勝祈願をしたい兼平は誓いをたて、家来の岩害刑部に切勝寺を建立させた

・その後、兼平は近江国粟津で討死、悲しんだ岩害は兼平のため五輪塔を建立(それが兼平墓)

・昔からこの五輪塔の苔は百日咳の特効薬と言い伝えられており、地元民は五輪塔にお参りをしては塔石を削り持ち帰っていた

最後の特効薬の下り、なんなのかな。五輪塔に縦線の模様が深く刻み込まれていた。相当削り取ったらしき跡。本当に苔が効くのか。今はもう五輪塔には苔が生えていない。現代は予防接種で百日咳のワクチンを打つそうなので、苔なくても心配ないそうだ。良かった。

 

案内板には「陣跡」とされている。だが土塁があるのでおそらく館跡ではないかともいわれる。兼平館説の他に「小田切館跡」説もあるようだ。小田切さん、ここも含めると館4つになる。が、他の3つの館と違って、こちらは「小田切さんち」という伝承が何故か残っていない。小田切さんちじゃないのかも。では誰のお屋敷だったんだろうなー?

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土塁の上には太い欅が生えてた。 樹齢がどのくらいか分からないけど、欅から土塁の造られた年代も逆算できるんじゃないの? 誰かやってくれないだろうか。

 

今井兼平は本名・中原兼平といい、中原氏は安寧天皇の第3皇子を祖とする名家。朝臣を賜った家ではあるものの実務的な職(主に京都の行政職を担っていたらしい)を世襲していたためか、今井兼平の生きていた頃には昇殿を許されない家格にまで落ちてしまっていたみたい。三男坊だった兼平父の中原兼遠が信濃国に移住し、兼遠一家信濃国木曽を本拠とする豪族になったようだ。

久寿2(1155)年、兼遠は齋藤さんという人から駒王丸という子供を預かる。駒王丸というのは源頼朝義経の従兄弟さんで、後の木曽義仲木曽義仲今井兼平は乳兄弟という間柄だそうだ。巴御前今井兼平は兄妹。義仲に最後まで付き添い色々あって、義仲が自殺するのを見届けてから自分も後を追って亡くなった。

全国各地に「今井兼平縁の地」があり、お墓もあちこちにあるらしい。御手付きの女の人もあちこちにいて子孫もたくさん。当時人気の武将さんだったのね。イケメンだったのかしら?

元々この地は「雲井の里」という名前だったそうだが、縁づいたために地名を「今井」に変更。雲井の里の方が綺麗なイメージだよ勿体ない。

 

 

 

★★★☆☆

境内が広く、遊びやすくて良かった

 

今井神社>

築城主 不明

築城年 不明

構造 平城

 

 

 

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拝殿前の石段には雨粒が穿ったような跡があった。雨垂れさん頑張るなーとしみじみ思った。

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寺尾城

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朝晩と肌寒くなり、また花粉の季節がやってきた。あーうざい。

もう草枯れてくる頃だろうと山の様子を見に行ってみた。今回は寺尾城。

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本郭には「寺尾殿の墓」と刻んだ墓があるそうな。何故墓なのか。そんな場所に寺尾家の御先祖が祀られているのか、墓参も一苦労だな。だいたい普通は「寺尾城祉」って彫るんじゃないかと思うわ。

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寺尾城登山口。この階段を上っていくと「愛宕社」という神社があるらしい。入口に愛宕社の由緒が掲げられていた。

・御祭神 火之訶具津知神

・永禄3(1560)年社殿創建 これ以前より「愛宕大権現」として鎮座していたらしい

・宝永5(1708)年焼失した社殿を再建 愛宕山長福寺が再建(とあったが愛宕山長福寺というお寺さんが近隣に見つからなかった。廃されたのかも?)

