長野県の善光寺のごく近くにある「横山城」。
南北朝時代に築かれたらしい。善光寺さんが寺防衛のために作ったお城と思いきや、あまり関係ないようだ(善光寺には兵隊さんいなかったのか)。
それでもここはそれなりの重要拠点だったようで、調べたらいろいろと長そうな歴史が書いてあったものの…「横山城」のメイン部分にあたる現在の健御名方富命彦神別神社に、わずかな遺構が残っているだけだそうだ。
この一帯を「城山公園」として整備されてしまっているので、城跡を見つけることは難しそう。
社殿周辺の様子。
神社の社殿を中心に高く土が盛られている。木がちょっと邪魔。
神社にしては高低差が結構ある様子。この辺土塁跡ですかねえ。
神社東側のほうがまだ遺構が分かりやすい感じ。芝生が広がっているので、段差が分かりやすくなっている。
芝生の端の、木が多い茂っている場所は崖のようだ(危なそうなので近づかない!)
城山一帯が横山城だったそうで…このあたりでは山全体が要塞化しているようなお城も珍しくない。たびたび歴史に登場するお城なので、ここが整備される前はガッツリした要塞だったかもしれない。しかし今は見る影もなし。
写真奥が社殿。
神社の社殿は土塁の上にあり、この社殿の場所が本郭だったようだ。
社殿の裏に社務所があるが、こちらも土塁のようなものの上に建っている。
社殿の手前は林になっている。ちなみに、社殿は明治12年に神仏分離令のため善光寺境内から移築されたものだそうだ。神社の林はあとで植えられたものかもしれない。
名前に「健御名方」と入っている通り、諏訪系で御柱やってるそうだ。なんと、ここまで健御名方一家が落ち延びており、追っ手の建御雷と戦って再び負けてしまったという話である。
★★★☆☆
お城としてはかなり物足りないが(遺構ほぼない)、ちびっこを連れてくるにはとてもよい場所。動物園あるし。木々に囲まれた神社の散策はプチ森林浴にはもってこい。
<横山城>
築城年 南北朝時代(1336-1392)?
築城主 不明
構造 山城