坂城町にある「狐落城」。坂城町は信州村上氏の本拠地があった。支城のひとつで、天文22(1553)年に狐落城が武田信玄の侵攻により落ちてしまう。狐落城も村上氏の重要拠点のひとつである。
どのくらい重要だったかというと、武田さんとは前から色々あったものの、狐落城陥落の知らせを聞きトドメをさされたと村上義清が絶望して、家来を連れ上杉家を頼り越後まで逃げてしまった程度。「狐さんが足踏み外して落ちちゃうぐらいすんごく険しい山城」と名前をつけられたほどの、村上家が誇る難攻不落の山城だったのだ。
登ってみるか…。
まず麓に「村上大国魂社」という神社がある。村上家の氏神が祭られている。もともとは泉口明神という名前だった。伝わっている話では天徳2(958)年、村上天皇第4王子為平親王がここにやってきて泉口御所を造営したのが始まりだそう。実際は為平親王がこの地にきたことがないかもしれない、しかし為平親王の子の源憲定の娘婿が村上家の始祖とされる源頼清という説がある。
神社も狐落城とともに兵火により消失したが、村上家が旧領に復した天正11(1583)年に再建されている。
神社の鳥居までの竹林、鳥居を過ぎてからの本殿までの参道は雰囲気ある。
古い石垣が高く積まれ、ここにもお城あったよ! といわれても信じてしまいそう。石垣の上が神社の本殿となり、広い平場なのでやっぱり施設的なものが? と少し探してしまったほどである。何も見つからなかった。
神社から狐落城に向かう山道の入り口に、観月堂がある。寛治8(1094)年に源頼清は罪を得て、この地に配流された。日々の慰めとしてこの場所で月を眺めていたという。
「観月堂」が建てられたのは元中年間(1384~1392)。狐落城攻略の際、やはり焼失している。再建は寛永年間(1624~1645)村人による。現存のものは時代がずっと下って、安政3(1956)年に建てられたという。
この場所は山肌からちょっと突き出した部分にあたるらしく、景色を眺めるのにもちょうどいい。古来より有名だったビューポイントだったようで、俳人たちの石碑が小道にそって並んでいる。
石碑が並ぶ道の反対側は崖であるものの、「狐が落ちる」というほどではない。
藪があるし、普通に擦り傷で終わりそうな。ごく普通の登山道だと思った。が、乳幼児を連れて歩く道ではない。とりあえず一人登ってみる。昔の人は大げさだなあwと思いつつ…。
石碑が見えなくなると、妙に険しくなってきた。道は整備されているものの、
ところどころ崩れている。まぁちゃんとした格好で時間も早ければ、多分それなりに楽しいかもしれない。現在夕方4時、薄暗い。いけるところまでーと、早足で登ったら息が上がった。
適当なところで切り上げて下る。下山の方が危ない。道が急なのよく分かるから。
武田さん狐落城をどうやって攻略したのやら。道は急、狭い。そして本郭まで1時間かかる。ここの攻防戦、北信地方のお城の中でもとりわけ多くの死傷者出したって話だぞ? それだけ死傷者出すためには山の上のお城まで行かないと駄目だろ、兵士たくさん登山させたんだろなー。
東北信の豪族盟主で力も実績もある村上さん、イケイケだった時期に武田さんを二度破っている。多分、武田さん意地になったのかもしれない。この険しい山城、顔真っ赤にして落としたんだそうに違いない。こんな面倒くさそうなお城、私だったら攻めないかもー。
★☆☆☆☆
観月殿までは古い石垣もあり、俳句かなんかの石碑も多く、下界の眺めもいい。
神社の境内は平坦で広く、遊ばせておいても怪我しなさそう。
問題は狐落城までの山道。急すぎ、狭すぎ、子どころか大人も落ちたらやばそう、危険。そして、城の本郭行くまで時間かかりすぎ。
<狐落城>
築城年 不明
築城主 村上氏
構造 山城