松代城の鬼門除け 寺尾って地名の由来なのか関係ないのか分からないが、このあたり寺が多い

・昭和62(1987)年、周辺河川と道路を改良したついでに石段を移したり、社殿を改修した

 

後で聞いたが、この近くの神社と何か関係あるとか…グーグル先生におたずねしたところ、中條埴志那神社のことらしい。そこの字が「屋敷」だった。あら寺尾さんの館跡なんですかねえ。

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昭和っぽい感じのやつ。階段はけっこう急。

登りきったらお墓が。古いお墓のようで、妙に立派だが文字がきちんと判読できない。多分、身分の高い人のお墓なんじゃないかなー? 見た目がそんな感じ。

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奥の竹藪の隙間へ道が続いていたので進んだら、またお墓。こちらも古い。ただ、お参りする人も絶えてしまったか、うらぶれた様子になってしまっている。途中の道も崩れかけていた。この近くに謎の供養塔があるらしく(供養塔自体は見に行ってないので、正体は知らない)、その供養塔に関係あるのかなと妄想した。

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東寺尾少年団の何かの記念碑。お墓の近くにあったよ。

 

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ここからが昭和62年の改修以前からある参道のようだ。見るからに古めかしい。

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登りきると、また昭和の改修跡。

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道に沿って進む。

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出た、愛宕社。天狗のお面がちょっと怖い。なんか目がギラギラしてるのよー。天狗関係だから、修験道に関係してるのかな? 私は下品・修羅場なお話が好きなので、御祭神の火之訶具津知神という神様は知ってる。伊邪那美はこの神様を産んだせいで、おまんまんが焼けて死んだ。えっ、と思ったこの死因のせいで印象に残ってる。その後この神様は怒った伊邪那岐に殺されたらしい。なんて不遇な。そんな神様のこと忘れられない。

愛宕神社の歴史は修験道の僧によって大宝年間(701~704)に創建された廟から始まっている。火伏せに霊験あらたかな神社として有名らしい。主祭神伊邪那美と、伊邪那美が亡くなった時に産まれた神々のようだ。火傷関係の神様を祀る神社だから防火に功能があるのかしらね。

 

この愛宕社から登山道があるそうだが。ちなみに、こっち側が大手だとか。

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 周りがこんな感じなのですがね。登れますかこれー?

この時点で、私以外の家族は断念。私一人でちょっと上まで行ってみることにした。

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石垣はあるが、これは新しい時代のものに見える。もちろん明確な道はなく、辛うじて獣道らしきものがあるのでそれを頼りに登った。無茶苦茶急。

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何かの石灯籠に辿り着いた。この石灯籠は愛宕社からも見えていたもの。更に進む。

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段々と石垣は見えなくなり、ごく普通の山の中。急ではない。しかし道はなく、なんとなく歩いている状態。しかし人の手が入っているようで、ところどころ伐採した松の枝を積み重ねてビニールで覆うアレがある。

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方向は合ってるんだか分からない状態だけど、とりあえず頂上を目指せばいいんだろ。という感じで高い方へ進む。

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なんか…ゴミが落ちていたりして、人が出入りしている様子が残っている。今回ちゃんとした山に登る気がなく、登山道があるみたいだ→整備されてるだろう→距離も短いかも。と思い込み、愛宕社までやってきた。そのため、シャツ・ジーンズ・スニーカーという本格的な山歩きには適さない格好の上、熊除けの鈴なんかもない。やだなー動物いたらやだなーと思いながら歩いていた。人の手が入っているなら、熊以下動物があまり出てこないかもしれないが。その代わり、爺さんがぬーっと現れてもやっぱり怖い。幸いにして、生き物の気配は感じなかった。

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なんか気付いちゃったんですけど。ポリタンクみたいなのが木に刺さっている。それがいくつかあって…これは目印なの? 親切な人が置いてったポリタンク、日に曝されて割れてしまって、地面に落ちてたり。でも道順が分かるような程度には配置されているっぽい。

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しかしポリタンクはまだ私を手招きし続ける。

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なんか急にお城っぽくなってきた? 先に急斜面見えてきた。

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先の方に巨大な何かが見えた。

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堀切だった。

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これを登ろう。

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 ものすごく急。そして高い。後で調べたら、スロープ状の土橋があったらしい。まともに斜面登っていくのは厳しいわね。

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登りきったらお墓が見えたよー。ついに本郭に到達、長かったように感じたが15分くらいで来られるみたいだ。なかなか骨の折れるお城。子供連れて来なくて良かった。

 

本郭の様子↓

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↑例の墓

私が登って道とは反対方向にも上り口があった(こちらは整備されているように見えた、搦め手だと思うけど正規の登山ルートはこっちなのか?)。搦め手側も相当急で降りる気がしませんでした。堀をまっすぐ進んでくる道らしきものは土橋だったかもしれない。

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さて、待たせているのでもう下りよう。

 

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↑本郭から見た堀切と2の郭

帰り怖いんですけど。土橋の存在など考えることなく、斜面をなんとか下りた。土橋を下って行った方が楽に下りられたのだろうか?

