少し前に「国の重要伝統的建造物群保存地区 」に指定された稲荷山宿。この辺りかなりの頻度で通りかかるものの、歩き回るのは初めてだった。お城があった事実を知ったのもごく最近。信号待ちでたまたま見つけた井戸跡がきっかけだった。
城小路の井戸。城小路というからにはお城があったに違いない。家で調べてみると「稲荷山城」というお城があったことが分かった。天気も良かったのでごー。
城小路の井戸からお城を目指す。
道路を横切って、それっぽい小道を進むと、また井戸があった。昔集落で共同利用していた井戸の跡らしい。お城のために掘った井戸かもしれない。案内看板があったが、お城のことは全く書いていなかった。
井戸を見ていたら、どこか遠くから猫のだみ声が。ボス猫みたいなやつがこちらを威嚇している。そそくさと立ち去った。
歩いてきた道は「城小路」ではなかったようだ。稲荷山郵便局から入る小道がお城に通じているので、郵便局までちょっと歩く。郵便局の傍らに谷街道起点を示す柱が。
大きな宿場町なので、当然のように本陣がある。門構えが時代劇に出てくるものっぽく、立派で趣があった。人が住んでいるようで、私がうろついている間も車や人の出入りがあり、庭先にも人がいた。さすがに、住人の目の前で写真撮る勇気なし。この本陣跡が本丸だったらしい。
稲荷山宿は稲荷山城作った時の町割りをもとに発展しているそうだが、お城がなくなったあとの発展が凄かったせいで、肝心の城跡はまったくない。案内看板にしたがい、お城跡を見に行った。
これしかない。
稲荷山城、天正10(1582)年に上杉景勝により築城される。
奥の石碑も申し訳なさそうだ。
稲荷山城が廃止された時期は分からないが、上杉家が会津転封の際に本丸の場所に代官所になったとかさっきの看板に書いてあったので、その頃には廃止になっていたかもしれない。稲荷山宿が宿場町に発展した時期(慶長年間、1596年~1615年)にはもうお城なかったと思われる。慶長19(1614)年には善光寺西街道の宿場町になる。
稲荷山宿は善光寺西街道最大の宿場町となり、同時に商業の町としても発展した。特に江戸時代末期から明治にかけて大きな商都となるものの、昭和恐慌(世界恐慌)により没落した。
近くに高村別邸という大きなお屋敷があった。昔はこんなお屋敷だらけの町だったのかも?
★☆☆☆☆
お城跡地っぽいものがまったくない…。古い町並みめぐりなら駐車場もあるし、人いないからいいかも。
<稲荷山城>
築城年 天正10(1582)年
築城主 上杉景勝
構造 平城