お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

雨宮坐日吉神社

今年の初詣は近所の神社にお参りしてきたものの、もうちょっと神社行きたいような気分になり出かけてきた。

雨宮坐日吉神社というところ。

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あめのみや・ざ・ひよしじんじゃと読むのかと思っていたのに、あめのみや・にます・ひよしじんじゃが正解らしい。読めなーい。

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ここの神社はこれ↑で有名。

雨宮の御神事というお祭りで、国の重要無形民俗文化財に認定されている奇祭。映像で見たことがある。菰か何かを巻かれた人が橋の上から逆さづりにされた挙句、ベシンベシンと叩かれるやつ…だったような? と動画を探して確認したところ違った。獅子頭をつけた人が橋から宙吊りにされて、川の水面を頭で叩く。というものらしい。

別名「獅子踊り」とも呼ばれるそうで、3年に1度春の例大祭と並行して行われるようだ。最近だと2017年に行われたそうで、それでなんとなく私も覚えていたらしい。橋に宙吊りされるものは「橋懸り」と呼ばれており、雨宮の御神事の一部だそう。雨宮の御神事は500年もの歴史があると言われ、江戸期から知られたお祭りなんだそうだ。嘉永2(1849)年刊行の「善光寺道名所図会」や天保5(1834)年に発表した原稿を元に編集し発行された「信濃奇勝録(明治19(1886)年)」に記事があるらしい。

伝説では、「昔、生仁の豪族が浮気をし、それを恨んで死んだ妻の怨霊の祟りで田畑が荒れ、疫病が流行。祟りを鎮めるため、怨霊を華やかな踊り・お囃子で送り出すために祭りが始まった」とされている。 逆さづりも御霊送りの意味があるとか。とにかく五穀豊穣を願うお祭りである。

 

実は、この辺一帯を治め浮気をした生仁氏、その跡を継いだ雨宮氏の居館(生仁館)が現在の雨宮坐日吉神社という話をどこかで読んだような気がして、調べていたものの見つからず。私の勘違いで、生仁館はこの神社から350メートル南の場所にあったそうな。現在は住宅地になって館跡は消え失せているらしい。

天文22(1554)年の第1次川中島合戦では、雨宮坐日吉神社が武田本陣として使われたことがあるようだ。

 

生仁氏と雨宮氏のルーツは同じで、共に村上氏の支流らしい。「大塔物語」に雨宮孫五郎義正・生身(生仁)大和守義長という名前が出てくる。この人たちは兄弟だとか。兄が雨宮孫五郎だと。

この地域の支配者は生仁氏だったようだ。生仁氏は近所の豪族たちと争っていた記録があるものの、やがてその名前が登場しなくなる。清野氏に滅ぼされたのではないかと言われている。

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↑この山に居城の唐崎城(生仁城)があった。麓の招魂社(唐崎社)から登っていけると聞いて、4~5年ほど前にちょっと行ってみたものの結局登らず仕舞い。そのうち登りたい…。

唐崎城は古いお城。至徳4(1387)年に平柴守護所が襲撃されるという事件があったが、その守護所から逃げてきた武将たちが立てこもったとされるのが唐崎城だと言われている。そして落城してしまったそうな。応永7(1400)年でも戦闘があった。大事なお城だったらしい。雨宮の渡しも近いし。

 

生仁さんは滅んだが、雨宮さんは元気に活躍されていた。

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↑この鳥居、雨宮家国さんの子孫の方々が寄進したものらしい。鳥居に「奉納 雨宮摂津守家国後裔」と彫り込んであった。家国さんは明応年間(1492~1500)以前、信濃から甲斐に移住した人だとか。今も末裔が山梨県に住んでいるらしい。寄進者も山梨在住の方々なんだろうか。

天文17(1548)年の上田原の戦いで雨宮正利さんという方が戦死しているが、この人は清野さんちから養子に来た人のようだ。養父は雨宮昌秀(正法)となっていた。家国さんの子供が昌秀さんなのか分からないが、家国さんの時代に一族の多くが甲斐に移住したという話を読んだ。敵対していた清野さんに追われて家や領地を乗っ取られ、移住を余儀なくされたとかかねー?

雨宮さんは武田家に仕え、途中事情があり武田を辞め北条家で働いていたけど、優秀過ぎて武田に呼び戻されたという逸話があったようだ。

 

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↑本殿

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↑摂社(天満宮だとか)

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 ↑摂社(江の島神社とか姫宮神社、飯縄神社など)

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↑何か怪しかった

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↑宝蔵

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↑寄進されたもの

 

この神社の入り口に由緒書きのような看板があった。ほぼ字が消えている。

・白鳳11年 創建

・御祭神 大山咋命大己貴命、少名彦命、保食命、罔象命、猿田彦命久延毘古命

・旧領主真田家代々からの崇敬、祭祀料の寄進あり

・7か村で神事を行い、五穀豊穣を願う

・始め「天宮」、後に「雨宮」

・山王大権現とも呼ぶ

神道の吉田家の許しを得て「日吉山王宮」に

明治元年、現在の社号になる

・明治6年、郷社

・明治33年、県社に昇格

ということらしい。

 

大山咋命=山の地主神、農耕(治水)の神=山王

大己貴命大国主

少名彦命=大国主と国造りをした小さい神

保食命=食べ物の神様

罔象命=水の神様

猿田彦命天孫降臨の際、瓊瓊杵尊の道案内をした神様

久延毘古命=少名彦命のことを知っていた賢い案山子の神様(知恵の神)

 

↓境内の様子。

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★★★☆☆

考えていたより古い神社だった。あと名前は初見じゃ読めない、どういう理由でそんな名前なのか。

 

 

<雨宮坐日吉神社

創建年 白鳳11年

御祭神 大山咋命