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↑2の郭から3の郭。上から見ると本当によくこんなところ登ってきたな…と感慨深くなる程度の落差。

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また現れだしポリタンク。そういえば城域入ったぐらいからコイツを見かけなくなった気がする。

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石垣が出てきた。この辺りも急だが、愛宕社が近いので頑張る。ただのスニーカーじゃ、足首痛くて困る。

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愛宕社見えた。

無事に下り、愛宕社の参道の石段を降りる。

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遠足終了。待っていた家族には「ちょっと見てくると言った割には戻ってこないので、崖下にでも落ちたかと思ってた」などと怒られた。

 

寺尾城は寺尾氏築城とされる。寺尾さんは諏訪さんの氏族といわれており、それ以上のことはどうやら分からないようだ。

戦国時代には清野氏に従って村上さん側についていたが、天文19(1550)年信濃侵攻中の武田に内通したことがバレ、村上軍に寺尾城を攻められ、陥落。その3年後の天文22(1553)年に武田に敗れた村上と共に越後へ逃れる…というが、3年で随分立場が変わってるねー。私なら一度スパイした奴をすぐには信用しないが。これは武田のスパイという身分のまま越後に送り込まれたということかしら? のちに越後から戻り武田に出仕し、旧領安堵されている(何かしらの働きがあり、その褒美だったのかねー)。武田が滅ぶと上杉に出仕、会津にもついていったらしい。

本郭のお墓、一応戦闘があったので寺尾殿のお墓を建てたのだろうか。当時の城主・寺尾某さんが戦死してるのかな。

 

★★☆☆☆

こういう素朴なお城好きなんだけど、愛宕社からのとっかかりは子供じゃ無理そう。

 

 

<寺尾城>

築城主 寺尾氏

築城年 不明

構造 山城

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二ノ入館

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以前、荒砥城に行った時に↑を見たのだが。平時の館の話はほとんど聞かないなとずっと引っかかっていた。この図によれば、「二の入館」というらしい。

幸いなのか、弁天池という池は今も存在しているようなので、とりあえず行ってみる。かなりの田舎な場所のようなので、間違いなく開発されていないだろうから、何か見つかるんじゃないかと思う。図も、かなり細かく書かれているので土塁なんかは今もあるんじゃなかろうか。

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これ↑が弁天池らしい。奥の平屋っぽく見える建物が「善光寺大本願別院」「日本歴史館」。意外と標高が高い感じの山の中だった。

弁天池から荒砥城方面を見るとこんな感じ↓

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弁天池の周りはちょっと人工的な感じがした。

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しかし荒砥城内にあった図には弁天池は館の外にあるようだったので、この池と二ノ入館とはあまり関係ないのかもしれない。

 

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弁天池から館側へ下りた辺り。右側が弁天池。林に覆われており、池があるようには見えない。この場所より高い位置にあるし。

なんかこの辺、アップダウンが激しい。家よりも畑が多く人通りもないため道がかなり狭い。弁天池も人工的に作った貯水池のような気がする。図には載っていたが当時には存在せず、実はごく最近作られた池だったりして。

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↑お城のある山。

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左側がおそらく二の入館跡になるのかな。もしかしたら、二の入館跡地内に入り込んでる?

不安になる程度の山道感。

 

ということで、少し先に行った場所で撮影してみた。ここらが一番二の入館跡の近くのはず。

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やっぱりわかんなーい。

館跡に向かっていそうな道があったのだが、その道がかなり狭い&奥の民家に向かっているので不審者通報されるかもということで、断念した。

 

グーグルさんでこの周りを見ると土塁のようなものもあったが、凄くしょぼい感じがしていて、見てもなんか?だったので違うのかも。とにかく起伏が激しい道だったので、図のような広い館があった感じがしない…。

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ただ、農地がこれだけあるってことは昔は人もたくさん住んでいたんだろうな。

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結局何一つ見つけられず、悲しい思いをして帰りました。やっぱり、あの細い道を頑張って走れば良かったのかな。

 

☆☆☆☆☆

リベンジはしないかも。

 

 

<二の入館>

築城年 不明

築城主 山田氏

構造 平城

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清野氏館

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クソ暑い毎日だった。しかしどこにも出かけないと辛い。そして出かけると夏の暑さに閉口し、やっぱり家に居たほうが良かったんじゃないかと後悔する、その繰り返しだった。なので、思い切って一番暑い時間帯に外へ出てやったよ。

