お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

皆神山

その筋の人にはお馴染みの聖地、皆神山に行ってきた。この日も愛好者が県内外から巡礼にきていたっぽい。駐車場には色々な土地のナンバーつけた車が数台。

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↑こんな場所である。

 

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山頂付近には皆神神社がある。ここは自在山自在神社で出てきた3兄弟の次兄が修行した場所らしい。修験道の拠点である。神社の通称は「皆神神社」だが、正式には「熊野出速雄神社」という。この神社は現存する数少ない修験道の遺構ということで、貴重な建物だそうな。鳥居はごく最近になって作られ、当初は山門しかなかったという。

鳥居の奥に見える神社は「侍従神社」。

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↑山門。

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↑侍従神社本殿。

最初ここ本殿かと思った。違うらしい。ややこしい。

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↑熊野出速雄神社の本殿。侍従神社の裏にある。

 

「熊野」は天台宗系の修験道一派の本山派が拠点としていた熊野三山からきているらしい(本山派に属していたようだ)。「出速雄」は諏訪大社の神様・健御名方神の御子様にあたる神様らしい。この方は北信地方の開拓祖神という。養老2(718)年にまず、出速雄神社が創建される。中世に修験道が盛んとなり熊野権現が勧請されて熊野出速雄神社となった。社殿は康応元/元中6(1389)年に再建され、当時は修験道の道場として建てたためか建築様式(撞木造り)に修験道要素が色濃く残っていると。ちなみに、撞木造りは善光寺本殿と同じ様式である(善光寺修験道がどう関係あるかは知らないが)。

大規模な道場だったようで最盛期には信濃全域の本山派山伏の支配権が皆神山にあった。

 

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侍従神社本殿の脇から「侍従大神」のお墓に抜ける小道があった。この神様は佐久の内山城主の子で、密教修験道を修めるべく各地で修行していた内山満顕が内山氏滅亡の後こちらに入山し、侍従天狗坊と名乗り皆神山の修験を完成させたという。その人のお墓。彼は厳しい修行を長らくしてきた行者さんで、「吾を念ずれば諸々の願いを叶える」と言い入定という究極の修行(即身仏になる)をしている。子育てから長寿、火防などの御利益があり、特に子供を侍従大神の弟子にすると無病息災に育つんだとか。奥の方の古墳みたいなのが入定所になるのかな。

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最奥には浅間神社もあった。

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他にも色々な祠があちらこちらに。

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自然豊かな場所でサンショウウオの仲間まで住んでいる。近年まで小さなゴルフ場があったようだが、今は失われた。代わりにソーラーパネルが並べられていた。とはいえまだ自然がかなり残る小さな山だ。

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ごく普通の、田舎に昔からある古い神社に見えたのはここまで。問題はこの先である。

 

まずは熊野出速雄本殿向かって左の天地カゴメ之宮。碑文があり、それによると

・昭和49年に私に「国常立大神お立ち上がり」の神示があった

・「皆神山に行け、そこにお立ち上がりとなる、神の御出現じゃ」

・「神の州と書いて、神州。信州へ」

・出かけた皆神神社の前で神がかり状態

・そして日本の八百万の神様の他、龍神眷族、モーゼ、キリスト、ギリシャ神話の神々など皆がココに集まった

・このたび、神の御許しを得て宮を建立しました

だそうな…。お宮自体は木の祠という感じで、碑文より小さいサイズ。てっきり熊野出速雄神社本殿の近くにあった(本殿のような大きな建物が二つもあるし、侍従神社本殿を皆神神社だと勘違いする人は絶対いると思うような雰囲気だった)ので、碑文中の「お宮」=熊野出速雄神社本殿、と思っちゃったよ。

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細かい、怪しいものも多々。正面の木の杭の文字がさっぱり分からなかったが、空の融合だとか興味ある内容が四面に並ぶ。杭の根元の石にも消えかかった文字(もう読む気が起こらない)。奥の白杭はいつものアレ(世界人類が平和云々)。

トンデモ本によく登場、某宗教の教祖・出口王仁三郎さんの歌碑?もあったよー出口さん、皆神山を聖地認定していたようだ。

カゴメ之宮と並ぶ愛好者の礼拝スポットがこの看板↓

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今回はこの看板を見に来たようなもの。人気過ぎて文字が消えかかってる!! 内容は大変興味深い。

 

世界最大最古の皆神山ピラミッド

◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による)となっておりその岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ空間移動させるといったダイナミックな方法でした。

(したがって現在でも皆神山山塊だけが非常に軽く負の重力異常塊となっています)

◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じこの磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる《天の羅摩船》等がこの飛行体です。

謎の皆神山ピラミッド物語

◎皆神山は、古い古墳時代弥生時代さらに遡っての縄文時代やエジプト・インダス・黄河シュメール各文明よりもずっと古い、今から約2~3万年前浅間山・焼岳ができたころ。飯縄・妙高・富士は約9万年前)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました。(人口造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角形のパンの意)

◎この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命(自然主義的な科学技術者集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした。(旧人ネアンデルタール人系)

