第4次川中島合戦で有名な雨宮の渡しに行った。
ここの場所については↑の写真の通り。
元々この場所は街道の要衝にある渡し場だったらしい。案内板には「川中島平の死命を制するほどの重要な拠点でもあり、戦術戦況を左右する場でもあった」と仰々しく書いてあった。
横田河原の戦い、大塔合戦などが対岸で行われ、近くのお城(生仁城)でも戦闘が何度かあったようだ。確かに重要な場所であるらしい。ただそんな大事な渡し場なのに、武田軍は抑えるどころか合戦中にも偵察とか出さなかったのかなーと疑問に思った。挟み撃ちをする予定だったので、戦闘予想地域から離れている場所に兵を置く気分はなかったのかしらね。一応、この当時の生仁城主の雨宮氏は武田支配下に入っていた模様。名字が「雨宮」というぐらいだから、この家が渡し場を管理してたんじゃないかな。川を渡る上杉軍に気づかなかった訳じゃないだろうし、黙って見過ごしていたとすれば…上杉のスパイだったのかも。
一応、千曲川のそばではあるものの。今は川筋が変わり、この場所の周りは工場・住宅・田畑となっている。
申し訳程度に、碑の傍には川だか用水路が。
石碑の周りはちょっとした公園になっている。桜の木もあるものの、まだ芽がかたそうだった。
雨宮の渡しと言えば、この言葉↓
べんせーしゅくしゅくー。
なんと頼山陽直筆の石碑で、いたるところに「拓本とるな」の看板。
どうしても欲しければ、某所で1枚3500円で売ってるからそこへ行け、とも書いてあった。碑文の拓本マニアの人って意外といるのかしら。会ったことない。
碑文は、以下の通り。
鞭聲粛粛夜過河(鞭聲粛粛夜河を過る)
暁見千兵擁大牙(暁に見る千兵の大牙を擁するを)
遺恨十年磨一剣(遺恨なり十年一剣を磨き)
流星光底逸長蛇(流星光底に長蛇を逸す)
どんぐりころころ。
★☆☆☆☆
目ぼしいものはなし。
<雨宮の渡し>
開通年 不明(平安時代?)
今話題のオスプレイ見たー!! 年末年始にもF15みたいなのを何度か見かけて(しかも並んで飛んでるとか)、今年は幸先いいなと考えていたが。まるでオスプレイ祭りかのように、こうも立て続けにあの機体を見かけるとは思いもよらなかった。やっぱり姿も音も独特ね。オスプレイは、ジェット戦闘機みたいに音はすれども姿が見えぬ(速すぎる)…ということがない程度のスピードだから、探しやすいのも良かった。ちなみに本名は「V-22」というそうだ。