 

手書きの看板が愛らしい古峯神社はこの辺りを治めた清野氏の屋敷跡だと言われている。元々清野氏の屋敷は現在の松代城にあったそうで、武田さんに屋敷を取られて新しく建てたものらしい。

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入口。狭い。右側はちょっとした崖になっているようだ。

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入口だけが狭いのかと思いきや。

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内部も狭かった。追い出された人がとりあえず建てた屋敷、としてはこんなもんなのか。神社の境内部分が狭いだけで、今住宅地になっている部分も元は清野さんのお屋敷の一部だったのか。

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やっぱり何か不便で困ったのか、また新しい屋敷(海津館)を作って引っ越す。

旧屋敷は倉庫として活用されたそうだ。酉の蔵屋敷と呼ばれる。

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ここには清野氏を偲ぶ石碑があった。地元民に愛された領主かと思ったのだが、そうでもなかったようだ。

側面に清野氏とは。という文章が書いてあるらしい。漢文だったのでよく分からないけど、多分そう。

清野さんは村上→武田→上杉とこの辺りの豪族と同じような流れで主君を変えており、慶長3(1598)年の上杉家の会津転封にも同じくついていきこの地を離れた。その後、この地では不幸が続いたという。

不幸が続いた時期は詳しく分からない。古峰神社は宝永年間(1704~1710)に清野氏と住民のために建立とあるので、いなくなってから100年くらい不幸続いてたのかな? 建立以後も何かあるたび「清野様の祟りじゃ」ということになっていたのかも。宝暦7(1757)年、天保11(1840)年と、この地で大火に見舞われ。清野氏を偲ぶ石碑も松代藩家老に文字を書いてもらい、建てて供養したのが弘化3(1846)年。

清野氏が会津に引っ越して不幸な目に遭ってた訳ではなさそう。残された地元民が恐れるほど清野さんが出身地を祟るとは思えないの。多分、清野さんもこの事実を伝え聞いたら驚くと思うわ。地元民としては「我々はこの地を離れ異郷で暮らす清野様に対して思いやりが欠けていた、ないがしろにしていた」ということだったらしいが、清野さんに対して後ろめたいことがあったんだろう絶対そうだろうとか勘ぐってしまうよ。何か隠してるのー?

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摂社があり、手書き看板の飛石天満宮の他にも祠が2宇。何の祠かは知らない。

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天保10(1839)年8月とあるのでそんなに昔じゃなさそう。

 

飛石天満宮

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神社の奥のほう、変な虫が出てきそうな薄暗い場所にあった。

天満宮というぐらいだから学問の神様? 何故飛石なのか、飛んでいくのは梅だろうよ、などと思ったのだが。看板が出ているぐらいだから、何か凄い神様が宿っているのだと思う。

 

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土塁とかそれっぽいものを探してみた。草ぼうぼうで分からなかった。ないのかも。

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神社の裏手は山のようで、雑草だらけ。この草のせいか暑いせいか、草いきれで窒息しそうなほど境内がムンムンしており、ついでに蚊にも何か所か刺された。退散。

 

一旦神社を出て、周りを散策してみた。

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田舎の風景、特に何も見つからず。

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またもや手書きの看板が。

・高源寺 観音堂

高源寺というお寺さんはもう廃されて存在していないようだ

真田信之次女の見樹院という人が甥の松代藩二代藩主の大学(高源院)の菩提を弔うために承応2(1653)年荒れた寺を再興し、高源寺と名前を改めた

明治元(1868)年に廃止

現在あるのは観音堂のみ

見樹院さんは非常に良い人だったらしい

真田信之供養塔

万治元(1658)年建立、大鋒院(真田信之)供養塔

天保15(1844)年建立、高源院(真田大学)二百回忌供養塔

があるそうだ

和算の額

算額は見たい! と思ったけど、暑いので帰ることにした

これも高源寺跡に残されているようだ(ちなみに複製品らしい)

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神社の東側は蓮の池があった。

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★☆☆☆☆

普通の神社

 

<清野氏館>

築城年 不明

築城主 清野氏

構造 平城

 

 

この後、贅沢してきちゃったよー。

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八王子山砦

冬に登っただけだったので、夏に再度八王子山に登った。その記録。

以前本で読んだ、八王子山のお城らしきものはちょっとだけ分かった。専門家が登れば、もっと多くの跡が見つかるんだろうなと思う。

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スタート。

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てくてく歩いて分岐点到着。

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山の神様こんにちは。

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左に曲がる、八王子山へ。右に曲がると、證城というお城に行けるようだ。

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登ります。登山道が尾根っぽく△の形で続いている。やけに直線的で怪しい。

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 むむー。なんかちょっとあるような…ないような?