◎では、何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。

皆神山ピラミッドの祭神は知力・体力の神

◎超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。

○熊野出速雄命

 宇宙船《天の羅摩船》等の航行の技術・管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神

○少名毘古那神

 宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命の参謀集団

○泉津事解男神

 皆神山航行基地をはじめ…全宇宙基地を管理した集団

○速玉男神

 地球周回軌道の人工衛星(宇宙航行の中継基地)の技術者の集団

◎このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは神聖な山=高天ガ原として崇め、後世に伝えたものです。

 

好きだー!!と叫びだしたくなるような。この手の文章は、そのまま読んで楽しむものだと思う。ツッコミは無粋。中二的な小難しい単語を並べ、分かったような分からんような文章。難解な文章を「フムフム」と理解した気分を楽しむものである、と考える。

今の人類とは異なるヒトビト(数万年前に滅んだとされるネアンデルタール人)が岩を空中浮遊させて作った、宇宙基地。山自体が電動機だか発電機だかになっており、宇宙船自体も(反重力は現在も実現不可能)超電導リニアっぽい感じで浮かんで飛ぶというのかね? 磁力だけで宇宙に行けた! これはNASAさん・JAXAさん研究したほうがイイネ。

少名毘古那神は大国主の元でその国造りに参加した神様。やってきた時「天の羅摩船」という船(何かの実らしい)に乗ってきたという。イメージとしては一寸法師

泉津事解男神イザナギの子で、神話だと須佐之男命の兄弟に当たる。速玉男神イザナミの子。泉津事解男神と速玉男神はセットで扱われることが多いよう。イザナミが死に、その後を追ってイザナギが黄泉の国へ行ったときのこと。身体が腐りかけたイザナミが自分の姿を見るなと約束させたにも関わらず、イザナギが見てしまい、大喧嘩になる。「お前とは絶交だぁ」などと言い争い、キレたイザナミが唾を吐いた。その唾から生まれたのが速玉男神(唾の神様→古代では約束をするときに唾などを交換した)。この二柱は研究熱心というか、性に貪欲なイメージを私個人的に持っており。神様を出産したいがなかなか上手く出来ないので悩んでいたとき鳥の交尾を見て「我々もアレをやろう」と言い出しマネしたら上手くいったことから、日本古来の体位は後背位ではないか、という話を聞いたほど。その後もやりまくったとはいえさすがに腐った体は見られたくないだろうし、見たくなかっただろうねぇ。イザナギが掃き払った(腐ったイザナミとの関係を清算した)ときに生まれたのが泉津事解男神(絶縁の神様)。この神々は熊野に関係がある。熊野本宮大社主祭神須佐之男命、熊野速玉大社の主祭神は速玉男神(またはイザナギ)とも言われている。泉津事解男神は速玉男神と一緒に祀られていることが多いらしい。熊野の修験道と深い関わりのある神社だから、このような神様を登場させたのだろうか。としたら、教養の深い人物の手による看板だろうな。

熊野や修験道に関係ない少名毘古那神や大国主が出てきたのは「天の羅摩船」って言ってみたかっただけなのかもしれない。

真面目な方の看板↓。

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温度差がある二つの看板は、並んでいた。

 

皆神山は溶岩ドームらしい。この山だけ独立しており、見た目もちょっと変わっている。溶岩ドームだと言われれば納得できる。そして松代群発地震震源地はココである(だけど噴火したりはしなかったらしい)。山全体がプルプル震えてた感じ。そして群発地震の時、山が光ったという目撃談をよく聞く。あれれ…これって発電中のスパークだよね!

特徴的な山だからか、修験道の霊山になったり信仰の対象になっている。皆神神社付近には井戸のあとらしき結界張られている何かが点在していた。

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麓に「大日堂」というお堂があり、そこに水が湧いている。元々この辺りの水は綺麗だが、特に有名らしく2リットルペットボトル数十本を携えて汲みに来るような迷惑な輩も出ちゃうとか。で、この池、大日堂近くの大日池まで繋がってるらしい。名水が湧くような場所と繋がってれば、そりゃサンショウウオも棲みつくよね。

 

ここはまだまだ見どころがある。車で通っただけだが、岩戸神社というピラミッド入口を見つけた。正直、古墳とむき出しになった石室にしか見えなかった。他にも、山の上に「小丸山古墳」という古墳があり、これは大正時代に「天照大神の御陵だ」と話題になって大いに賑わった。この名残は大日堂にあるそうだ。

信州→神州というのは、太平洋戦争中に軍部が思いついたのと一緒で、皆神山という名前も縁起いいじゃん! と最初はこの山の下に大本営を造り始めた、その跡地入口もある。ここは溶岩ドーム、ものすごく脆いし軽い岩質で出来ている。掘ってみたけど役立たずで、象山の地下に改めて大本営を掘り始めた(あっちは堅い)。

大本営のトンネルとは別に、もともと皆神山内部には空間があったとも言われている。あるとき重みに耐えかねたのか、潰れてしまった。で、あんな形のお山になったとされる。潰れる前は綺麗なピラミッド型だったのだ!

 

★★★★★

竹内文書」ファンなら満足のお山。今回同行した大人も「竹内文書」関連本を何冊か持っていた記憶があり、「今日一番笑った」と大変喜んでいた。

 

 

<皆神山>

30~35万年前にできたとされる