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怪しめば怪しむほど、ココはアレなんじゃないかという気の迷いが。自分でも、ココとかアレとか具体的には何も分かってないが、色々と考え続けると難しいことすべて分かっているような気分になってくるから不思議よね。

もう少し進んで行く。

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↑これは? 山の形としてはちょっと不自然じゃないかしら。

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そんな私にも「これは」と思うものを見つけた。

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どうだろう。土塁? 石の載っている辺りが気になるのよ。違うかしら?

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そろそろドン詰まりかしらね。

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おしまい来た? 下りよう。

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帰りはあっという間で、分岐点の山の神様の祠まで着いた。

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更に山を下りる。

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山道はお城とは関係ないらしい。山の神の祠というのも新しくこの場所に置かれたようだし、登山道もさほど古い時代のものという訳でもないようだ(多分ここのお城より新しい道なんじゃないか?)。

とすると、お城に向かう道は別にあったんじゃないかという気もするが。場所が氾濫しがちな川のすぐ脇だし、古い道は流されちゃっているのだろうか。八王子山にお城があったというのもほぼ忘れ去られているようで、このお城の事が載っていた本には「詳細不明」となっていた。道も同じく忘れ去られてしまったのかも。

元の道は中腹の神社から崖みたいなところを登っていくのかしら。そうすれば、すぐ着きそう。どうやら、このルートは岩を踏ん張りながら登るものらしい。一応踏み跡はあるらしいが。神社の辺りをちょっと見た感じでは分からなかったな。というか、登れるとは思わなかった。

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後で色々とぐぐって知ったけれども、頂上に山の名前が書かれた木の杭が打ちつけられているらしい。そんなの見かけなかったよ? それじゃあのドン詰まりだと思った地点より先に進めるのだろうか。道も踏み跡も分からなかったなー。

 

 

★★☆☆☆

登るのは楽、ただし山の上からの見晴しはイマイチ。

 

 

<八王子山砦>

築城主 不明

築城年 不明

構造 山城

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小柴見城

小柴見城は現在、大部分が浄水場となっている。

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その為お城までの道路状況はかなりよく、車でサクサク上れる好立地。

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こんな感じの山道を上ったところにある。切通風の道だが、実は本郭と2の郭との間にあった堀切を流用した道路らしい。

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右側が2の郭だった場所らしい。しかし、2の郭は浄水場化しており立ち入れないし跡もなくなってそう。では本郭はどうかというと、こちらはそのまま手つかずで残っているらしく。

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↑コレが入口。

ちょっと行ってみる。コンクリで覆われた部分は土塁の名残であるらしい。

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入ってすぐに、何やら急斜面が出てくる。実は現在道路になっている堀切跡の他にもうひとつ堀切があり、手つかずでそのまま残っていた。

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道は細い。ごく普通の山道に見える。

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しかし歩きやすく整備されているような? 知名度も低めで地味なお城だけど、もしかして展望台なんかに整備されてるとか? 入口も綺麗になっていたしな。

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↑奥の高くなっている部分が本郭の土塁。

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うーん、お城っぽいものもあるけど、なにか普通の里山の風景に見えるー。土塁・堀切にしても自然に還りつつある感じ。などと思いながら歩いていたら突如。

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建物だぁ。

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この場所が本郭跡地じゃなかったかな…人気はない。見た感じ私有地のようだ。人に出くわしたら嫌なので、早々に引き揚げる。にんげんこわい。

 

小柴見城の来歴はよく分からないらしい。

戦国時代にこの辺の豪族に「小柴見氏」がいてその居城だったとか、小田切氏に属するお城だったとか、いやいや起源はもっと古くて南北朝時代信濃守護所の詰城として造られたとか。どの説も確定的ではない。吹けば飛んでいくようなちっぽけな豪族だったらしい小柴見氏は、小田切氏の配下だった、栗田氏の配下だった、とアレコレ言われている。

田切氏配下説。弘治3(1557)年に小田切氏と共に葛山城で戦い、武田軍に敗れて滅ぶ?

栗田氏配下説。栗田氏は武田方に属した→第4次川中島合戦で上杉のスパイやってたと言われる→永禄5(1562)年に武田軍に滅ぼされ小柴見氏・小柴見城消える。

という感じで、どちらにしろ結局は武田に滅ぼされてしまっている。時系列から考えると、小田切氏家来→栗田氏家来→滅亡という順序なのかなー?

お城の戦闘記録はこれといってないらしい。が、南北朝時代の元中4/嘉慶元(1387)年に地元の豪族連合軍が守護所を襲って勝利するという事件が起き、この時襲撃した守護所というのが小柴見城の近くにあったとされている (「平芝守護所」という名前で、今の平柴にあったと思われるが場所は定かではない)。この守護所と小柴見城が関係している(守護所の詰城=小柴見城だったのではないか)ということらしく。ひょっとしたらお城での戦闘があったのではないかと思われる。ちなみに正平24/応安2(1369)年にも守護と地元豪族の間で戦争が起き平柴に守護方が陣を置いたという記録がある。このとき小柴見城があったかは謎だが、もしかしたら原型はあったかもしれない…防御設備もない場所に陣なんか置かないだろうし。

南北朝時代は北信の豪族が信濃守護・幕府に対して反抗的な態度をとっていたそうな。大塔合戦以外にも揉め事はしょっちゅうで、幕府は手を焼いていたらしい。平芝守護所の記録はほとんどないらしく、これは北信平定のために守護が置いた前線基地のようなものだったからかも?

 

その後とりあえず浄水場へ向かう。こんな公園が併設されていた。

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初めてきたのでよく分からないが、これもお城跡地に作られているのでは? とウキウキして入ろうと子供を車から降ろそうとした。

寝ていやがった。先ほどの本郭から車で3分くらいだぞ、寝るの早っ。

 

仕方ないので、入り口付近だけ写真に収めてみた。

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何もなさそうだ…。

 

★★★☆☆

けっきょく公園には行き損ねたが、公園ついでのお城散策に良さそう。

 

 <小柴見城>

築城年 不明

築城主 不明

構造 山城

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木曽殿屋敷

朝日将軍といえば木曽義仲である。そしてここは朝日山の近く、木曽殿屋敷と呼ばれるお城跡がある。

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ここに古いお屋敷があったことは間違いないらしい。木曽義仲縁者のお屋敷だとか、守護の小笠原氏の館じゃないかとか、ここから歩いて10分ほどにある朝日城城主の朝日氏居館だとか、色々な説を読んだものの確定的な説は未だになし。だいたいいつ頃に使われたのか具体的な時期も分からない、謎のお城ということになっている。

「木曽殿屋敷」というのは、朝日つながりでとりあえず木曽義仲にしとこう、というノリで生まれた短絡的な伝説なのかもしれない。というか、ほぼ関係ないらしい。だいたい、木曽氏の本拠地からかなり離れてる。現代でも高速使って2時間くらいかかるんじゃないの? 遠いよ。遠すぎてこの場所まで支配権が及んでいたとは思えない。ホラ吹くにしても、もっともらしい根拠も一緒に作ってほしいものだ。

高台にあるせいか、とても景色がいい。眼下に広がる町並み。「人がゴミのようだ」と呟きたい権力者志向を持った人向きのお屋敷かもしれない。

 

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お屋敷跡と言われる場所は現在果樹園になっている。平地・土塁をそのまま利用しているようで、地形がそのまま残っていた。堀はよく分からなかったが、道として埋め立てたのかな。

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あらら違うみたいだな。

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果樹園の奥の一段高い場所。あれはなんなのか。どう見ても人工的すぎて怪しい。

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誰の屋敷だったのやら。

 

 

★★☆☆☆

人工物くささはプンプンするけれども、ここは私有地、立ち入り禁止。あの一段高い場所が気になる。

 

 

<木曽殿屋敷>

築城年 不明

築城主 不明

構造 平山城

 

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近くの神社。「諏訪神社」といい、この地区の住民の氏神様だそうな。創建年は不明だが、天文24(1555)年に焼失、武田氏が神社領を安堵し再建と記録が残っているのでそれ以前からあったらしい。

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探すの面倒くさくなったのでそのままだが、神社の境内に古墳があるそうだ。古代人の住みたい場所の条件が

・川がある

・洪水などの影響を受けない山が川の近くにある

と聞いたことがあるので、この辺りぴったりじゃないのーと思った。

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